なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考な人間の、自分を見つめ直す為のブログです。

ADHDとHSPの話

心に余裕がなくなるほど部屋が汚くなる法則、あると思います。

嘘です、いつでも汚いです。

 

やるべきことが沢山あって脳内がいつも以上にごちゃついている状態です。パンクして結局何もできていないのが現状なのですが、いい加減腰を上げないと…。優先すべきは締め切りの近い課題なのですが、やる気が起きないし手も付けていないです。どうしようもない。

 

ここ数日、HSPについての情報を集めています。主にADHDとの併発はあるのか、誤診の可能性はあるのか、です。ADHDアスペルガーとも似ている部分があるせいか誤診もあれば、どちらの要素も持っている場合もあるみたいですね。HSPについてとても詳しく載せられたサイトがあったのですが、あまりにも長くて途中で読むのをやめてしまいました…。そこでは提唱者自身の著書の引用などもされていたのですが、私は大まかにはHSPに当てはまっても、細かいところは当てはまらないのかな、という印象を受けました。千差万別とは理解しているのですが、私は嗅覚や視覚、聴覚は敏感な方なのですが、痛覚は恐らく鈍い方なんですよね。それでも自己チェックはほとんど当てはまっていたしなあ。自己チェックが当てはまる数ではADHDよりはHSPの方が多いです。ADHDは不注意と多動含めての診断が多いので仕方ないかなとは思うのですが。自分が発達障害だと疑い始めてからもうすぐ一年近くなりますが、動いたのが最近とはいえ白黒つくのがこんなにゆっくりだとは思いもしなかったです。抑うつ状態が始まりとはいえ、もっと詳しく調べてから動くべきだったかなと反省しています。もっと本やネットで調べて、自己理解を深めなければ…。日に日に自分への興味も価値観も感じなくなっているので、せめてちゃんと自分の持っているかもしれない特質を理解したいです。自分に見切りをつけるのはさすがに早すぎるので。

経過と恋愛話

コンサータ18mgを飲み始めて一か月が経とうとしています。効果としては、段々効かなくなっているんじゃないかと、体感ですが思っています。副作用は喉の渇きが相変わらずあるのと、後は食欲ですかね。食べたいと思うのに食べる気が起きないというか。だからポテチなど気軽に食べられるものを常備しています。先延ばし癖は全く治っていませんが、ホワイトボードやメモ帳でなんとか尻叩きしつつ過ごしています。年末にかけて忙しくなってくるので、なんとか生き延びていきたいなと。

 

恋人を作る気も人を好きになる気も一切合切ないつもりなのですが、それでも人間の本能なのか気になる人がいる次第です。まあ、恋愛に発展することはないと思うので、相手に迷惑を掛けない程度に見つめていたいと思います。というか、正直認めたくなかったのですが、どうせそういう関係になる気がないなら開き直ってしまっても良いかなと思ったり。相手は恐らくですが私の事はどちらかと言えば嫌いだと(多分)思うので、脈なんてないし。嫌いな人に好かれたくなんかないだろうし。私の想像とはいえ、なんで私この人の事好きになったんですかね…?正直言うと顔が普通に好きなんですよね。それを認めたことで私の三次元での顔の好みがハッキリしたという。まあ、絶対恋人同士になれないですけどね!顔が好みと言うだけではどうにもならない事が沢山あります。性格も嫌いではないのですけどね。何様だ。

恋愛話は好きだし、自分も恋愛をしたいなと、最近までは思っていました。恋愛経験はあまりにも乏しいので、恋愛らしい恋愛をせずに人生を終わる選択肢を取ってしまった事は少し勿体ないかなと思ったり。でも、私はあまりにも一人に慣れすぎたというか、一人でいることが好きすぎるというか。心から好きでない限り、二人以上になっても面倒くさいだけですし、一人でいたいと思ってしまうから。あと、私のマイペースさについて来れるかなとか…お互いの空間がちゃんとあって、それとは別に二人の空間を作っていける人じゃないと難しいんじゃないかなって思うんですよ。踏み込んでほしくないところまで踏み込んでくる人とは絶対無理じゃないですか。ろくな恋愛してないからわからないですけどね。趣味とか、過干渉にならずに楽しんでんなぁ程度に触れておいて、共通の好みや趣味を共有すればいいんじゃないかなと思うんですよね。恋愛話とは程遠いところにいるので、最近の若い人がどんな交際の仕方をしているのかわからないのでなんとも言えませんが。私自身は片想いで済むタイプなのでお手軽ですね。相手が幸せならそれでいいし、その幸せに私がいなくてもいいです。欲を言えば、少しでもいいからその人の幸せに自分の手が加わっていたら良いなとか思いますけど。

