なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

恐怖心の話

気付いた時には、漠然とした恐怖心を抱いていました。いつからか、もう忘れてしまったけれど。私は、何かに、怯えていました。その正体は、あまりにも然としすぎているのですけどね。

人が怖いと思ったのは、小学校高学年、特に五六年の時だったと思います。一緒に遊べないと拗ねて体育館の端っこで座り込んで、話しかけてくれるのを待っているような、面倒な女でした。

その頃は漠然と、「ひとり」でいることが怖かったんだと思います。

今は、違います。評価をしながら、私の事を見つめてくる人たちが怖いです。私の仕事の仕方、人との接し方、私の態度。それらを見て、私に一定の価値を与えてくる人たちが怖いです。

私は、人に見られることが好きではありません。自分の作業を、自分よりも上にいる人に見られることが、恥ずかしくて、どうしようもなくなります。

慣れなきゃいけないとも、もっと自分に自信を持てるようになりたいとも思うんですがね。難しい。というか、今一緒にやっている人が気まぐれなのも怖いと思ってしまう。考え事をしているといき、お腹がすいたとか、眠いとか、そんなときに黙る癖があることは知っています。けれど、受け答えをしている最中に冷たくなる理由がわからない。その次の日はだいたい優しく接してくるのも、わかんない、私の事嫌いだと思ってるのなら嫌いだって言ってほしいよ。私は好きだけど。わがままだと思いますか。蓋をするなんて言っておいて、全然できてないし。いっそ告白してしまえば楽になれるんでしょうか。振ってくれればいのに。一回振られたらわたしそれからふつうに接せられる自信けっこうあるんですけどね。

振ってくれないかな。というか、告白したいなあ。連絡先も知らないあの人に、思い切って言うのもありだね。ただ、年明けまで会えないからいつ言おうか悩むなあ。そのまえに、あっちが時々すごい冷たくなる理由も気になるところ。ああ、あたまがはたらかない。、

雑談

クリスマスが終わり、一気に年末ムードになりますね。手のひらがコロコロ転がっていくような日本のこの風習、嫌いじゃないです。

私は結局バイトと課題で三日間駆け抜けました。性の六時間にも起きていましたよ、ええ。パソコンと睨めっこしながらひたすら増えるタブを見たり消したりを繰り返していました。ふと前回の記事の日付を見て、課題の真っ最中だったこともあり「ブログなんてやってんじゃねえ!」と自分で自分にキレてしまったり。ただ、クリスマスシーズンの男女二人組を見てなんだか心がむずむずする時期は過ぎ去ったかなと思い、安堵しています。ただ年末も恋人同士で過ごすとかあるのでしょうかね、やっぱり。

 

次回の診察が年明けということもあって、薬を休み期間中飲み続けようか悩んでいます。休薬でもいいかなと思いながら、睡眠薬だけ飲もうかなと。

 

18mgは残念ながらもう慣れてしまったようなので、薬を増やすか、断薬かをしたいなと思っています。他の病院の目星をつけてみたものの、年末だし、やってないだろうし(調べてはいませんが)、電話をする勇気がありません。なんて言えばいいんですかね。「発達障害の詳しい検査をしたいのでそちらの病院に行きたい」みたいなことですかね?わからない……。とにもかくにも、年末はそれなりにゆっくりできそうなので、ゆっくりのんびり過ごしたいなあと思ったり。実家の近所周辺をカメラを持って出歩いても楽しそうです。

クリスマスの話

ジングルベルジングルベル、鈴が鳴っています。三時間まえは天皇誕生日でしたね。私は休暇前最後の課題群に必死になっていました。土曜日だし言ってしまえば普通の休日なのに皆出かけるの好きすぎじゃないですかね。私は人が多いのが苦手なので、車の行列を見るだけで嫌気がさします。

さて、日付が変わって本日はクリスマスイブです。予定ですか?ないです。蓋をした想いの中にいるあの人と一瞬でも一緒に過ごせる(仕事ですが)だけでも儲けものですかね。クリスマスも何もないので、まあ学生なんてそんなものだよなと思いつつ。クリスマスって小学生あたりまでしか楽しめないと思うんですよね。サンタを信じているか、そろそろ正体が判明してしまうか、ぐらいのお年頃が一番楽しい。中学以降は単にほしいものを頼むので可愛げないですよね。精神的に一番ませてるような気がします。高校生にもなればクリスマスプレゼントはもうなかったりするのである意味冷めてますよね。友達と過ごしたり、恋人と過ごしたり、そんな感じだと思います(適当)。

