なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

意思表示の話

周りの環境もなんとか落ち着いたので、ブログ更新再開しようと思います。

今回は、なんとなーく「会話」とか「感情表現」に似た話になりそうな気がしていますが、簡潔に言えば「自分の思っていることを素直に表に出せるか」の話です。ので、ちょっと似て非なる感じにできたらいいな……。

意思表示についての考え方、というものが変わってきたような気がしています。再三いうようで申し訳ないのですが、私は会話と人付き合いが苦手です。これはすなわち、人に自分の意思を示すことが苦手、ということに繋がると思います。成人してから、人に自分の思っていることを伝えるというのは、とても難しくて、かつ、怖いものである、と感じるようになりました。受け入れてもらえなかったら、批判されたら、否定されたらどうしよう、という不安に襲われてしまうんです。これは、私の問題であるので誰に当てはまるというものではないと思うのですが。

私は、自分の意見を受け入れてほしくて、間違いであるということを認めてアップデートをすることをとても恐れていました。回避性パーソナリティ障害にも似た症状だなと思います。というかそうなのかな。昔から、失敗とか、ミスとかを知られるのが恥ずかしくて、必死に隠すような人間でした。そういうことの繰り返しで、いつの間にか自分の意思を伝えることで、相手にどう思われるかわからないのが怖くて、伝えられないというのがあります。

ただ、一回吹っ切れてしまえば、失敗してもミスをしても開き直ってしまう性格だし、親しい人に対しては自分の意思を表にするので、そこまで問題ないのかなと思ってたりしたのですが、文章にすると完全にそれですね。

高校の時、倫理の教科書で見かけた「ジョハリの窓」が今でも印象に残っていまして。これは、自分も他人も知っている自己である「開放の窓」の枠を大きくしていく、というもので(詳しくは検索してくれたらと思います)、私は今までこの「開放の窓」を大きくしていこう、という意識をしていたんです。自己分析を行うにあたって、自分自身を知らなければ意味がないので。いつか、自己分析の話でもしましょうかね。というか、このブログが一種の「自己分析」だなあと感じています。結構自分で読み返したりするので……。

話が逸れましたが、今の私は、自分の意思を表にすることが怖い反面、知ってほしいという矛盾に悩まされているんですよね。自分の考えなんか誰に大した影響を与えたりしないんだから素直に言っていいじゃん、と思ったりするかもしれません。ある意味自意識過剰だと思うでしょう。違うんです。私は、相手の反応を見た時、自分に負の感情が生まれることが嫌なんです。「言ってよかった」となるか「言わなきゃよかった」となるかは、発言しなければわかりません。私は、この二分の一の「言わなきゃよかった」となるのが、たまらなく嫌なんです。だから、表にしたくないんです。こんなだから、段々自分の意見を表にすることが減って、相手にされなくなったり、嫌われたり、不審がられたりするんですよね。悪循環。

駄目ならいっそ、一人の方がいい。だから色んな場所から逃げようとしてしまうんですよね。辛うじて、現状の改善を目指しているから、留まっているだけなんです。もし、今の自分を全部受け入れて、もっともっと逃げていい、という風になったら、多分全部のコミュニティを閉じて一生引きこもるか、死ぬか、どちらかになると思います。極端ですかね。でもそのぐらいには、自分を奮い立たせて、今を生きていると思います。もし、自分に完全に素直になっていい、と思ったら、学校辞めて、サークルもバイトも辞めて、告白して、旅行して全財産使いきって、やりたいこと全部やって、死にたい。…ちょっと趣旨がずれてますかね?

