なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

夜型の話

就寝時間はだいたい2~5時です、のなめです。

今の生活的に夜型に成らざるを得ないのですが、まあ、実を言えば3年ほど前から夜型生活だったんですよね。以前は居酒屋でバイトをしていたので、大体帰宅するのが12~1時ぐらい、それから寝る準備をして、寝るのが2、3時。

うつ状態の時期は寝るのが、朝を迎えるのが嫌で、そのせいか早朝に寝て昼過ぎに起きる生活をしていました。実家に逃げてからも、夜型が微妙に抜けきれず。今は完全に夜型ですね。これでちゃんと社会生活を送れるのか不安だとこぼしたところ、先生に「時間がずれるだけだから大丈夫」といわれました。なるほど、活動時間自体はあまり変わらないのかもしれない。

夜型は体調とか、精神衛生的にあまり良くないと聞いているので、本当はダメなのかなあと思ったりもするのですが、如何せん早起きができない。本当に苦手。高校まではなんとか早起きもできましたし(というか高校まではアホみたいに規則正しい生活を送っていたので)、遅刻だってしたことないんです、本当に。これも全部、親の監視下にあったからかなあとか。自力で起きるようにはしてたんですけど、親に起こされることもままありまして。一人暮らしをするようになってからはそれもないので。責任が全部自分にあると思うと、どうしてもダメになってしまう傾向があるんですよね。

バイトを昼間のものにしたら、きっと生活リズムも変わってくるんでしょうけど、朝起きて準備して、バイトをして授業を受けて…というリズムは多分駄目ですね。絶対に寝てしまう。体力のピークは授業に持っていきたいなとか、そもそも活動時間の限界が短いんだよなとか、色々思うところはありますが。あとは単純に、今のバイト先に慣れてしまったので、新しい所に行くのが面倒だし、一から覚えたくないし、という理由です。

あと二年ほどで終わりますし。一年が経つのが驚くほど速いので、二年なんてまたあっという間でしょう、多分。ADHDあるあるの、レポートの締め切りに間に合わない問題は、私は幸運なことに間に合わせられているので、今のところは大丈夫です。順調にいけば来年には卒業単位を取り終わる予定ですし。学校のランクが低いのと自分の標準スペックに助けられています(たかが知れてますけど)。今の懸念材料は就活と卒論です。不安しかない。本当はもっと真面目に生きたいんですけど、これ以上真面目になろうとしたら絶対いつかバキバキに折れるだろうなとも思っているので、なんとも言えない。というか、真面目な人はこんな時間まで起きてないかもしれない。

早起きができればいいんですけどね。できるようになりたいです。

音楽の話

どうも、のなめです。毎日イヤホンを装着して、外の世界をシャットアウトする日々を送っています。

物心つく前から音楽に触れてきました。父の趣味が楽器だったのもあり、その影響が大きかったと思います。小中学校まではピアノを習っていましたし、中学時代はブラスバンド部に所属していました。今でも、音楽は手離せない娯楽の一つになっています。聞くのは専らJ-POPとか、邦ロックとか。あとはアニソン。というかほぼほぼアニソンですかね。声優さんの曲も聴きますし、主題歌だけじゃなくキャラソンも割と聴きます。

興味本位で手を出したAppleMusicに、もう一年以上入会しています。三か月無料プランに釣られた結果がこれですよ。毎日音楽付けです。幸せ。

一応、クラシックやピアノ、ジャズ系も聞きます。というかインスト曲も好きなので、ピコピコ音の気持ちよさを追求した音作りが最高に好きなんですよね。好きなアーティストさんの曲も入っているし、最高。ただ、メタルとか、爆音系はあまり聞かないですね。洋楽もあんまり。食わず嫌いなのは解ってるんですけどね。勿体ないなと思いつつ避けてしまいます。

音楽の良い所って、曲の中に没頭できることだと思うんですよね。現実逃避にも似た何かだと自負していますが。曲やアーティストの世界観に入って、浸って、楽しむ。自然と頭の中でPVを作って流したり、とあるシチュエーションに当てはめてみたり。音楽を聴いている間、私の頭のなかは楽しいことで一杯です。なぜなら、他の事は何も考えられないから。音楽を聴きながら文章を読むのは無理ですね。やろうとすると、どっちに集中していいか分からなくなるので。というか、今も聴きながら書いてますけど、完全にBGMですよね。歌詞の意味なんか考えずに、ただただ聞き流している。贅沢な趣味です。

