なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

不安障害の話

私のTwitterやプロフィールを覗いたことがある人はわかると思うのですが、二次障害に不安障害を抱えているらしいです。といっても、最初のクリニックでの診断なので、本当かどうかは少し怪しい(という表現をしていいものか)ですが。でも実際日常的に不安を抱えて生きているので、なくはないかなというような状態です。

今通っているところに改めて診察してもらってもいいかなとも考えているのですが、言い出すことが怖いなあと思ってしまったり。言ってしまって時間がとられてしまうのがなんとなく嫌で、言えずにいる状況です。そんなの気にしなくていいっていうのはわかっているし、そういうことを聞いて治療するのがあっちの仕事ってこともわかっているんですけどね。信頼しきれていないということかもしれません。

不安障害と言っても、色んな種類があって、自分がどれということは言われませんでした。個人的には強迫性か社会不安のどちらかかなあと思っています(多分社会不安障害かなあ)。拭いきれない漠然とした不安感とか、将来への不安とか悲観とか、そういうの諸々含めたら数えきれないほどの不安を抱えている自覚はあります。いつだって自信がなくて、怖くて、不安なんですよね。自分が思っていること、行動、言動は正しいのか、合っているのか、誰かを不快にさせていないか。コミュニケーションに正解はないことも、間違うことは必ずしも悪ではないことも、わかっています。わかっていても、怖いんです。正しくありたいと思うせいか、それとも優位でありたいだけなのかもしれません。

常に正しくありたいと思っていました。憧れるのはいつだって、自分の中の正しさを持つ人で、そこに偏見がない人で。そんな人間になりたいと思っていました。でも、私は人を見下すし、正しくはないし、勤勉でもなければ優等生でもない。社会への不安というよりは、自分の選択肢への不安というか。正しくなければいけないという不安なのかもしれません。でも社会への不安も少なからずあります。だって、私みたいな人間が社会で生き延びるには、仮面をかぶって精一杯演じなきゃ難しいと思うから。

いつも自分の中にある矛盾に苛まれて、自問自答して、自分を卑下して、また嫌いになって矛盾を抱えて、の無限ループから脱却できずにいます。ずっとこの思考でいたせいかもしれません。誰かに変なことを言って嫌な態度をとられても、すぐ切り替えることができないでいる。「私が悪かった、どう言えばよかったんだろう。変に思われたかな、嫌われたかな」と延々落ちこんで不安を抱えて。「もう済んだことだ、過去の事だ、切り替えて忘れよう」と思っても、ふとした瞬間に思い出してダメになる。どうしたらいいんでしょう。

明日、ちょうど通院日なんですよね。話してもいいのかもしれません。自分の中の不安とか、嫌悪感を少しでも和らげられるかもしれません。それすら怖いですが。

どうしてこうなのか、と聞かれても答えるのは難しい気がしています。強いて言うなら、恥をかくのが嫌だから、ですかね。羞恥心に強い嫌悪感を抱いているというか。うーん、難しい。いつもこう、解決しないで終わっちゃうのがもどかしいなあと思っているんですけどね、やっぱり糸口が見つけられません。

物欲の話

12月、まだ始まったばかりですが、既に厄月なのではないかと警戒態勢中です。もう色々ままならない。どうしてこうなったんでしょうか。考えても仕方がない気もしなくはないですが。

寒い時期になると、鍋が美味しくなりますね。鍋って便利だと思うんですよ。野菜も魚も肉も全部食べられて、温まって美味しいしお手軽。もう毎日鍋でもいいかもしれないなんて考えたり考えなかったり。鍋を作ること自体面倒くさく思ってしまうことがあるのはもう仕方ないことだと割り切ります。

さあ、12月になると、色々気になるものが出てきますよね。クリスマスプレゼントとか、年末とか。もうそろそろお年玉を貰える歳ではなくなってきたので、臨時収入は期待せずにいることにします。

クリスマスはぼっちもしくはバイトなことが確定しているので、もう色々割り切って、いいやと思っておきます。欲しいものがあるので稼ぎたいなあ。というか今月下手したら20万円近い出費が出る可能性があるんですよね。それは避けたいんですけど…怒られる…。なんでバランスよく出費できないんだろうと考えてしまいますね。でも今じゃないとダメなんですよね…。

