なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

車を運転させるな

免許取ってから一回も運転してません。なんなら卒検以来運転してません。卒検は5回受けました。車の運転は自殺の手段が一個増えただけという認識をしています(こんな考えの人間に運転させるな)。

自動車学校を卒業してから大体5年が経ったので、あまりに行きたくなかったんだな……という意味でも、ざっくりですが入校から免許取得までの流れを記事に残しておこうかなと思います。もう忘れていることの方が多い。

特筆すべき思い出は

・最初の3回ぐらい教習に行ってから冬の間放置した(寒くて行きたくなかった)

・コロナ禍で期間が延長された(数ヶ月)

・その延長期間ギリギリで仮免合格(一発)

・路上運転は真面目に通う(追加料金払いたくない一心で)

・卒検で4回落ちる(2回減点超過、2回ブレーキ踏まれ)。5回目にして合格(マジで期限ギリギリ)

・この間の補習で教官に「気をつけないといつか事故起こすよ」と言われる

・本試験先が遠すぎて行きたくなさすぎて卒検合格から数ヶ月放置

・就職先の条件に「自動車免許取得者」とあり、入社前に急いで本試験へ

・住民票が期限切れで会場に行ったのに引き返す羽目に

・その日中に再発行、翌日再度試験へ向かう

・本試験は一発合格

・入校〜免許取得まで1年ぐらい(入校時期を覚えてないのですが、入校〜卒業まで6ヶ月程度?)

 

以上が私の免許取得までの道のりです。調べたら、学生なら1〜3ヶ月程度で取得することが多いって書いてあった(本当かどうかはさておいて)。倍はかかっている。

それだけ免許をとりたくなかったし、運転したくなかった。親はいまだに運転しろって言ってきますけど。私は断固として拒否しています。

そもそも精神的に不安定な人間に運転をさせるな。道連れにはしないけど、しかねないから嫌なんですよ。

運転の何が嫌か。失敗したら取り返しがつかないところが嫌。下手したら(というか結構な確率で)自分だけじゃなくて、色んな人や物を巻き込んでしまうところ。自分ならやりかねないという自信があるのも嫌ですけど、いつか事故を起こしてしまうという確信めいた予感を抱かせるところ。本当に嫌です。身を以て体験した結果嫌です。

練習すれば……とか回数をこなしていけば……とか、そういう次元じゃないです。理解してほしい。根本的に無理な人間って必ずいる。私は多分恐らくそれ。

この件に関しては、やらずに文句言うな! とか言われたくないです。だって人を殺しかねないんだもの。やらないに越したことはない。

……そんなことを言いつつ昨年、免許の更新に行きました。正直行きたくなかったけど。ただの身分証明書にしかならないなら、別のものがいいんですけど……。

地元が車必須なので、親の気持ちも理解はできるんですけどね。実際、車で行った方が楽みたいな場面も多いだろうし。

それでも乗らないのは、自分のためであり世間のためなのです。認めてほしい。

音楽と思考

投稿頻度はネタができたら上がる。


四六時中、不要か必要か問わず様々なことを考え、無限連想ゲームをしているのがADHDの脳みそです。家にいようが外にいようが、仕事中だろうがプライベートだろうがお構い無し。すれ違いざまに耳に入った会話も、コンピュータのモーター音も、連想の材料でしかない。


少しでも雑音のない世界を求めていた時期もありましたが、雑音がないとかえって思考が止めどなくなることを理解しました。私の表情は一切動かないのに、脳内はノンストップで思考を続けている。


個人的に、ですが。この事態を強制的に黙らせる手段が『音楽』だと私は思っています。


音楽、もっと言えばボーカル付きの音楽。可能であれば意味が読み取れる類のものが好ましいです。

あまりに強引な方法なんですが、脳から溢れる言葉と耳から流れてくる言葉をぶつけてゴチャゴチャにして対消滅させる、という手法です。考えてたことは霧散していき、音楽はただ鳴り続けるだけのものになる。完全に私の場合なので、オススメできるかどうかはわかりません。脳に負荷をかけているとは思うので微妙かも。