生死観

ふと整理してみたくなったので、ただの持論を書いていきたいと思います。

 

私はいわゆる「一人○○」をすることが好きです。昔から集団では浮き気味で一人に成らざるを得ない事が多くて、なんとか「一人でいること」を楽しもうと思った結果が今の私なので、「せめて誰か誘おうよ」と言われても、そもそも誘えるような相手がいない。友達がいないわけじゃないけれど、手軽に気軽に誘えないというか。相手にも予定があるじゃないですか。その予定を合わせることが面倒で仕方がないんですよね。それなら一人で空いてる時に行くわって思っちゃう。外食やカラオケはザラだし、一番頑張ったのは江ノ島半日旅行ですかね。でも一人旅行したいって言ってるのだし、これぐらいはできないとだよなと思ったり。

親友と呼べる人はいるのですが、私もその子も相手のプランに合わせる方だから、よっぽど行きたい場所でもない限りは事前の準備の段階でグダる可能性が……。でも行けば絶対楽しいです。好きな子と一緒に行動するだけでも私は楽しいので。でもやっぱり一人で行きたいんですよね。一人で好きな時に、好きなものを食べて、好きな場所に行きたい。私が超絶マイペースなのもあるのですが、例えば知らないところの交通手段ってわからないことだらけじゃないですか。事前に調べてもいざ行ってみると全然だったり。それでプランがずれて気まずい思いをするぐらいなら、一人で次の電車を待ちたいなと思ってしまう。

思えば、集団に馴染む努力ではなくて一人でいることに慣れる努力をするあたり、結構ずれてる気がしてきた。私の周りの人は一人でいたくない、っていう人がいたり、一人でいることに耐えられない人が結構いるんですよね。一人で映画くらい見させてくれ。でもやっぱり一人でいることのデメリットも勿論ありますよね。いざという時に連絡が取れる手段が減ったり、気持ちを身近な人と共有しようとしても出来なかったり、寂しい気持ちになったり。私だって、ずっと一人でいようと決めてはいますが、ずっと一人でいたいとは思わないです。友達と一緒に飲みに行ったり、遊びに行きたい。そういう気持ちは持っています。でも、一人でいることのメリットである「楽さ」があまりにも大きすぎて、私に本当にピッタリなんですよね。誰かに連絡を取るという行為があまりにも面倒に思えてしまう事も、「一人でいる」ことを強めている要因です。あとは、一人だと他の人に迷惑がかからない。集団は、全員が全員の事を好きとは限らない。一対一でも然り。でも、一人ならそれすらない。人間関係がないから、ゴタゴタもないし迷惑もないし心労もない。寂しい気持ちも自分の中に仕舞い込んでしまえば伝わらないし、ずっと自分の事だけ考えて、向き合って生きていられる。だから私は一人が好きです。自分を貫き通そうとしても、他人の気持ちや言葉、視線に振り回されて生きてきたので、それはもうこりごりなんですよね。自分が生きづらい性格をしている事は十分に自覚している(母にも言われた)ので。自分を殺して生きるぐらいなら、自分を貫き通して死にたいと思ってしまいます。

 

人間は、生まれてから死ぬまで、どんな人生を歩もうと、死ぬときは皆おんなじだと思うんです。老衰でも病気でも事故でも、生物には死が付きまとっている。だから、いつ死んでも一緒だと思うんですよ。八十歳で老衰で亡くなろうが、二十歳で自殺しようが、死は死でしかない。死ぬときはみんな一緒。でも、死ぬときに後悔があるかどうかはそれぞれ違うじゃないですか。だから、死ぬときはなるべく後悔がないと良いなと思います。それから、復讐目的で死ぬひとがいるじゃないですか。あれはやめた方がいいと思うんですよね。だって、復讐相手が然るべき処罰を受けなければ何にも意味がないから。それなら生きて復讐した方が絶対良いと思います。何の話だ。