欲しいもの、特に日用品類の購入を我慢する傾向はあるのですが、如何せん物欲の塊みたいな人間なので、欲しいと思った時に衝動買いしてしまうこともあります。なんだかんだ我慢できない。堪え性が効かないんですよね。甲斐性もない。仕方ない。

しばらくは服やコスメ類の購入は控えようと思っています。あと食費。多めに買い足してしまうことがあるので、そうならないようにしたいです。本と外食も控えよう。じゃないと本当に出費が酷いことになるんですよ…。買っちゃえばもう長く使う気満々ですが。何かというと、カメラです。買い換えを考えていて、ついに購入に踏み切ろうというところまできています。欲を言えばもう少し値下がってほしい。発売されたの三年前なんですけどね…。新機種が出ていないせいもあってか、中々下がらない印象があります。もう少しだけ待ってみようかなあ。

もうひとつの出費は、所謂スマホゲームです。私は某アイドルゲームが大好きなのですが、現在開催中のガシャに、私の好きな子が出てるんですよ…しかも限定で…。天井(最高)まで回してしまうと10万円近い数字がかかってしまうので、悩み中です。でも欲しい…。

小さいものは我慢できるのに、大きいものほど我慢できないのはなんなんでしょうね。「もう二度と手に入らないかもしれない」という焦りとか限定感に負けてしまうのでしょうか。過去にそれで虚無感と引き換えに手に入れたことがあるので、どうしようもないなあと思っています。これ、ギャンブルと理屈は一緒ですよね、多分。あと、お金が入ってると使いたくなってしまうんですよね。だからいつもギリギリまで財布の中身を軽くするようにしています。どうなんだこれ。

物欲センサーに引っかからないことを祈りつつ。いやでも私のガシャ運酷いんだよな…。

こびりつく話

悪い記憶が頭からこびりついて離れないことはありますか?私はしょっちゅうあります。過去の嫌な記憶で頭の中がいっぱいになった回数は数えきれないほどですし、忘れよう忘れようと考えてしまうから猶更離れずにこびりついたまま残ってしまうんですよね。しかも、気分が落ち込んている時ほど悪い記憶が甦って、こびりついてくる。嫌な話です。

人よりも気にしすぎて、相手が然程も気に留めないような内容だったりしても、私にとってはへこんでしまったりする出来事で。神経が図太いような振る舞いをするくせに、臆病で人の顔色を窺ってしまうんですよね。だからこそ、人一倍嫌なことが蓄積されていくのかなあ。

これの何が嫌って、なんでもない、ふとした時にも出てくるんですよ。本当に、何も考えてないタイミングで、明日の予定を思い出すみたいなノリで、嫌な記憶が再生されるんです。今だって、あやふやにしたい記憶が飛び飛びになって出てきそうになっているんです。タイピングをしていると気がまぎれるというか、書くことに集中しているから、全部を思い出すことはないし、思い出してもそんなにダメージはないんですよね、不思議。

忘れるには相手の顔や記憶をぼかしたりモザイクみたいな風にイメージしていくと段々消えていくらしい、というので実践はしています。音声はノイズ交じりな感じにして、ノイズを増やしていく。そうすることで、記憶が一時的に消えます。ただ、消そうとするたびに思い出すせいで、断片が記憶に残って全編再生、なんてこともザラにあります。もうこうなったら、自然に忘れることを待つしかないのかもしれない。

記憶消去ができるならしてみたいです。重要な記憶はすぐ忘れる癖に、嫌な事ばっかり覚えている。こんな記憶要らないです。劣等感と罪悪感と羞恥が混ざって、ますます自分の事が嫌いになってしまうから。

私の脳みその中は、ぐちゃぐちゃになった記憶と思考ががゴミ袋の中に詰まっていて、それが飽和状態になったゴミ部屋、みたいなイメージなんですよね。辛うじて汚れがこびりつかない程度の。ゴミ袋が破けたら、そこから侵食してダメになってしまうかもしれませんが。完璧に処理できずに無造作に投げ捨ててしまうから、ふとした瞬間に見つかって出てきてしまう。上手く分別して分けることができないから、簡単に掘り起こせるし、なんなら自分の意思とは関係なく掘り起こされてしまうんですよ。上記にも書きましたが、思い出した回数を重ねることでこびりついてしまって、忘れたくても忘れられなくなってしまうんですよ。