この記事を書いてる間も音楽を流しています。『それじゃあ記事で書きたい内容も吹っ飛ぶだろ』と思うかもしれません。実際そうなる時もありますが『外界の遮断+要らない思考の遮断』ができるだけでも大分違います。

それに、書きたいことは予めある程度考えてることが多いので、出力すれば良いだけです。書いてる途中に浮かぶ思考を抑えるという面で、私にとっては役に立っています。


外界から遮断したくて音楽を聴くようになりましたが、調べてみると機能的に良さげな耳栓があるので使ってみたいんですよね。

思考云々とはまた別の話(感覚過敏とかAPD的な方かな)かもしれないですが。

 

今までになかったイヤープラグ(耳栓)| Loop Japan

 

5000円程度なら、興味があれば手を出せる価格ですし、それにデザインがオシャレ。

買ってみたらレビューしてみようかな?


思考を黙らせる他の手法があれば、積極的にやってみたいところです。

御伽話の恋愛話

 いわゆる『御伽話』が好きです。大方はハッピーエンドで終わる、綺麗な綺麗な空想世界の代物なので。

 念のため意味を調べてみると、下記の通り。

御伽話・御伽噺(おとぎばなし)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 退屈を慰めるための語り合う話。子供に聞かせる童話。空想話。そんな類のものが、私は好きです。

 理由としては割合簡単です。最初にも述べた通り、大抵はハッピーエンドで終わるので。そうでなくても、説得力を以って、美しくお話は終えられる。グリムやアンデルセンの童話も子供の頃によく読んでいましたし、ディズニーとジブリ映画を観て育ってきたといっても過言ではありません。ジブリ映画を喜劇とするかはちょっと微妙かも知れないけれど。

 決して現実にはならないと分かっているし、都合の良い現実なんて有りはしない。その事実を認識していても、美しく人生を終えたい。そう願ってやまない自分がいます。

 

 それと、もう一つ。私には碌な恋愛経験がありません。特定の誰かと愛情が通じ合ったことがない。そのせいか、今なお恋愛に夢を見ている節があります。

 もう30も近い人間が、恋愛に夢を見ている。言葉にすると大分、奇妙だなと思います。グロテスクと呼んで差し支えないのかもしれない(自分ではそうとは言いたくないけど)。世間様の価値観はまあ、どうでも良いか。

 そんなわけで、私は『御伽話』を夢に見ます。いつか、運命の人に出逢えるのではないかと。心から愛しあえる人が現れるのではないかと。

 恋愛の醜いところは大体、メディアからしか得ていません。経験がない。だからこんなことを言えるんだと思います。自分でも笑えるほど夢見がちだと思います。嫌なところも良いところも含めて経験できたら良いなと思うと同時に、そもそも人間が嫌いだし必要はないのでは? と思ってしまいます。変なこだわりかもしれない。

 理想主義的である自覚はあります。今後の人生は自分にとって美しいものだけ見ていたいという願望があります。恋愛も、御伽話のように美しいものであって欲しいと思うことがあります。性欲とは無縁のところに在って欲しいと思ってしまいます。実際は性欲と恋愛は結びつくものと理解していますが。

 

 自分のこういった、なんというか幼い思考を書くたびに、自分は精神的に歳を重ねられてないんだろう、とつくづく思います。人生経験が浅すぎる。このまま歳を重ねたらどんな存在に仕上がるのか、恐怖と好奇心が湧きますね。

 私にとって都合の良い終わり方であれば、それで良いのだけど。

いつか自分の意思でいけるなら

 どうやって死にたいか、をよく考えます。『自分の意思で死ぬこと』を考えたとき、どんな死に方が理想なのかを考えます。私、実は海が好きなんです。だから、死ぬなら海でしにたい。海側からしたら迷惑でしかないですが。実際それを成し遂げるかは別として。

