なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考な人間の、自分を見つめ直す為のブログです。

雑談

コンサータの副作用で問題なのは喉の渇きよりも動悸かもしれない、と考え始めました。喉の渇きは飲み物を飲めば何とかなりますが、動悸の対処法を私はあまり知りません。心臓の音が強く響いて、うまく言葉に出来ないのですが、気持ち悪くなってしまいます。気になりすぎて作業等がスムーズにいかなくなったり。気の持ちようかもしれませんが。

 

先日、神社に初詣をしてきました。おみくじは大吉だったので満足です。占いや診断系のものは娯楽として好きなので、当てはまっても当てはまらなくても、やるのは楽しいし好きです。そういえば、性格判断等を何個もやったのですが、その度に「お前は社会不適合者だ」と高々に言われている気がして苦笑を浮かべざるを得ませんでした。恋愛には圧倒的に向いてない、似合う職業は家庭人か芸術家(いわゆる社会に馴染めない人が当てはまる職業ですよね…)、お金も稼げない、etc…。改善しようとする向上心もない、とか、正直その通り過ぎて笑うしかなかったのですが。ただ、感受性や他人への理解、気遣いの部分では高い評価を貰ったのでちょっと嬉しかったです。他人に理解されない自覚は十分にあるので、そこを改善したいと思うかどうかかなとも思います。

段々普通への憧れが薄くなっているというか、もしかしなくても自分は凡庸な人間なのでは、と思い始めてきました。理由はよく解らないのですが。社会に馴染めていないという意味では普通ではないですけど。才能に溢れているわけではないし、普通でないと思っている部分はほとんどマイナス面なので、普通になろうとする方が寧ろ精神的に良い事なのかもしれないですけど。

不器用な話。

ここ数日、精神的に良い日が続いています。調子が良い…。いつもは一日おきに気分が浮いたり沈んだりしていたのですが、今回は数日間、特に沈むことなく過ごせています。このまま調子が上がっていけばいいなと思うのですが、何気ないきっかけで一気に沈むことは目に見えているので、その準備をしつつ調子がいい時に出来ることをしたいなと思っています。

 

話は変わるのですが、私は超絶不器用です。手先もだし、性格的にも。なんとか克服したい!と思ってネットで検索してみたのですが、「ピアノ、キーボードのタイピング、折り紙」が例に挙げられていました。私は中学までピアノを習っていましたし、小学生時代からタイピングをやっています(ブラインドタッチが出来る程度ですが)。確かに折り紙は苦手で、鶴ぐらいしか折れませんが…。料理も良いらしいですが、私はそこそこやっていても全く上達する素振りを見せません。考えながら、イメージしながらやっているつもりでも、実際は全然うまくいかなくて、イメージから少しでも離れると慌ててしまうんですよね。それが問題なのかもしれません。

『不器用な人の特徴』みたいなサイトに書かれていたことは全て当てはまっていて、ぐうの音も出ませんでした。段取りを考えるのが苦手、自分に自信がない、感情表現が乏しい、決断したことについて悩んでしまう、要点を抑えるのが苦手なせいで丁寧にすべきところと大まかにすべきところを間違えてしまう、等々。想定外の事に弱かったりするのも特徴らしいですね。そしてこの不器用さは発達障害にも繋がっているようで、サイトにその文字を見た瞬間変な笑いを漏らしてしまいました。

前々からこの手先の不器用さを直したいと思っていたのですが、最近、バイトでもスキルが少しずつ上がっていくのにつれて、「この不器用さを何とかしなければ」と強く思うようになっていきました。私の不器用さは周知のところではあるのですが、それにしたって酷すぎるんですよね、本当に。よく今まで生きてこれたなと他人事のように思ってしまいます。とりあえず、「イメージして、そのイメージを持ちながら、作業をする」事をトレーニングしていこうかなと考え中です。難しいですが頑張ります…。

愚直な話

自分を偽るということ、隠すということにどんな意味があって、意義があるのか、考えるようになりました。元々嘘を吐くことが苦手で嫌いなので、ありのままの自分でいることに意味があるとずっと考えていました。正直に、自分の考えを曲げることなく真っすぐでいること。よく考えてみれば、これこそが茨の道でしかなかったのですが。