私はと言うと、私は自分に存在価値が無くなったら死のうと思っています。だから少なくとも「親の子」としての存在がある限り死ぬ予定はありません。存在価値のあるなしって、「いてもいなくてもいいかどうか」だと思うんですよ。存在価値がなくなったら「いなくていい」という事になるじゃないですか。誰からも必要とされなくて、誰にも影響を与えなくて、いなくなったって誰も何も思わない。そんなタイミングでこの世からいなくなりたいです。ただの理想なので、現実になるとは微塵も思ってませんが。生きることもおんなじで、私は基本「誰かの役に立ちたくて」生きています。自分の事は本当どうでもよくて、誰かにとって存在価値があるか、必要か、役に立てているか、が基準だったりします。私は仏教信者でもキリスト教信者でもないので、神様はいるのならいて欲しいなと思う派ですが、死んだあと輪廻に行って成仏はできないだろうし神様の加護は恐らくないんだろうなと思ったり。それでもクリスマスや正月は一丁前に祝ったりするので、そこらへんは日本人的だなぁ。

最近話題(?)の安楽死には賛成です。死にたいのに生きていかなきゃいけなくて、その結果自殺を図るぐらいなら、楽にすっと死にたいと思う事は罪なんでしょうか。生命倫理の問題がたくさんあるのでしょうが、私は早く安楽死の選択ができるような世の中になってほしいなと思っています。

雑談と景色を見るのが好きな話

寒い日が続いていますね。寒いのも暑いのも苦手(どちらかと言えば寒がり)なので、できるだけ家に引きこもっていたいと感じることが多いです。鍋が好きなので、食べられる機会が多くなるのは嬉しいのですが。

外を歩いていると焼き物や煮物の匂いがして、食欲を誘いますね。家庭の雰囲気を感じるので、食べ物の匂いを嗅ぐのは好きです。ただ満腹時は気持ち悪くなったりしますけど。基本鼻呼吸なんですが、冷気を吸い込んでしまうので辛いです。マスクが手離せません。口で息を吐いた時の、白くなる水蒸気を眺めるのが好きだったりもするので、ちょっと惜しい気もしますが。

手軽に出来る趣味の一つとして外の景色を眺めることが好きなのですが、見慣れた街並みでも変化があったりするので毎回キョロキョロと辺りを見回してしまうんですよね。目についたちょっとした面白い光景とか、人とかを見つけると楽しくなってしまって、中々やめられません。最近面白いなあと思うのは、車のワイパーが上がっていることです。凍結防止のためなんでしょうが、初めて見た時の感想が「触覚だ!」でした。段々車全体が大きな蟻に見えるようになってしまい、一人で笑ったり(共感されない自信があるので誰にも言ってないです)。雪が信号機の上に積もっていたり、小さな雪だるまが作られていたり、それが溶けていたり。歩行者用の信号機を下から見上げると青緑色の光がいっぱいに広がっていて綺麗だったり、カップルは狭い道を並んで歩きたがるからこちらが避けなければいけなかったり、街灯のオレンジが雪に映っていたり。雪や雨が降っている時にも地面が雪なのか氷なのかそれともコンクリートなのかでも、だいぶ変わってくると思っています。こうやってみると外の世界は面白いことだらけなんですが、私自身が人が苦手なのでできるだけ、人通りの少ない時間帯に色んな発見をしたいですね(人が多いとそれに気を取られてしまうので…)。こうやって文章でみると、頭が多動っで感じがすごいしますね。目と思考が多動。視覚から受け取る情報が一番影響力が大きいからですかね。匂いがしなければ嗅覚はあまり働かないので。関係あるかは謎ですが、煙草嫌いなので煙草の臭いには人一倍敏感です。すれ違いざまに臭うとすぐさま振り返ってガン見して心の中で罵詈雑言を浴びせています。喫煙者の共通のスタイルは、煙草を右手に、火をつけた部分を後ろにして太ももの辺りに置いてる、です。控えめに言って最悪最低なので早く罰されてほしい。