 最近は結構、死ぬタイミングを考えます。死ぬ前にどんな風に過ごすか? を夢想したときに、せっかくなら日本を回りたいな、という気持ちになりました。こんなに日本にいるのに、数都府県にしか行ったことがない。勿体ないなと思うのです。

 本当に理想。実際にできるかどうかは別として、理想としては35ぐらいで仕事を辞めて、家も解約して、必要なもの以外全部捨てるか売るかして、エンディングノートを遺して、そのまま日本を一周する。行けるところまで行って、葬儀代が残る程度になったら……。これが理想の死に方です。

 これを家族が許すかと言われれば、絶対に許してくれないですけどね。それが十分にわかってるので、あくまで理想でしかありません。

 友達は……どうでしょう。一番大事な友達以外は、私が薄っすら希死念慮めいたものを抱いているのを知っている気がする。匂わせた気もするし、ハッキリ言った気もする。仲のいい友人が自殺するってどんな感覚なんだろう。「どうして相談してくれなかったのか」とか「なんで気づけなかったのか」とか、そんな感じですかね? 相談したとて、気づいたとて、死ぬのは本人の意志でしかないので止めようがない気もしますが。それでも、許してくれないだろうな。

 私は結構見栄を張る癖があるのか、親友に対しては隠し事がたくさんあります。希死念慮があることも、ADHDであることも言ってません。こんなの言ってもどうにもならないですし。いつかに「おばあちゃんになっても、くだらない会話で笑っていたい」と言われたことがあるのですが、それはおそらく叶わないでしょう。あっちは覚えてないかもしれないけど。

 申し訳ないなと心から思います。こんな人間が一番仲のいい親友で申し訳ないなと。偶然の積み重ねで親友のポジションに収まったと思っているので、こんなに長く付き合うとあまり思っていなかった。続けたのは私ですけど。

 未練があるとすれば彼女と家族かな。それが残らなければ割とスッとできる気がする。

 

 どうして死にたいのか、も常に考えています。このブログのそこかしこで散々書いた気がします。今の理由で言えば、きっと疲れてるのでしょう。全部に。手放してしまってもよいと思える程度には。

 あとは、自分のことが嫌いなので。自分のことを殺したいぐらい嫌いなので、その手段は一つしかないのです。少しは好きになれるかなと思って生きてきたのですが、結局こっちに落ち着きそうす。いやですね。

3秒後に忘れる

 電話対応が苦手です。内容が覚えられないから。顔を見て話すのも苦手です。内容が頭に入ってこないから。顔の横の空間を見ているのは、話を聞くのに集中するためです。顔を見るとなんで記憶できないのかっていうと、表情とか変化が気になってそっちに意識がいってしまうから。

 昔から、授業をちゃんと受けるのも苦手でした。話が頭に入ってこないから。教科書に書いてあること、板書できる範囲ならなんとかなったけど。中学ぐらいのときに、国語の『読み取り』テストで、先生が文章を読み上げ→問題を口頭で伝える、という問題があった際に、全く点が取れなかったんですよね。しかもおじいちゃん先生だったので、なおさら何を言ってるのかわからなくて。今でも嫌な記憶として残ってます。

 先生の話を聞く、というよりも、先生の話をノートにとる、ということに集中していたため、授業後は内容を覚えていないこともままありました。教材とノートがなければもっと成績が悪かったことでしょう。

 電話は昔から苦手です。単純に知らない人と話すのが得意じゃない。何を話せばいいのかもわからない、マナーもよく知らないし調べるのも面倒くさい。そんな人間だったので、正直就職するまでは電話マナーなんて一切知らないままでした。電話対応マニュアルをもらって読んだり、ほかの人の対応を真似して身に着けました。それでも結構時間はかかったし、今でも苦手意識は拭えません。早口な人、活舌が悪い人、声が小さい人……いろんな人がいます。全員苦手な部類の人です。仕方がないのはわかるんですが、ゆっくりはっきりと話してくれるだけで大分ありがたいんですけどね……。