 

偽る、隠す、という言葉は後ろめたいというか、マイナスな意味が大きいと思っていました。言葉というものは遍く紙一重ではあるとは思うのですが、こういった言葉も例外なくそうであると思えるようになりました。自分を偽ることは、相手に合わせること。人間関係に摩擦を生じさせずに円滑にさせるため、生きやすくするため、世間に馴染むため。少しでいいから自分を押し殺して、自分を表出さずに振舞うことが、世渡りには必要なのかなと、思うようになりました。

私は愚直とも言えるほどに馬鹿正直で、隠すことが苦手です。本当の自分を殺すぐらいなら、理解者も友達もいらないし、一人でいい。本当に愚直に、自分の、真っすぐでいたいという気持ちに、苦しめられていました。綺麗でもなく、清らかでもない。でも、そうでありたい。黒か白かで決められるのならば、白でありたい。そんなプライドなのか意地なのか、それとも潜在意識なのかわからないのですが。自分の汚さを認めたくないから、綺麗でありたいとおもうから、真っすぐでいたかった。こんなこと一つで悩むのもどうかと思うのですが。

 

話は変わりますが、よく、「100点じゃなくてもいい、70点80点の、高得点を目指せばいい」という言葉をよく見ます。実際、バイト先などでも聞いたりしました。私はその言葉を聞くたびに「それでも100点を目指したい」と思うのです。義務教育時の成績が良かったせいですけど、過去の栄光を未だに引きずっている自覚があります。目指すだけなら誰だってできる。100点を目指しても30点なんてザラだろうし。それでも、100点を目指したい気持ちを持つことは間違いではないと思うのです。誰も目指すな、なんて言わないでしょうし、目指すだけならタダですし。

 

話を戻します。なぜこんなことを考えるようになったのかというと、友人と話していた時にふと「ありのままの自分を見せるって、怖いな」とおもったのです。本当の自分を見せるということは、相手に弱みを直接教えることにもなり得るということに気が付いてしまったのです。ただの処世術としてしか見ていなかったのですが、実際は自分を守るための手段でもあるのかなと。年齢を重ねるごとにやはり人と上手く接しようと考えてしまうので(成功は極僅かですが)、無意識に当り障りない態度を取ってはいるのですが。ただやっぱり、自分には正直でありたいという気持ちが大きくて、自分が思っている以上に、自分は愚直な人間なんだなと思い知らされました。自分の愚直さを他人に見せない方法を考える方向にシフトすべきなのかもしれません。

考えれば考えるほど、私はまだまだ子供なんだなぁ。もっと、大人になりたい。

副作用の話

呼吸がうまくできません。コンサータを飲んだ時に起こる症状なのですが、空気がうまく肺のなかに入らないというか、喉元のあたりでモヤモヤが起こってしまいます。そのせいで、口の中に空気を入れて、口呼吸をしている感じになります。金魚みたいに口をパクパクと開閉させて、でも体の中にはちゃんと入っていないから、苦しい。コンサータを飲んだとき以外は起こらないのですが、副作用にはそんなことは書いてないので、動悸のうちの一つかなと思っています。

年末年始は仕事もなければ何もすることがなかったので休薬をしていたのですが、今日コンサータを飲んだら副作用が出ている気がしています。強いむかつきと、動悸と痺れ。食欲もなくなって、また痩せてしまうからそれはちゃんと食べないととは思っていますが。こう考えると、コンサータ飲んでも良いことないですね、今のとこ。飲んでない状態で仕事をしたときはまあ酷かったですけど、飲んだ後はちょっとマシになったかな程度で。本当に大丈夫かな自分。ポンコツ極まりないし、効率という言葉とは無縁なので。

コンサータを飲んで一番気になるのは、お腹が空いたのにご飯を食べたいと思わない事と、息がうまくできない事と、あほみたいに喉が渇くこと。現に、このブログを書いてる今も、呼吸の仕方が若干おかしい。マスクしてるせいかなとも思ったけど、関係ないみたいです。割と本気で悩んでいるので、先生に相談しようと思ってます。新しい病院も探さなければ。年始からやること山積みで大変です。