昔はよくCDを購入していましたが、今ではオンラインで購入してダウンロードして、という形で定着しつつあります。iTunesStoreでアルバムを一気に購入したのはいい思い出。物を溢れさせるとダメなタイプの人間にとっては、ありがたいなあと思います。でも、同じ感覚で電子書籍を購入するのは抵抗があるんですよね。私は本は紙派です。

気に入ったものにはちゃんとお金を払いたいので、CDショップに足を運ばなくても気軽に好きな曲やアルバムなどを購入できるのは良い時代ですね。ただ、CDのジャケットとかデザインとかを見るのも好きなので、少し複雑です。CDは本と違って割れやすいので、やっぱり手元にない方が良いかなとも思いますが(CDのパッケージを何枚かひび割れさせているので)。

縁あって今でも音楽が身近にある生活なので、喜ばしいことだなと思いつつ過ごしています。音楽って、実際に触れて弾いたりするのはなかったりするので。できることならば、趣味として細々と続けていきたいな、とか。音楽療法にもなりますかね?

ただ、レポートとか課題とかやる時には絶対聴かないようにしています。あまりにも集中できない。昔は聴きながら勉強とかしてましたけど、今思えばびっくりするぐらい頭に入ってないですからね、あれ。反省しました。

眠れない夜のお供だったりもするので、本当にありがたいです。学生割万歳。

気力の話

無気力がデフォルトな日々を送っています。そもそもやる気とは無縁な生活というか。実行しようとする気はあれど、漲るとか迸るとか、そういう感じではないです。そんな風になったこともあまりないです。

活動力とも似たような話になるんですけど、なんていうか、指一本動かす気すら起きないことが割とありまして。周りの力で無理やり動かされているようなイメージ。自我のある操り人形みたいな。外的な力によって受動的に動くことは動くんですけど、能動的に動こうと思ったことはあまりないです。趣味とかはまた別ですけど。ただただ何もしたくない。こんな風でいるくせに、よく学生やってるなと思ってます。社会人になったらもっと無理になるのかな。

締め切りとか時間とか、最低限のルールは守りたいんですけど、それと自分のやる気とは別の話というか。難しいんですけど。こういうこと書くと言い訳ばっかりになるの、よくない癖だなあと思います。かつての友人に「有言不実行だよね」と言われたことがあるのですがまさにそれです。私を象徴する一言だなと思います。

真面目な人ほど損をする世の中で、自分で言うのもあれですが、私は損をする側なんですよね。真面目にやってるのに、真面目じゃない人の方が成果を出してたりすると、なんかバカバカしく思えることがあるんですよね。人は人で私は私だとわかっていても、自分と他人を比べることをやめられないというか。そうなってくると、やる気も出ないですよ。やっても無駄なのかなって。

責任を誰かに押し付けるのは簡単ですけど、自分に押し付けるのも、実はそんなに難しくない気がしています。私は、自分が悪いから、と事あるごとに言って聞かせた結果、自分に期待をしなくなったんですよね。だから気力もないのかなあと。本当、マイナス方面に振り切ってますよね。

自分への期待とか、自尊心とか、そういうのがあれば、少しは気力も取り戻せるんですかね。薬の影響も少なからずあるとは思ってるんですが。

もっと自分を好きになればいいんですかね。好きになりたいな〜。

ストラテラの話

お久しぶりです、リアルがあまりにも多忙で半分死にかけてました、のなめです。

今回は、ストラテラの話をしたいなと思いまして。理由は特にないんですけど。ただ、このお薬とおつきあいを始めてからかれこれ8ヶ月ほど経つので、改めて感じたことなどを書きたいなと思いまして。ので、またグダグダと書き連ねていきますので、どうぞお付き合いいただければと思います。

 

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私のブログを読むような人は知っている人が多いと思います。ストラテラです。写真は自分が処方されたものを撮ってみました。毎朝食後に3錠120mgを飲んでいます。

この薬、初見はとてもびっくりしました。「いや、これ毒じゃん」と。しかも不味い。舌に乗せた瞬間の、あの吐き気がする気持ち悪さ。舌で溶けていく錠剤とは違う、圧倒的な不味さ。他の言葉が思い浮かばないので不味いと表現していますが、味はあってないようなものです。触感が気持ち悪いっていうんですかね。本当に嫌いこの薬。