 取り次ぎ電話はまあいいとして、自分宛てに来る電話はもう本当に勘弁してほしいです。話を聞くのとメモを取るのを並行で行って、整理して上司に報告したり対応したり。報告や対応はまあ別段構わないのですが、『話を聞いてメモを取る』のがどうしても苦手です。肉声よりも電話越しの方が苦手なんですが、理由はわかりません。

 PCのメモ帳を開いて聞くことが多いんですけど、耳で話を聞いて、手でタイピングをして、目で内容を確認して……っていうマルチタスクになっちゃうのが悪いんでしょうね。手でメモするより早いって理由でやってきてたのですが、ちょっと考えを改める必要が出てきました。次回は手でメモをしてみます。体感でやりやすくなれば嬉しいんですけど。

 今書いてて気づきました。マルチタスク+聞き取り力の低さのコンボだったんですね……。まあ、それとは別にしても覚えられないんですけど。

 話を聞いて「よし、まとめるぞ!」と思った次の瞬間には内容を思い出せないんですよね。「あ、あれって、こうだっけ? でも、こういうニュアンスだった気もする……」と、延々悩みながらやってるんですよね。もう一回聞けるときは聞くし、「つまり、まとめるとこういうことですよね?」というようなこともやっているのですが。一発で理解できる人が周りに多いから、自分もそのレベルに達しなければという焦りもあります。正直逆立ちしても無理だとわかってるんですけどね。

 そういう特性なので、今後も話を聞いても3秒後には曖昧になってるし、数日もしないうちに忘却の彼方へ行ってしまっている。友達との会話も実はそう。「何の話してたっけ?」というのがしょっちゅうあります。数年前の出来事を覚えていても、会話の内容を覚えてたことって実はそんなにない。

 どうせ来年もその先も「そう」なんだから、諦めて他の有効手段を探すしかないのです。

嫌いにも好きにもならないでほしい

 前提として、私は私のことが嫌いです。特にこれと言って秀でている能力もないし、凹みを補おうと努力もしないし、人嫌いで気分屋でその場のノリで人間関係を断ってしまうし約束も破ろうとする。そんな人間です。

 私を慕ってくれる人が、有難いことにいるわけですが。大事にしたいと思いますし、この先も仲良くしてくれるならこんなに嬉しいこともないのですが。それでも、その全員に嫌われたい、というか縁を切ってしまいたい、と思う時があります。

 全部が面倒で、一切合切を放棄したいという思考回路に支配されてしまうことが度々あり、誰の連絡であっても後回しにしてしまいたくなるんですよね。実際、友達の何人かの連絡はちょっと置いたりする。

 それでも、実際会えば楽しかったり、話せば気持ちが高揚して「また話したいな」と思えるんですけどね。気分の変わりよう結構予想不能で嫌なんですよね。

 いちいちこんなことを考えるぐらいだったら、誰も私のことを好きにならないでほしい。だからと言って嫌われたいわけでもないので、私に興味を持たないでほしい。無関心でいてほしいと思ってしまう。

 最後に行くところはきっとアイデンティティの喪失なんだろうなとは思うんですけど、それでもいいから、誰も私に好意も悪意も抱かないような状況になってほしい。

 『誰かに優しくしたり、寛容になるのであれば、先ず自分にそうであれ』という文言をTwitterで見かけました。まさにそうだなと思います。自分に余裕があれば、他人に優しくしやすいし、逆だととことん不寛容になれてしまう。でも私は私に優しくも寛容にもなれない。甘くはあるかもしれないですけど。だって自分のことが嫌いなので。自分を嫌いなまま、誰かに優しくありたい。無理なのかな。

 優しくするのは、別に打算でもなく好かれたいわけでもなく、そうするべきと思ってるからだし、そうしたいと思ってるから。自分みたいな人間が他人にできることなんて、優しくあることぐらい。『優しさ』に能力は要らないと思ってるので。