ああもう本当に、全部消してしまいたい。嫌な記憶の全部をどこかにやってしまいたい。残念ながらゴミ収集車もなければ焼却炉もないんですよ。永遠にゴミ溜めになっていく。処理ができない。脳みそのストッパーが役に立ってくれない。私の精神衛生に関わることなのに。

明日もまた悪い記憶を重ねるかと思うと嫌な気持ちでいっぱいになります。気にしないようになれたらいいんですけどね。異文化は馴染めない。

最期の月の話

12月に入りましたね。もう既に自分の中では年末ムードが漂っています。はやく来年になってほしいようなそうじゃないような。その前に山積みになりそうな課題類とかサークルの行事とかがありますけど、もう、死ぬ気で挑もうと思います。死にませんけど。

話は変わるのですが、ちょこちょこアクセス数が急に増えることがありまして。これはなんなんだ、と思い調べてみると「リファラスパム」という言葉が目に飛び込んできたので、Googleアナリティクスを導入して観察してみたんですよ。それで、29日にすごいアクセス数があって。見てみても、RifarralのところにはWiiUからのアクセス(これも怪しい)と、自分のアクセスぐらいしか見当たらなくて。これ、もしかして自分でアクセス数稼いでるんじゃ…?と疑心暗鬼状態です。これからも様子を見てみようとは思いますが。

自分で言うのもなんですが、未解決の問題についでダラダラ語るうえにあれこれと喚いているだけのブログなので、少しでもアクセス数が伸びてしまうとちょっと反応してしまうというか。ありがたいことなんですけどね。私だったらいわゆる「ヲチ」目的で見ちゃうかもしれないなと思いつつ。

年末は実家に戻ってゆっくりして、元旦からバイトをする予定です。圧倒的人不足。なんだかんだ一年以上続いているから、もう続けるしかないかなあと。一年前の今頃は辞めたい気持ちと自分への淡い期待で心がギシギシしてたなあ、と少し懐かしく思います。自分が続けている理由が不純すぎて可笑しくなることもありますが。

12月と言えばクリスマス。安定のクリぼっち確定な上にバイト詰めだろうことは予想済みです。あと普通に学校もある。恋人や大切な人とのクリスマスを夢に描かなかったと言えば嘘になりますが、そんなことを言ってられるような状況でもないというか。INFPの癖に一周回ってリアリストになりそうな予感。ただ、夢見たい気持ちは捨てられないので、そういうところなんだろうなと思っています。

平成最後、という言葉がより終わりを実感させるというか。平成最後の冬かあ。来年の年号はどうなるんでしょうね。カレンダーとかスケジュール系の業界のために勿体ぶらずに早く公表してほしかったなあという気持ちもありつつ、予想もしていないので、素直にどうなるのか気になっています。

二十歳を超えてから時の流れが速すぎて、自分の年齢どうこうを考えるのもすぐになくなるんだろうなとか考えてしまいます。まだ若いですが。体感的に同世代よりも物事を考えることが多いと思っているので、ちょっと達観しているのかもしれません。それでも、まだまだ子供染みているなあとも思ってしまうのですが。早く大人になりたいなあ。私の理想の大人は、自分らしくいられて自由で、でも考え方がしっかりしていて他人のことを思いやれる、余裕のある人です。中々にしてハードルが高いのですが、それはご愛嬌。

2018年最後の月、駆け抜けて生きましょう!

我慢の話

すっかり冷え込む毎日です。末端冷え性にはつらい時期です、本当に。

今回は、自分の性格について話せたらいいなあと思いまして。というのも、私、自分で言うのもなんだとは思うのですが、結構我慢強い性格なんですよね。時にやりすぎなぐらいに。

兄弟の中で年長ということもあり、「お姉ちゃん」であることを自覚して成長してきたこともあり、我慢は人並み以上にしてきた自覚はあります。面倒くさがりでものぐさなところが、この我慢強さを隠してきたというか。だから周囲にはあまり知られてない部分かなあと思っています。なんでこんなことを書くかというと、自分で自分の我慢強さを「頑張ってるなあ」と感じているからなんですけど。自分を褒めたいだけです、多分。