よくコンサータと一緒に話題に出てますが、コンサータとは色々違うらしいですね(うろ覚え)。遅効性で、コンサータと違って依存性は低く、肝臓へのダメージが大きいということは覚えてます。お酒が好きなので、肝臓がすごいことになってそうです。

あと作用する伝達物質が違うんですよね。私のブログで専門的な知識を期待する人はいないと思うので省きますが。

コンサータも3ヶ月ほど飲んでいましたが、あれが覚醒剤と揶揄されるのも仕方がないと思います。実際、初めて飲んだ時は視界がはっきりと見えて、脳内がクリアになって、本当に感動しました。今でも忘れられません。

ただ、18mgでも副作用があまりにも酷かったので、辞めましたが。正直言うと、もう二度と飲みたくない。勝手に断薬したりしたので、まだ残っています。普通に捨ててしまえばいいんでしょうけど、なんとなく捨てられずにいます…。

ストラテラは、今でこそ副作用はほとんど感じませんが、はじめて120mgを飲んだときはあまりの気持ち悪さに吐きました。どこかの記事に書いた気がしますが。いやほんと、薬で吐くとか考えたこともなかったですよね。

ストラテラを飲んで一番変わったなと思うのは、頭の中の静かさですかね。薬を飲む前は、頭の中はゴミが散乱したゴミ屋敷みたいな感じでした。イメージや妄想や曲が絶えず頭の中で渦巻いていて、突拍子も無いことを考えては楽しんでいた記憶があります。薬を飲んだ今は、ゴミ袋が散乱したゴミ屋敷、みたいな。思考=ゴミはゴミ袋に入れられてある程度まとまったけど、散乱していることに変わりないというか。頭の中が静かになった代わりに楽しいアイデアとかも浮かばなくなったというのをよく見かけますが、本当にそれなんですよね…。

あとは、少しは視野が広くなったというか、定型の人には届かないまでも、マルチタスクもどきができるようになったのは大きいですかね。完全に違うことを並行して行うのは無理なのですが、ちょっと枝分かれしたものを同時にするのはできるようになりました。マルチタスクができなくて視野が狭いことがずっと気になっていたというか、悔しかったので、少しでもできるようになったのは嬉しいです。

こんなことを書きましたが、実は、ストラテラを飲んでいても、効果を感じないなあと思うような日々が続きまして。でもそれって、効果が当たり前になったからなのかなと思って。いつか辞めると思っているけれど、辞めた後が怖いなと思っているのも事実です。どっちかわからないから尚更なのかもしれないです。

自分の中の最大の課題である先延ばし癖がどうにかなればいいんですけどね。薬でどうにかなるものでもないですかね。難しい。

何やらストラテラジェネリックが出るとか出ないとかのお話を小耳に挟んだので、ちょっと期待しています。自立支援を申請していても高いんですよね。月に5000円が吹っ飛ぶのはなかなか痛い。

一歩間違えたら覚醒剤にもなり得る薬だと認識しています。いわゆるスマートドラッグというやつ。ちょっと前にコンサータをそういう風に使用していた方が炎上してましたね。恐ろしいことです。普通の人が飲んだらダメなやつです。こういうところで自分が普通では無いという事実を突きつけられるのは何とも皮肉というか、残酷というか。

まあ、そんな個人的なことはどうでもいいんですけど。

発達障害者にとって、コンサータストラテラは、普通に近づく為に必要なものなんです。不可欠かどうかは、その人次第だと思うのですが。これらを定型発達者が不正に使用することで、処方されなくなってしまったら、地獄です。本当にやめてほしい。これ以上発達障害者を生きづらくしないでほしいです。自分の快楽のために、他人の人生を奪わないでください、と私は言いたい。というかコンサータの方が味がまだマシってどうなんですかね。あれこそゲロマズ薬品にすべきではないですかね。

関係ない話になってしまいましたが、まあそれはそれとして。少なくとも1年は飲み続ける必要があるので、あと4ヶ月はお世話にならなければいけないみたいです。それまでになんとかできたらいいなぁ。

希死念慮の話

のなめです。皆さんは、希死念慮という言葉をご存知でしょうか。知っている人は多いと思います。まあ簡単にいうと、「死にたいと思うこと」でしょうか。自殺願望とどう違うのか、というのですが、コトバンクさんの記事を引用させてもらいます。

kotobank.jp

 