臆病な自分が嫌です。でも、他人を傷つけてしまうことはもっと嫌です。傷つけずに済むなら、そうしたいし、自分が傷ついて解決するなら、その方がマシだなと思います。極端なのは、もうそういう性質なので。

せめてこのブログでは、私の素直な言葉で、意思表示をしたいです。ちょっと綺麗ごとだったりするかもしれませんが、できるだけ、本心を書きたいので。

一応言っておくと、自殺願望は少なからず抱いていますが、破滅願望とかはないです。本当です。ただドMなのは認めます。

生存報告

こんにちは、被災者になってしまった野滑です。

いやー、突然のことすぎて実感が全く無い。非日常感、というんですか。漠然とした恐怖心と不安感が漂っている感じですかね。ストレス耐久値が低いのと、緊急事態に弱いので完全にダブルパンチですね。はーどっこいしょ。

幸いにして、電気と水は復旧したので一安心なのですが、ニュースに映る他の被災地の現状を見て、もう、心がやられそうです。また、いつ大きな地震がくるかわからないので、それによる不安もあります。夜寝る際に、余震がくると、一層不安が煽られて、もう泣きそうでした。というか泣きました。誰かに電話をしたい衝動を必死に抑えながら、いつのまにか寝てしまっていました。救急車と消防車の音がいつにも増して多い気がします。胃が痛い。

ということで、落ち着くまでブログの更新は控えさせてもらいます。書きたいことはたくさんあるけど、ちょっと今は余裕がない。自分がこんなに臆病だとは思わなかった。

一応無事ですよ、の報告でした(そもそも出身地を明かしてなかった気がしますが、まあそれはそれで)。ツイッターの方ではブツブツ呟いていると思います。全部が落ち着いたら、またしれっと更新していくつもりなので、よろしければお付き合いください。

高校時代の話

何をするにもやる気が出ない、いつも通り虚無な野滑です、どうも。

今日は、なんとなく高校時代の話を書こうと思います。身バレしない程度に。

私、高校に良い思い出はあまりないです。部活動が楽しかったことと、恩師に出会えたこと。それぐらいですかね。それ以外は、嫌いともいえるレベルでした。

わかりやすく虐められたことはないですが、孤立したことはあります。暴言を吐かれたことも、見た目について言及されたこともあります。確かに私の見た目は悪いですし、口も悪いですし、きっと振る舞いも良くはなかったんでしょう。

高校時代、中学までの人と同じクラスになったことはありませんでした。クラスで孤立して、一人で大人しくしているのを中学時代の友人に「野滑らしくない」と言われたこともありました。

一年生の時には、担任を含めたクラスメイトのほとんどの事が嫌いでした。形だけ仲がいいように振舞っているような雰囲気がとても嫌いでした。捻くれてると思うでしょうか。でも、事実だと感じています。というか、私が嫌われていたのかなあと、薄っすらですが思います。今でも記憶に残っているのが、同じ苗字の女子が二人いた時に「何て呼べばいい?」と訊いた時、「そのまま(苗字)でいい」と即答された、というものです。もう、どうしたらいいかわからなくて、苦笑いを浮かべるほかなかったです。それ以来まともに喋った記憶がないので、まあ、もういいんですけど。

二年生でクラスが変わって、なんとなく会話をする人はいたものの、やっぱりクラスでは浮いていて。というか、ちょっと宗教じみたクラスだったんですよね。担任が正しくて、担任に従えば間違いない、みたいな雰囲気で。確かにすごい人だとは思ったけど、私は別に特別担任に思い入れはありません。

私のある振る舞いがきっかけで、一時期とてもいじられた(便宜上)ことがありまして。一歩間違えていたら、不登校になっていたと思います。部活動が楽しかったし、変に真面目だったので、体調不良以外で学校を休みたくなかったのもあって、卒業までちゃんと出席しましたが。

勿論いい人もいましたし、私によくしてくれた人もいました。けど、総合的に見ると、やっぱりいい思い出は少ないです。

余談なのですが、一年生の時に、クラスメイトから嫌われていた男子がいました(私は正直どうとも思っていなかった)。その男子にさえバカにされたことがありまして。彼の、私を見下すような発言を聞いた瞬間、心の中で爆笑してしまいましたね。「私のことを見下してるけど、お前、皆から嫌われてるぞ!」と、大声で言ってやりたくなったこともあります。こういうところが、性格悪いなあと思います。