話が逸れました。私は割と春夏秋冬どの季節も好きなのですが、その理由が上記なんだと思います。ある意味日本を楽しめている。全体的に見ると日本の事はそんなに好きじゃないのですが、日本の四季や伝統や食や日本語はとても大好きです。いつか一人で日本各地を転々と旅行したいですね。一番好きな場所は京都なのですが、関西よりも南に行ったことがないので行ってみたいです。四国ならうどん県こと香川に行きたいし、中国地方なら広島か島根。名画の複製がたくさんある美術館が西のどこかにあったはずなのですが、そこにも行ってみたい。何気に関西方面って美術館がバラエティに富んでる気がします。美術の知識は全くないのですが絵画を眺めるのが好きなので、見に行きたいですね。夢が膨らむ。あとは童話村とか星の王子さまミュージアムとか。たのしみになってきた。

HSPの話

診察があったので、思い切って先生に「もっと詳しい検査をして、本当に発達障害なのか確かめたい」と言いました。簡単な心理テストや問診だけでは、どうしても納得できなかったからです。確かめるなら、とことんやりたい。残念ながら先生のところでは詳しい検査は行っていないようなので、詳しい検査をしてくれるところ(あるかどうかはわからないらしい?)を探して紹介状を書いてくださるとのこと。二週間先ですが、こうなったら全力で待つことにします。多少の出費はこの際勉強代として払う気でいるので、覚悟はしています。

本屋に立ち寄った際に、『HSP』についての軽い特集が組まれている棚がありました。初めて見る言葉でしたが本のタイトルを見た瞬間、なんとなく、自分の事だと思いました。すぐにネットで調べてみると、HSPとは「敏感で、感受性が強い人」の事を言うみたいです。五感が鋭くて、他人の機微に敏く気づいてしまう。簡易チェックはほぼ全て当てはまりました。気にしすぎる、気付きすぎてしまうせいで、自分への身体的・精神的負担が自然と大きくなってしまう。たとえ小さな問題だとしても大きく受け止めてしまって、それが自分を責める要因になって、最悪うつになってしまったりする。これも発達障害と同じで、きちんと認識して、自分の個性だと受け入れると良いという考えが大半でしたね(生まれついてのものですし、それもそうだよなと思ったり)。もしかしたらADHDHSPの合わせ技かもしれませんが、そうなると色々ややこしいけれど納得がいくようないかないような…。思えば家族の中で映画などを見ても一番に泣くのは私でしたし、共感性羞恥があるのはどうやら私だけみたいなんですよね…。共感性羞恥も感受性の強さゆえの現象だと思うので、少なからずHSPに関係している気がするんですが、私の思い過ごしですかね?

あ、ADHDの本も探してみたんですが、私が寄った本屋では子どもの発達障害についての本しか置いてありませんでした。悲しい。もっと大きな本屋に行けば、大人のADHDについての本も置いてあると思うので、今度また行ってみたいと思います。

だんだん、自分がどうなりたいかわからなくなってきて、ただ障害者とか、特異な性質を持った人間になりたいだけなんじゃないかとか、そんなことすら考えてしまって、本当に先に進んでいいのかわからなくて、葛藤する日が増えました。何度も普通でありたい、普通になりたいと思っていたのに、ふたを開けてみればこんな有様で、正直手に余ります。自分と向き合うためのブログなのに、自分から逃げたくて仕方がないです。でも、自分から逃げようとしたって逃げられるわけがないんだから、このまま進むしかないんですよね。

軽く冬の話

今日も元気に傷をこさえてしまいました、のなめななしです。包丁で指を切るという失態を犯してしまいましたが、傷は浅かったので治りも早そうです。こんな時間にこのブログを書いているという事は、早起きをする気は全くないという事です。意志薄弱すぎる。