私の場合、明らかに「自殺願望」というよりは「希死念慮」という方があってるかな、と思います。ふとした瞬間に、何もないのに「あ、死にたい」と思うんですよね。しばらくすれば消えてしまうし、実際に死のうとしたことはないので、ちょっと油断している節はあります。実際にこの思いを抱くようになってから、かれこれ二年ほどが経ちますかね。最近はずっと死にたいな、と思うようになって、もしかしてうつ状態が深刻化しているのかもしれないです。うつ状態であることは、母親以外は知らないし、言うつもりもあまりないのですが。

自分の中にある『死』への漠然とした願望というか、身近さというかが、なんだか自分でも上手く認識できないというか。なんで死にたいんだろう、と考えるのですが、やっぱり理由はなくて。強いて言うなら、全部に疲れたから、かもしれないです。人間関係も、社会で生きることも、人としての営みを行うことも、全部に疲れてて。未来も希望もありません。あるのかもしれないですけど、今の私には見えません。どこにあるんだろう、私の希望。

メンヘラは伝染する、とよく聞きます。私はもう疑いようもないレベルでメンヘラですので、誰かに伝染させてないか、とても不安です。メンヘラ要素はあまり表に出さないようにしているので、気づかれていないことを祈りつつ。あ、一応言っておくと、世間一般の言うメンヘラではなく、精神疾患者的な意味で使ってます。改めて言葉にすると、結構ダメージ食らいますね。いや、まあ本当に、言い逃れできないレベルで、精神を病んでいるとは思っていますけど。いっそ誰かに言いたい気もしますが、やっぱりそれで相手に背負わせることも、依存してしまうことも嫌なので、言わないんじゃないかなあと思ってます。

死ぬとしたら、どんなシチュエーションで死のうかな、なんて思ったりします。火山で投身自殺とか、睡眠薬を大量に飲んでしまうとか、練炭とか。あまり苦しまずに死にたいですけど、自分の意思で死のうとするのだから、痛みが伴っても仕方ないかなという気もします。死ぬ前に、遺書を書いて、旅行をして、したいこと全部して、笑ってさよならをする、というのが理想です。長生きする気はさらさらないので。ああ、どうせ死ぬなら、ボランティアをするのもいいかもしれませんね。ちょっと調べてみようかなあ。

皆さんは、長生きをしたいと思いますか?生きたいと思いますか?死ぬ理由がないから生きる、というのは、生きる理由になると思いますか?今の私は、「死にたいとは思うけど、特に死ぬ理由も勇気もないから生きている」状態なんです。目標も、やりたいことも、楽しみも、全部、見えないぐらい霞んでしまったんです。こんな私は、生きる意味があるんですかね。ただ日々を浪費していくだけで、なんの意味も見出せなくて。何もない。

それでも、生きていかなくちゃいけないんですかね。私が生きる理由なんて、親を看取るため、ぐらいです。それ以外、見つけられなくて。もし両親が亡くなってしまったら、私は生きていられるのかな。わかんないや。

容姿の話

どうも、のなめです。

突然なのですが、私は世間一般で言うブスです。自他共に認めるレベルのブスです。上中下で見ると、高く見積もっても中の下だと思っています。

昔から容姿には自信がなく、おまけに平均より太めの体型だったのもあり、自分を着飾ったり、可愛く見せる努力から逃げていました。「ブスがどうあがいてもブス」という事実から逃れる為に、自分から努力することを放棄していたんです。

面と向かって「ブス」と言われたことがあります。中学の頃でした。顔がそこそこ整っていて、性格は最悪な男子に、全然関係ないタイミングで言われました。言われた瞬間、突然すぎて混乱して思わずスルーしてしまったのですが、今ならその男子の顔を思い切りぶん殴ってやりたい。

陰口ではきっとたくさん言われていると思います。幸か不幸か私の陰口を聞いたことはないので(ただ私を抱けるか抱けないかみたいな話を過去にされたことがあると友人づてに聞いたことがあります。最悪。)、あくまで憶測ですが。

自分の容姿をネタにしたことは今まで一度もありません。よく自虐ネタで「私ブスだからさぁ笑」みたいなのを見たりするんですが、本物のブスがそれを言っても気を遣わせるだけですし、好き好んでブスなわけじゃないのになぜネタにしなきゃいけないのか、という考えもあって、容姿や体型の話はいつもスルーしていました。