私の我慢強い所は、主に他人に対して出てきます。他の人の要望を通したり、愚痴を聞いても相手に自分の愚痴を言う事はなかったり、という部分が大きいです。あとは、自分の負担を受け容れたり。自分の中にある感情とかを抱え込んで、最大までため込むタイプの人間なのですが、今だ爆発したことはなく(記憶がある限りでは)。我ながら、自分の我慢強さ、というか理性に対して関心を抱いてしまいます。まあ、別に嫌々我慢しているわけではなく、「別にいいかなあ」ぐらいの気持ちでやっていることなんですよね。自分のことを他人の様に考えてしまうからこそできるというか。自分に対しての関心が薄いからこそ、我慢ができるんですよね。だって自分の事が大切だったら、自分が傷つくことを受け容れるようなことはしないはずなので。

希死念慮というか、死にたい気持ちになった時に対してもそうで。自分の中の感情がぐちゃぐちゃになって溢れだしそうな時にも、ぐっと耐えたりします。似たようなもので、物を壊してしまいたいとか、誰かに全部打ち明けてしまいたいとか、誰か、あるいは自分を傷つけてしまいたいとか。そういった衝動に駆られることがままあるのですが、いずれも実行までには至らないですし、抑え込んでいるといった方が正しいでしょうか。これはきっと、我慢というよりは理性に近くて、「そんなことをしてもどうにもならない」とわかっているから、後は誰かを傷つけたりしたくないと思っているから、耐えることができるというか。願望はあってもあくまで願望でしかないし、実際に行動に移すほどの勇気もないというのが本当のところかもしれませんが。

「自分がされて嫌な事を他人にしない」と意識しているので、人の悪口を言うとか、相手に対して汚い言葉や口調で話したりしないとか、手を上げたりしないとか。一見すると当たり前かもしれないですが、サラッとやっている人がどれだけいることか、と思ってしまいます。実際、私の周りには、悪いとも思わずに人の悪口を言ったりとか、中傷の加減を知らない人とかが割といます。そういう人を見ると、悲しくなると同時に、どうしてそういうことを平気で言えるんだろうと考えてしまいます。

まあ、私も完全に悪口とかを言わないわけではないので、人のことをいえる立場でもないのですが。それでも、やっぱり腑に落ちないというか。冗談だと思って言っているのがなんだか解せないんですよね。私が冗談が通じないからそう思ってしまうのか、それとも彼らの線引きはもっと上の方なのか。あまり分かり合える気がしないです。

今はあまりやらなくなりましたが、昔は面倒な役割を引き受けたりすることや汚れ役をやることもあったので、それで我慢強さが鍛えられたのかなと思っています。結構私頑張ってると思うんですけどね。こういうことを誰かに言ったことがないので、正直文面にして見知らぬ誰かに見られるのが恥ずかしいというか、なんというか。でも、不器用にこうやって溜め込んで生きている人もいると思うので(特に同じ立場の人たちは)、ひとりじゃないって思うことって大切じゃないですかね、というところでここはひとつ。

反抗期の話

私が今までの人生の中で一番失敗したなぁと思うことに「反抗期が来なかった」というものがあります。そう、反抗期。残念なことに、私に反抗期はやって来ませんでした。

反抗期って、みんな来るものだと思っていましたが、一方で、なんでそんなに親を邪険にするんだろうと不思議な気持ちもありました。意味もなく怒鳴りつけたり逆らったりしているんだと思っていました。この過程があるからこそ、自立への道が開かれたり、自分の意思を通すことができやすくなるんだろうなと、今では思います。

私は両親の事が好きです。特に母の事は本当に好きなんです。だから、大好きな母に反抗しようなんて思ったことはなかったし、母の言う事は正しいと思っていたので。洗脳とかじゃないんですけど、母の意見は筋が通っているものが多くて、反抗しようにも納得してしまってできないんですよね。自分勝手にワガママを言うような性格は持ち合わせていないので、母の言い分を理解して、納得してしまえばそれで終わっちゃうこともままありまして。

成人を過ぎてから、反抗期は「自分の意見を貫くもの」なんだなと思うようになりました。自分の意見が間違っていることも、親の意見が正しいということもわかっている。けれど、自分が正しいと信じている(信じたい)のは自分の意見で、それを貫き通したいから反抗する。そういう時期なのかなと思いました。