 誰にも好かれず嫌われずにいる手段としては、人と関わらないことが一番ですよね。でもそういうわけにもいかないのがしんどいところ……。最終手段は、本当にどうしようもなくなった時の手段として。

 こんなの無理なことぐらいわかってるんですよね。本当は、人と関わるからには、できれば好かれたい。でも、私は私のことが嫌いだから、私みたいなのを好きになってほしくない。私自身を好きになるのは、かなり頑張らないといけないのは今までの人生が物語っているところです。

 こんな理想を語ってるうちは、どっちも現実のものにはならないのかもしれない。

社会人、学んでます

 『気づいたら一年が半分終わっていた』と、このブログで何回書いたんでしょうか。のなめです。もう7月も半分が終わってしまいました。夏は好きなほうなんですけど、年々気温が上がって暑さに耐えられそうにないです。東京の気温なんてもう住めたものじゃないな、と思ってしまう。

 社会人として生きてきて2年ちょっとが経ちました。最低限の社会的なマナーやビジネスメールについては身に付きましたし、報連相の重要さは嫌というほど頭に叩き込みました。大なり小なり、伝えておいたほうが良いか悩むものまでさっさと伝えたほうが双方楽なんですよね。情報の精査は受け取る側がすればいいし(伝える側は相手が望む情報が何かを完全に把握できるわけじゃないので)、その情報が二重だったとしても「相手に伝わってる」ことがわかるって、結構大きい。

 私は結構そういうところが苦手、というか先延ばしにしがちなのですが、仕事においてはスピードがなにより大事だということを学びました。一年間、直属の先輩がいない状態で仕事をしていたからかもしれない(上司はいましたが、仕事の内容は私一人でやってることが多かったので)。

 そんなわけで、現在無事? 社会人として生きているのですが。まあ、それでもメンタルが常にイカれ気味なのでいつ大爆発して転がり落ちるかはわからないのですが……。もっと気軽にメンクリに行けるようになりたい。

 自分が社会人として生活していけるかは昔からずっと不安だったし、今でも正直不安なところが大きいです。人前では結構取り繕うというか『真面目ないい子』になりがちなので、周りがどう私を見ているかはさておいて『普通』の人間に擬態できているような、そうではないような。

 能力的にいえば、そこそこの自負はあります。自分がいないと手が回らないということも繁忙期を除けばあまりないし、でも私がいればスムーズに進められる、みたいな。正直それぐらいがちょうどいいとは思ってるんですけどね。割と気軽に休められる環境に身を置きたい。あわよくば直属の後輩が欲しい。無理っぽいんですけど。

 仕事以外のことはほとんど話さないので、性格的にとっつきにくいかもなあとは思ってるんですけど。割と愛想よくやってるつもりではあります。プライベートに踏み込ませなければ、オフスイッチは入らないんだな~というのも割と学んだところですかね。会社の人で遊んだのって同期ぐらいなので……。

 最近の課題は、あまりに暇だと就業中に居眠りをしてしまうことなんですけど。他から仕事をもらってきたりしても、どうしても空いた時間ができてしまうときもあって。勉強したり仕事のメモとかまとめたりもしてるんですけどね……途中で眠気がきてぐらぐらしてしまう。寝不足なのかな。

 『仕事はまず3年続けてみる』みたいな通説がありますが、私も今年で3年目になります。このままこの職業を続けていくのか、ちょっと悩みどころでもあるのですが、給与以外は結構満足しているのがなあ……という。給与さえ上がってくれれば文句はあんまりないんですけど、その給与がネックという感じで。貯金が切り崩されている様があまりにメンタルにくる。節約は、まあ……してるつもりですけど……。節約してても苦しい場合は最早何を切り詰めれば良いのかっていう。切り詰めなくても生きていけるようにしてほしい。

 人間擬態の経過報告ブログになってもいいかもしれない。参考になるかはわからないですが、自分の備忘録として。また失踪する可能性も大分ありますが、書くことが浮かんだらチマチマ書いていこうと思います。