少しでも見れる顔になろうと、メイクをするようになりました。というか、普通にメイクをするのが好きです。コスメを見るのも好きなんですよね。可愛くてキラキラしてて、見るだけで楽しくなる。一重な上に瞼が重いので、アイプチなどは使用せずに、なんとかメイクをしたりしています。アイプチ、やろうとしたことはあるんですが。不器用なのとものぐさなのが相まって、放棄してしまったんですよね。私には無理だなあと思いました。

化粧をしていない、不細工な自分でもいいと言ってくれる人がどこかにいたらいいのになあ。顔の美醜にこだわるのはあまり良くないと思っているのですが、長年のコンプレックスのようなものなので、意識しないようにするのは難しいです。私と仲良くしてくれる人は、外見を重視していないはずなので、ある意味信用しています。

メイクは好きですが、同時に面倒でもあるので、メイクをしなくてもいいような世界にならないかなあと思ったり。女性が人前に出るときはメイクをして当たり前、みたいな風潮は嫌です。誰のためって、自分のためにメイクをしてるんですよ、少なくとも私は。

現在、メイクとか服とかでなんとか誤魔化しつつ、ありのままの私でいることを望んでいます。でも、ありのままのわたしの方は世間には求められていないんだろうなあ。ああ、つらい。

自己分析の話

自分の中の言論統制が為されてきていて、どうしたらいいかわからない今日この頃です。言論統制と言っていいのかわからないですけど、言葉の響き的に好きなのでなんとなく採用してしまいました。「こんなことを言ってはいけない」「誰にどう思われるかわからない」そんな恐怖心や臆病から、言葉が上手く出せません。昨日の今日なのもあるのかなあ。誰も気に留めないはずなんですけどね。

 

自分以外に自分を完全に理解できる人間はいない、そう思うようになっても、やっぱり自分の事が理解できないことも少なからずありまして。自分が何でそう思ったのか、行動したのか、感じたのか、全部理解して、把握して、パターンとしてまとめていたいんですよね。そうしたら、何かの役に立つ日が来るんじゃないかと思って。ガラクタ集めにも似ています。

自己分析といえば聞こえはいいかもしれませんが、まあ、言ってしまえば、振り返りです。すぐ記憶を飛ばしてしまうから、自分の一言一句を思い出すことはできないけれど、自分の過去の言動をまとめて、「自分」という人間のデータを集める。間違えないように、はき違えないように、正しく、自分というものを知っていく。

何が好きで、何が嫌いで、何を克服して、何が克服できなくて。そうやってどんどんアップデートされていく「自分」という存在を、出来るだけ客観的に見つめられるように、情報を集めていく。欠けたパーツを補うための作業です。具体的にどんな部分が欠けているのか、その情報も集めたりしています。なんかどんどん、人間らしさが失われているというか、ヒトモドキというか。

私、自分では自分を感情的な人間だと思っているのですが、一方で、冷静な部分も持っているというか。感情が溢れた時に、「あ、今私喜んでるんだ」などと、ふと冷静になる瞬間がありまして。こういう人ってやっぱりいるんですかね。あまりにも人と関わらな過ぎて、統計が取れないというか。

よく周りから「冷たい」なんて言われるので、正直解せないなと思ったりもするのですが、まあ、私にとっての60が、他の人からしてみれば半分の30だった、という感じなんでしょうねきっと。人並みには優しいと思っているんですが、如何せんズレているので、優しさが的外れだったりすることは否めないです。

このブログが自己分析の一環であると書きました。まさにその通りです。できるだけ素直な感情と言葉で書くようにしているので、後日の私が過去の私の感情を覗いて、分析する。そんなことがたくさんあります。自分のブログやツイートを結構読み返すのは、過去の自分の考えを知るためです。過去と同じ事例はなくとも、似たような事例はたくさん起こり得るので、その時のための参考にしています。

一年ほどブログを続けているのに、改善の兆しが僅かしか見えないのは、まあ自分のやる気のなさと、恐怖心があるからですかね。大きく変化することは怖い。私は、ずっと変わらないことを望んで生きてきたような人間なので、変えること、変わることはとても大きな負荷がかかるんですよね。誰だって、少なからずそうかもしれませんけど。

今度、自己分析のまとめのようなものも含めて、改めて自己紹介でもしましょうかね。誰に向けての紹介でもないので、読んでも多分面白くはないですが。