成人を過ぎれば、逆にサンタやクリスマスを楽しめるようになったりすると思うんですよね。子供の純粋さを守る側に回るからなのか、精神的に成熟して「サンタ?そんなのいないでしょ」とある意味大人ぶるような態度を取らないからなのか。「楽しめるものは楽しんでおけ」の精神が一番お得ではありますよね。ただ、クリスマスは恋人と過ごすみたいな風潮は正直好きじゃないです。独り身の負け惜しみと思われるかもしれませんね、何せもう一生縁のないであろうイベントなので。生クリームがダメなので、ケーキも食べることもできないし、スーパーに売ってあるターキーでも食べて一人寂しく課題とクリスマスイブを過ごそうと思います。

ああ、お酒が飲みたい。

嫌煙家がリラックスパイポを買った話。

昨日から急に煙草を吸いたくなったのですが、私は昔から煙草が嫌いです。なので、この謎の衝動に駆られた事にとても驚いています。なんとか理性を働かせてコンビニの横を素通りしたのですが、初心者向けの煙草を検索したりして、だいぶ頭がやられていました。本当になんで吸いたくなったのかわからなくて、理由もわからず悶々としています。きっとストレスや空腹のせいだと思い、ご飯を食べて落ち着いたのですが、ふと立ち寄ったコンビニの、レジの後ろにある煙草の棚を見つめては(何番って言えば煙草が買えるのか……どれが何番なんだ……)なんて思っていました。一歩間違えれば購入していたかもしれないと思うと、怖いですね。

そんな感じでライターを見繕うためにうろついていた時に、リラックスパイポを発見しました。ストレスに、と箱に書いてあり、「これだ!」と思い速攻で買いました。後から中国産だと知って少しだけ後悔しましたが。

帰宅して、早速吸ってみました。口の中が強い清涼感で満たされて、ちょっと面白かったです。喫煙者はこれを味わっているのだろうか……と思いながら咥えパイポをしていました。そういえばストローや箸を咥える癖があった事を思い出して、どうして煙草を吸いたくなったのかなんとなくわかった気がしました。

喫煙者の気持ちを理解するため、人体実験のため、なんて自分に言い訳して煙草を吸おうとしていた自分がわからないです。

もしまたこんな衝動に駆られた時のために、禁煙用の電子フレーバーを購入しようかななんて考えていますが、これも広義的に喫煙になるんでしょうか……。正直ガムや飴では口寂しさは解消されませんし、でも煙草は嫌いなので、なにかいい方法はないかなあと思っています。個人的にはVITAFULが気になっています。

vitaful.jp

国産な上にニコチン、タール0。リラックス系のアイテムとしては良いのではないかなと思っています。レビューも評判良いっぽいし。ただ、これを吸う事によって本物の煙草を吸いたくなってしまう可能性がある、という言葉も見かけたので、少し悩んでいます。ただ、私は本当に煙草が大嫌いなのでその心配は少ないかなぁと高を括ってみたり。もう少しでクリスマスですし、自分へのプレゼントに購入してみるのもアリかもしれませんね。

写真撮影の話

私が今現在続けられている数少ない趣味の一つに写真撮影があります。小学生ぐらいの時から写真を撮ることが好きで、当時は家にあったデジカメや使い捨てカメラなどを使って主に植物の写真を撮影していました(長期休みの自由研究の一環としてやっていたこともありました)。本格的に興味を持ち始めたのは高校卒業後でしたが、デジカメやスマホで撮影することがとても好きでした。最初はただ単に、綺麗に被写体を収めることが楽しかったからなのですが、私自身は写真を撮られるのが好きではなく、撮影側に回れば撮られずに済む、と思ったことから写真撮影を始めました。今でも被写体側になるのは得意ではないですが、思い出として自分が残らない事に少し後悔することもありました。カメラは一人でできる趣味なので、ふと思い立った時に撮りに行けることが続けられる理由かもしれません。風景や植物写真を撮ることが好きなので外へ行くことが比較的多いのですが、室内にある置物やフィギュアの撮影をしてもいます。こっちは完全に『練習」扱いですけどね。

