なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

多様性を認めるという事

数日ぶりのブログ更新です。最近、SNSにすら興味を無くしつつあるので、本当に「無」に近づいている気がして怖いです。

 

突然なのですが、私の座右の銘は「マイペース」です。これは小学校のころに、自分の座右の銘を習字で書く授業があった時にできたものです。当時の私も今に負けず劣らず、自分の空間を持った子供でした。「マイペースってことは自分のペースでってことでしょ?これが一番私に合ってるよ」と当時の野滑少女は思ったわけです。マイペースさ加減で言えば小学校中学年から中学二年生あたりが超絶マイペースだったな……。この座右の銘は今でも変わらずで、今は自分の歩幅で、自分に合ったペースで進められるように生きよう、という思いを込めています。現代社会的には爪弾きにされそうな座右の銘だ。それでも、私は自分のペースを守って生きていきたいです。たとえ困難だとしても、生き方を貫き通したい。

もう一つ、こちらは最近なのですが、私が大切にしたい言葉があります。それは、『多様性』です。人間一人一人はおんなじじゃなくて、必ず違う部分があって、思想や言葉の使い方、趣味、好きな食べ物、国籍、年齢、性別etc...が違う、色んな人間がいます。それらはすべて多様性という言葉でまとめられると思われます。多様性を認める、自分以外の人たちを認める、それが大切なことだと思っています。多様性を受け容れるのではなくて、あくまで認める、の範囲なのかなとは思います。

例えば、私は煙草が嫌いです。歩き煙草なんか手を上げてしまいたいほど嫌いです。でも、喫煙者の事は認めています。煙草を吸うのが好きな人、吸うと落ち着いたりストレスが薄くなったりするから煙草を手放さない人。私はその人たちを認めていますし、それでいいと思っています。けれど、私はやっぱり煙草が嫌いなので、出来るだけ彼らを避けます。多様性を認めるうえで、過干渉や過度の批判はあまり良くないと思っています。皆がそれぞれの世界で生きていて、それがまず多様性を示しているので。私自身でさえも、多様性の一つとして捉えることができます。色んな人がいて、最悪理解できなくても受け容れられなくてもいいので、「そんな人がいる」ことを「認める」ことが、多様性を認めることなのかなと思っています。この考えを持つようになってから、あまりイレギュラーな人物にイライラしなくなりました。自分は異常ですが、日常生活での振る舞いは至って普通なはずなので。気が楽になるという意味でもお勧めしたいです、この考え方。私が嫌いな人も、その人が好きな人もいれば友達だっているし、その人の世界はそこで確立されているし、私が外側で睨みつけているだけなんです。私が睨むことをやめて客観的に、「この人はこう考えていて、これはあの人には好まれる考え方で、この人にもちゃんと友達や恋人がいて、この人が作った世界がある」と考えてみれば、過度に攻撃したり敵意を向けたりしなくなりました。一種の悟り方法みたいな感じ?に思えてきた。

 

本当はずっと忘れていたんですが、つい最近授業で聞いて思い出しました。世界にはいろんな人がいる。私が嫌いな人がいれば、私を嫌いな人だっている。それを理解して、認めてみれば、少しは世界を違った見方で見れるかなと思いました。

 

眠いのでここらへんで。