思えば、クラス替えをしたときにも、嫌われていた人たちがいたな。誰かにヘイトを集めないと、やってられないんですかね。静かなスクールカーストでした。私は完全にヘイトを集められる側だったなあ。こう書いてみると、メンタルがズタボロになりながらも平静を装って三年間学校に通っていた自分偉いな。

高校時代の私は今よりも真面目で、不正とか、自分が嫌な事、間違っていると思うことに敏感で、それを正直に伝えるような、本当に愚直な人間でした。泥臭かった。今思えば、本当によくそんな振る舞いで三年間腐らずいられたなと、感心してしまう。頑張ったなあ、当時の私。

そんな高校を経て、少しだけ考えを広く持つことができた自分がいる、と思えば、高校時代も悪いものではなかったかもしれませんね。同窓会等に参加するつもりはありませんけど。

変わってる話

皆さんの近くには、絵に描いたような「変わり者」はいますでしょうか。自分自身が変だということは自覚しているほどなのですが、周りも負けず劣らず、という感じがしています。類は友を呼ぶ現象。

自分は変わっている、というと誤解やら何やらを生みそうで少し怖いですが、このブログを読んでくださっている方(がいるかどうかはわかりませんが)ならちょっとは理解してくれるかな、とか甘えてみたり。というか、発達障害な時点で普通ではないですね、はい。

具体的にどう変わっているかなんていうのは説明しづらいのですが、生き方だったり価値観だったり性格だったり癖だったり、そういった総合的なものなのかなという気がしています。本当のことを言うと、自分がどう変なのかはわかっていないんですよね。ただただ、自分が「普通じゃない」ことだけ自覚しているというか。

もしかしたら、実は私は変わってなんかいなくて、どこにでもいる普通の人間で。ただ自分が周りとは違って、「個性的」であると思い込むことでアイデンティティを保ちたいだけの人間なのだとしたら、それはそれで構わないかなと思っています。他人から見れば普通の人間なら、その方がいいとさえ思います。でもそうだとしたら、私ってただの痛い奴なのでは……。

まあ、自分が変だということを自覚している理由としては、人間社会に馴染めないから、というのもありますかね。社会的に見て、普遍的ではないというか。会社に入社しても、ハブられて孤立する姿が目に浮かびます。人に合わせきることが苦手というか、途中で力尽きて一人になろうとする傾向があるんですよね。周りに合わせることのなにが良いのかとか、わからないわけではないのですが、自分の意思を殺してまで協調しようとは思いません。

こうしてみると、協調性という部分で、私の問題が浮き彫りになってきたりしますかね。協調性のない人間って、完全に輪から外されますし。でも私、そんなに協調性がないとは思ってないんですよね。一応雰囲気を読むのは出来るはず(自信はない)ですし、すぐ済むのであれば、周りに合わせたりもしますし。

趣味というか性質というか、自己分析をする機会が結構あるんですが、何度考えても、自分というものがいまいち見えてこなくてですね。把握しきれないんですよね。「自分」という存在を、できれば全部を、理解しておきたいなと思っているのですが、中々難しいです。悪い部分も良い部分も、冷静に見つめていたいなと思うんですよね。以前ほど自分の事は嫌いではないので、また自己分析が進むかもしれません。

余談なのですが、高校時代の恩師に「(部内では)お前が一番変わってる」と言わしめるほど、当時の私は変だったらしいです。それがちょっと嬉しかった自分も、相当アレなのですが。それから、友人に「自分はどこが変なのか」と聞くと、「いや、変ではないと思うよ」と返されることが結構あるので、もしかしたら、やっぱり、私は自分を「変わってる」と思いたいだけの「普通」の人間なのかもしれません。ただ、はじめにも書いた通り、「類は友を呼ぶ」ので、友人の「普通」発言を鵜呑みにするわけにもいかないかな、とか。