ここ最近、趣味らしい趣味もやらなくなったなあと思って、自分が自由時間何をしているのかをふと考えてみたら、音楽を聴きながらスマホを弄ってるだけでした。出かけなければいけない時間ギリギリまで寝ていることが多いので、睡眠がダントツですかね。ビックリするほど虚無な生活をしているなと自覚しています。やりたいこと、やらなければいけないことが沢山あるのですが、やる気が一切起こらない。本当に空っぽになってしまったなあと感じます。せめて勉強は頑張ろうと思っていますが、行動に移すためで力尽きてしまう事もしばしばあります。きちんとタスクをこなしている人を素直に尊敬します。私には無理だ。

今日、外を歩いていると涙が滲んで、しかも頬を伝ってきてとても驚きました。目が潤むことはしばしばあったのですが、まさか流れてくるとは思わなかったので。あとで調べてみれば、ドライアイによるものだったので、乾燥には気を付けなければと強く思いました。乾燥肌な上に敏感肌なので、冬の乾燥はとてもつらいです。しかも末端冷え性なので、外出もつらいです(それだけが理由じゃないけれど)。なんとかならないかなあと思いつつ、乾燥防止のために加湿器の購入を検討しています。

昨晩、ふと思い立って家族への思いを書いてみました。思ってること、言いたいことなどを書き留めて、自分の中にある感謝の気持ちを改めて整理してみようと思ったのがきっかけでした。消してしまったのでそのデータはもうないのですが、母への想いを書いているうちにボロボロと泣いてしまって、いつか必ず伝えたいとは思いますが、感謝の気持ちと申し訳なさがごちゃ混ぜになって酷い文章になったことは覚えています。ちゃんと伝えなきゃなあと思いながらも、照れが勝ってしまうあたり私もまだまだですね。

癖と傷の話

私には、爪を噛む癖があります。これは本当に小さい時から、今はだいぶ落ち着きましたがたまにやってしまいます。なので爪を一生伸ばさないと決めていて、白いところが少しでも伸びると爪切りをしています。今はネイルオイルをしているので、噛むことも少なくなりました。たまに剥いてしまうことはありますが。

しかし今度は、指の皮をむくようになってしまいました。これは、小学校の時だったと思います。指の間にできたささくれを取りたくて、そうしているうちに癖みたいに、指の腹まで剥いていってしまって。指の皮が薄くなって、とても痛くて、でもまたやってしまって、痛いはずなのに、痛いとなんだか安心するというか、ちゃんと生きてるんだなと思える自分がいて、一番酷かったのは高校時代でしたかね。あと薄皮一枚、みたいな状態にしてしまって、流石に痛すぎて絆創膏を張って過ごしたことを覚えています。今現在もそれを繰り返しています。更に今は食いしばりと内頬を噛む癖までつきそうで、心中穏やかではないです。書いていくとわかりやすいのですが、思った以上にストレスを抱えているみたいです。

仕事上油やホテルパンを扱う事が多いのですが、縁で指を切ってしまったり、火傷をしてしまい指の付け根などに火傷痕ができてしまったり。気づかないことも多々あって、家に帰ってから「あ、こんなところに切り傷が…」となることが多いです。火傷をしてしまっても、ずっと冷やすことはできないので、さっと水で冷やしてから、水膨れになっていく感覚を不快に思いつつ仕事をしている感じです。自分の身体がどう傷つこうがどうでもいいのも悪いんですかね。そんなスタンスでいるから、足に沢山ある痣は消える気配を見せないし、むしろ増えていくんですかね。

こんな私にも、手をきれいにしようとした時期がありまして、毎日ちゃんとハンドクリームを塗り、爪を伸ばしてネイルを塗る、みたいなことをしていました。が、長い爪はすぐに折れるし邪魔くさいし不便だという結論を自分の中でつけて、今の短い爪で過ごしています。

切り傷と火傷の痕が一目でわかるほどについていて、皮が剥けた状態の醜い両手で、私は今過ごしています。これで乾燥して手の甲から血が噴き出る事態になったら本当に大惨事なので、せめてハンドクリームを塗ることは習慣化していきたい所存です。

こんなに傷が定期的に出来るのに、未だ大きな傷や病気で入院・手術をしたことがないのは、逆に不思議だなと思っています。そんなことがないように、せめて身体は元気に過ごしたいです。