副作用と作用は比例するというし、副作用が出ているという事はちゃんと効いてるという事かなとも思うのですが、それを以てしても副作用が大きい気がしています。やっぱり良いことないな。飲むのやめちゃおうかなと思うのと同時に、やめた時に起こりえる、長期的に見た効果を失う可能性を考えてしまう。こういうのは長期的に見た方が良いとも思っているんですけどね。中々それが難しくて。今処方されているぶんは飲もうとは思っていますが。次の時に、睡眠薬だけ処方してもらおうかなぁ、どうしよう…。

振り返り。

近くのコンビニがすでに恵方巻の宣伝を始めていました。正月が過ぎれば節分シーズンですか、早いですね。

そういえば、去年の振り返りと言うものをしていなかったので、もう既に今更感がありますが、2017年をなんとなく振り返ってみることにします。

 

新しい生活が始まり、バイトもすぐ始めて、怒涛の上半期でした。勉強はそこそこ、バイトは驚くほど充実していた気がします。というか新人を酷使しすぎではないのか。

休み期間では親戚の家へ行ったり、友人と遊んだりしてましたかね。ただ、夏ごろが一番、うつがピークだった気がします。下半期は上半期以上に怒涛でした。色々ありすぎて何から話せばよいのやら。一番はやはり精神科への通院ですが、まさか好きな人が出来たりするなんて想像もしていなかったので。人生何があるかわからないですね。

 

軽くですが振り返ってみました。本当に軽い。とにかく一年がはやかった、というのが全体的な印象です。今年も多分はやいぞ。

 

私は占いが割と好きで、スピリチュアルなものもそこそこ好き(信じてはいない)なのですが、新年に起こる占いや運勢の諸々を読むのがとても楽しかったです。今年はどうやら仕事運や恋愛運がまあ良いらしいので、前向きにいきたいです。手相とかオーラとかも気になっているので、近いうちに占ってもらいたいなとか思ったり。

 

新年のお話

新年明けましておめでとうございます。本年もメンタルを削りながら、なんとか生きていこうと思います。

初夢を見た気がするのですが、初夢って確か今日見た夢のことなんですよね。アレはノーカンにして良いんでしょうね。蓋をした人の夢を見ました。嗚呼。

今年の目標は、「自分を認める」なので。自分を好きになれるよう日々精進しようと思います。というか、自分へ求めるハードルを低くしたらいいんじゃないかなあと考えたり考えなかったり。自分に期待しないという、まさに自尊心を低くしていく行為ではあるのですが、自分に期待してるから裏切られた(?)時のダメージが大きいのではないかと。

新年早々ネガティヴ思考なのはもうどうしようもないですね。精々のんびり過ごします。

体重の話

体重を計る機会があったのではかってみたのですが、一ヶ月に1kgのペースで痩せてたようです。ついこの前までは標準体型・体重だと思っていたのですが、気づけばガリガリに痩せていました。恐ろしい…。

元々高校までは太っていて、一番酷い時には60kgぐらいあったのですが、いつまでもその時の感覚ではいられないということですね。ストレスで太るタイプの人間だと思っていた事が拍車をかけたのでしょうか。感覚が狂っていくのを感じました。よく「50kgもある、もっと痩せなきゃ」みたいな事を言う女の子を見かけましたが、元々太っていると標準体型・体重がわからなくなって、とりあえず痩せておこう、みたいな思考に行き着くのかもしれません。私も実際、体重を計って大きな鏡で自分の体を見るまでは、普通だと思っていたので。「顔と体のバランスが合ってない」と言う言葉がぴったり当てはまります。怖い。

健康的に太ろう(体重を戻そう)と思います。5~10kgなんてただ太るだけならわけないので、ちゃんと運動をして筋肉をつけて、健康的に!太ります!

まさか私の人生の中で「太りたい」なんて思う日が来ようとは思いもしていなかったので本当に驚いています。「痩せたい」ならアホみたいに繰り返してましたけど。

骨粗鬆症にだけは気をつけます、本当に。