私の兄弟は反抗期が凄まじくて、いつも喧嘩が絶えない日々でした。私は嫌に冷静というか、客観的な正しさを求めることが比較的多かったので、喧嘩をする二人の姿を見て、兄弟に対して「不毛だなあ」と思ったりすることがありました。今思えば、羨ましい以外の何物でもないですね。

反抗期が来ないまま成長してしまった私は、とにかく自立がしたい気持ちがあります。その根底には、親に苦労をかけたくない、という部分が大きいです。今までずっと、というか今も、迷惑をかけっぱなしだし、有難くも申し訳ないなあと思っているので、できれば自分の力で生きていけたら良いなあと思っています。あくまで理想でしかないし、実際は甘えないと生きていけないんだろうなということも理解していますが。

今危惧しているのは、もっと成長してから反抗期が来るかもしれない、ということです。学生の頃よりは冷静に、理論的に物事を考えられるようになったし、自分の意見も持てるようになったので。そこからくる親に対する不満や反発心が爆発しないことを祈っています。というか、私って割と我慢しがちというか、抱え込んでからの爆発タイプなので、どうにかしないとなあという感じです。このままじゃいつか壊れてしまうかも、とか考えたり。

終わっていく話

雪が降って一気に冬模様に移り変わる日々です。冬になると情緒の不安定さがより一層増すので、負けないように過ごしていきたい。末端冷え性なんですよね。運動したら治るんでしたっけ…?やはり運動か…。

世間的には三連休、私的には一日は学校があったので一日挟んで休日が二日あった感じでした。しかも一日はほとんど布団のなかだったので、休日をつぶした感じがすごい。今日はこの後課題を消化して、やることをまとめて、という感じにする予定です。充実した休日をすごすのは難しいということをひしひしと感じている今日この頃。

もう11月も下旬なんですね。そしてもうすぐ12月、年末、平成の終わり…早すぎません?今年も一年早かったなあ。ブログもなんだかんだ続けられているので、私的にはいいかなとか思ったり。そして少しずつですが前向きになれてる気がする、というか、自分自身と向き合えているような。時の流れはすごい。

来年はタイトルの付け方を一新させたいなと思っています。昔からずっとタイトルを一定のパターンでつける癖があって辞め時を見失っていたので、来年こそは、変な縛りを付けずに自由につけたい。今年いっぱいで「○○な話」から卒業します。まあ、だからといって、アフィリエイトとかまとめサイトみたいなタイトルをつける気はないですが。

きっと12月は課題とかサークルとかバイトで心が死んでいく予感しかないです。元気なうちに今年の総括をしたいんですけど、やっぱりまだ早いですかね。まあいいか。

今年の私のテーマは「去年よりも前向きに」でした。まあそこそこ達成かなあ。去年は本当に心が死んでいた。一年目で余裕がなかったのもあったし、発達障害を疑っていたこともあって、死ぬことを何度も考えていました。

今年も今年で死について考えたりしましたが(というか今年の方が具体的に考えていた気がする)、死にたい気持ちは去年の方が強かったかなあ。今年は、自分の特性を知って、向かい合って考えて、受け入れて、という感じでしたかね。調べたりもしましたが、知識についてはまだまだなので、これからも勉強していこうと思います。

鬼に笑われることを承知で来年の抱負を言うのであれば、「去年よりも前向きに」です。あとは「生きる」。きっと就活と卒論の準備が本格化していくと思うので、そこで忙殺されないようにしたい。そのために心のオアシスを作りたい。やっぱり長期休みに旅行をする計画を立てよう、うん。自分に厳しいのか甘いのかいまいちわかってないですが、このぐらいのご褒美は許されるはず。リフレッシュしたいです。今回は京都へ行く予定ですが、次はもう少し近場にしようかなあ。星の王子さまミュージアムとか、宮沢賢治記念館とか。以前京都へ行ったときはわかりやすい観光地ばかりだったので、今回はちょっと趣向を変えてみたいです。一人ですし。美術館とか図書館とか水族館とかいきたいです。京都水族館!ちょっと足をのばして海遊館へ行くのも楽しそう。よし、今はこれを糧に頑張ろう。

改めての振り返りとかはまた今度書けたら書きたいな。