あれ、こう書いてると、やっぱり「自分は変わってる」と思いたいだけなのか?という感じがしますね。混乱してきました。この手の話は水掛け論というか、終わりが見えてこないので、テーマにすべきではなかったかもしれません。まあ、終わりの見えない話ばかり書いているので、今更ですかね。

活動力の話

二度寝も大好きな野滑です、どうも。

ベッドの上でゴロゴロしていたら、いつの間にか寝ていることが多いです。というか、一度外出して帰ってきたころにはもう既に体力が底をついているのか、速攻で眠りについてしまうことが多々あります。単純に体力がないのか、燃費が悪いのか、理由はわかりませんが、活動的でいられないことが多いです。

以前、友人と猫カフェに行った時も、前日がバイトだったのもあり、途中で力尽きて猫カフェのソファに座ったまま寝てしまうことがありました。やっぱり睡眠不足のまま活動するのはよくないですね。

寝すぎても寝なさ過ぎてもうまく活動できないというポンコツ極まりない性質を持つ私なのですが、全部が全部無気力というわけでもなく、ちゃんと活動的に動けたこともあります。他人と比べると活動的ではないかもしれませんし、自分的にはもうちょっと動けたらいいとも思いますが、精一杯でもあります。

睡眠障害ではないので睡眠外来に赴くことはないと思っているのですが、ちょっとした悩みでもありますね。単純に、活動する時間が欲しいので。一方で、惰眠を貪ることの怠惰な幸福に浸ってしまうこともあるので、上手くスイッチを切り替えることができたら良いなあと思っていたり。

活発に活動できる人って、どこにそんなエネルギーを持っているのか、とても不思議なんですよね。皆で出かけたり、遊んだり、どうしたらそんなずっと楽しくエネルギッシュでいられるんですかね。私、どんなに楽しくても、割とすぐ体力が底をついてしまうので。気力でカバーできないんですよね……。ウェイウェイな雰囲気は得意ではないですが、少し羨ましいなと思ったり。

外出するのが嫌いなわけではないんですよ、友人と遊ぶのも好きですし。でも、天秤にかけた時に、一人でいることにどうしても傾いてしまうんですよね。昔よりは「集団」でいることを強いられなくなったとは思うので、多少は動きやすいかなぁ。

以前母とうどん屋へ入った時に、その前にも一人で行ったことがあると言ったら「よく一人で入れるね」と言われてしまいました。逆になんで一人で入れないの、と言いそうになりましたが、そういうものですよね。自分には理解しがたいこととかに「よくできるね」って言うの。字を書いてるだけなのに「よく左手で字書けるね」と言われたことがあります。君はよく右手で字書けるね、って言ってやりたかったなあ。

話が逸れました。大学を卒業するまでに、どこかへ遠出したいです。9月にちょうど連休が取れそうなので、カメラをもってどこかへ行きたいなあ。どこがいいですかね、あまり市内の観光地に行ったことがないので行ってみようかなあ。夏休みといえど、平日ならそんなに人もいないかもしれませんし。体力が持つことを祈りつつ、普段できない格好で出かけたいなあとか、考えてみたり。

体力を鍛えれば良いんですかね。でも鍛えたところで根っこの引きこもり体質が直らない限り無理な気もしています。

お酒の話

こんばんは、お酒を飲むのが好きなのなめです。

お酒を好きになったきっかけは、大人へのあこがれと、ノンアルコール飲料では味わえない美味しさに気づいてしまったから、ですかね。普段はカクテルだったり甘いお酒を飲むことが多いのですが、コークハイボールが好きなので、よく飲んでます。