買った当初は軽い趣味程度に始めようと思ったので、当時初心者にはお勧めだと言われていたOLYMPUSのPEN Lite E-PL06を使用しています。安いという理由で普通のレンズキットを選択した結果、今はズームレンズが欲しくて仕方がないです。紆余曲折を経て交換レンズを購入したり、イメージ通りの撮り方の研究をしたりしています。カメラ用語はさっぱりなのですが。私はリアル寄りの写真を撮りたい人間なので、原色が強く出るこのカメラとはあまり相性が良くないのかなと思っていたりしたのですが、今はこのカメラで引き出せる被写体の魅力と、私のイメージが合致したら良いなと思っています。

レンズの情報などは主にネットで仕入れているのですが、本体は消耗品だけどレンズはそうじゃないとあったので、もし今の機種がダメになってしまったら、OM-Dの方を検討してみようかなと考えたり。それまで続いているかはわかりませんが。

とりあえず今は、家の周りやちょっと遠出した際にカメラと一緒に出掛ける生活をしています。もうすぐ冬休みだったり春休みだったりが来るので、もっと撮影する機会ができたらいいなぁ。あと、京都が好きなので京都に行きたいです。もう三回ほど行ってはいるのですが、何度でも行きたいです。

なんでもないひと。

診察に行ってきました。結果から言うと、何もありませんでした。紹介状もなければ、検査をしてくれそうな他の病院の紹介も曖昧で。終いには「知能的には問題ないと思うんだけどね」と。私もそう思います。でも、じゃあ、私はなんなんだ。どうしてコンサータを毎日飲んで過ごしているんだ。先生が一応言ってくれた病院を調べてみると、評判はあまり良いとは言えず、発達障害の診断をやっているかさえわからない状態でした(先生は心理士の方がいるからテストができるだろうとはおっしゃっていましたが)。煮え切らないまま、また薬の処方だけしてもらい終わりました。

 

私はいったいなんなんだ?

 

そんな言葉が浮かびました。ADHDと診断されたものの、本当にそうかは未だ確信に至れずにいる。だからと言って、抑うつや不安障害があるので健常者とは言い難い。健常者でも障害者でもない、宙ぶらりんな状態でいる。

自分では、限りなく健常者よりのAHDH、だと思っています。所謂グレーゾーンというやつ。健常者というにはあまりにも欠陥している部分が多くて、発達障害と呼ぶには症状が小さすぎるんだと思います。全部、あくまでも予想の範疇を越えないのですが。

別にグレーでも曖昧でもいいじゃないかと思うでしょう。人によって症状は違うのだし、自分が生きたいよう、そうだと思うように振舞えばいいじゃないかと思うでしょう。私もそう思いたいです。けれど、私は、自分の中にある曖昧さを許すことが難しいのです。全部区切りをつけて、白と黒で分けてしまいたいんです。自分の事は理解できていないけれど、自分の性格は解っているつもりです。この性格のせいで生きづらい事が沢山ありました。そもそも私は余りにも、今を生きるには難しい性格と性質を持っていると自負しています。それでも曲げたくないから、はっきり出来る検査をしたいと思っています。私が住んでる地域って、なんか全体的に遅れているので(都市部なのに…)探すのにまた時間がかかるかもしれませんが、自分が少しでも生きやすくなるように尽力したいと思います。

楽しい人

楽しい人が好きです。私が楽しくない人間だから、自分にないものを持っているのが羨ましいのかもしれない。そう思っていました。

楽しい人って、何気ない話をしていても楽しく過ごせる人だと思うんです。人によって「楽しい」話題は違うから、それぞれ「楽しい」人の基準は違うんじゃないかと思うようになりました。笑わせてきたり、面白い話で場を盛り上げるだけじゃなくて、真剣な話をしていても、充実しているな、楽しいなと思える人。そんな人だと思うようになりました。だから私が「楽しい、面白い」と思う人の事を「楽しくない、面白くない」と否定されても仕方ないと思うんです。その人にとっては楽しくも面白くもない人でしかないから。

私と一緒にいて楽しいと思ってくれる人がいてくれるのなら嬉しいのですが、一体どこにいるのでしょうかね。