一方で、お酒に強いかと言われるとそうじゃないんですよね。理性を保てるギリギリまで飲んで、あとは水をがぶ飲みしていくスタイルです。チェイサーって大事。お酒のやらかしは一度や二度ではないので、その都度反省をして、量だったりペースだったり空腹具合だったりを調整しています。

アルコール依存ではないのですが、お酒を飲めないと寂しいなあと思ってしまうことはあります。アルコールが好きな理由の一つに、缶や瓶のデザインが好きだから、というのもあります。お洒落なんですよね。だから気になって、手に取って、飲んでしまう。現在、家にはたくさんのチューハイ缶が眠っています。

家で飲むのも外で飲むのも好きですが、基本的には一人で飲むのが好きです。ゆっくり自分のペースで、自分の好きなように。ただ、一人のみって結構料金がバカにならないんですよねぇ。もっと一人で飲むのに優しい料金プランがあればいいのにな。

バイトが夜なのもあって、バイトが休みの日以外には飲まないようにしてるんですよね。そのせいか、週一で飲むか飲まないかぐらいの頻度になってしまって、余計に弱くなってる感じはあります。でも飲みたい。

いつかバーに一人で行ってみたいんですよね。浮かないようにバリバリお洒落して、大人の世界を覗き見するような感覚、というよりは単純にカクテルって綺麗な色のものが多いじゃないですか。それが飲みたいだけです。あとおつまみ。おつまみってナッツ系が多いイメージなんですけど、実際どうなんですかね?私はポテチをつまむのが好きです。

あまり人に隙を見せたくないので(可愛げないのは自覚しています)、やっぱり一人で飲むのが好きですかね。一人で飲めば、限度を越して飲むこともないですし。複数人で飲むと、どうしても警戒心が出たり、逆に楽しくなりすぎていきすぎちゃうことがあるので。

酒は飲んでも呑まれるな、吐くなら飲むな、飲むなら吐くな。これを信条にしながらお酒をたしなんでいます。無理な飲み方は色んな意味で危ないですしね。後悔してお酒が嫌になるレベルまで飲むことは、一生ないと思いますけど。思いたいですけど。

聞こえ方の話

イヤホンが手離せない日々を過ごしています。聴覚過敏かどうかわからないのですが、騒音が気になってしまうのと、他人の声を聞きたくないのがあって、外に出る時は基本的にイヤホンをつけて音楽を流しています。単純に音楽鑑賞が趣味なのもあって、猶更イヤホンが手離せないのです。そのせいで耳が悪くなってしまい、イヤホン難聴気味なのかなあと思っていたのですが、単純な聴力は然程悪くないはずなんですよね。

そこで、APDというものを知ったわけなのですが。相性の悪い声質とか喋り方とかってありますよね。私のバイト先の人が、相性悪い感じの喋り方で。早口だし、主語を言ってくれないし、理解しづらい。幸いにして「耳が悪い」ということは伝えてあるので、今では何度聞き返しても嫌な顔をされなくなったので、割と無遠慮に聞き返してしまったりしています。ありがたいとは思っているのですが、普段ではできないなとも思っています。

聴力障碍、とも言い切れないような、診断が難しい症状ですよね。何とも言えない。思えば昔から、何言っているのか聞き取れない事があって、でも聞き返しまくるのは申し訳ないなと思って笑って流したりすることが多かったです。これ、普通の人でも経験があるんじゃないですかね。なまじ人間関係云々が得意じゃなかったせいもあり、上手い会話術を身につけないまま、笑って流すことがたくさんありました。本当は聞き返したかったし、ちゃんと言葉を理解したかったし、何もないのに笑ったりしたくなかった。

社会に出てからが怖いです。何度も聞き返すわけにはいかないし、でも、理解できないと上手く仕事ができないだろうし。仕事を取るべきなら、何度でも聞き返す方が良いんでしょうね。それで不快感とか、嫌味とか言われてしまうのはもう仕方がないことと割り切るしかないですかね。根本的解決ではないですが、極力会話をしないで済む職場に就職したいです。