なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考な人間の、自分を見つめ直す為のブログです。

愚直な話

自分を偽るということ、隠すということにどんな意味があって、意義があるのか、考えるようになりました。元々嘘を吐くことが苦手で嫌いなので、ありのままの自分でいることに意味があるとずっと考えていました。正直に、自分の考えを曲げることなく真っすぐでいること。よく考えてみれば、これこそが茨の道でしかなかったのですが。

 

偽る、隠す、という言葉は後ろめたいというか、マイナスな意味が大きいと思っていました。言葉というものは遍く紙一重ではあるとは思うのですが、こういった言葉も例外なくそうであると思えるようになりました。自分を偽ることは、相手に合わせること。人間関係に摩擦を生じさせずに円滑にさせるため、生きやすくするため、世間に馴染むため。少しでいいから自分を押し殺して、自分を表出さずに振舞うことが、世渡りには必要なのかなと、思うようになりました。

私は愚直とも言えるほどに馬鹿正直で、隠すことが苦手です。本当の自分を殺すぐらいなら、理解者も友達もいらないし、一人でいい。本当に愚直に、自分の、真っすぐでいたいという気持ちに、苦しめられていました。綺麗でもなく、清らかでもない。でも、そうでありたい。黒か白かで決められるのならば、白でありたい。そんなプライドなのか意地なのか、それとも潜在意識なのかわからないのですが。自分の汚さを認めたくないから、綺麗でありたいとおもうから、真っすぐでいたかった。こんなこと一つで悩むのもどうかと思うのですが。

 

話は変わりますが、よく、「100点じゃなくてもいい、70点80点の、高得点を目指せばいい」という言葉をよく見ます。実際、バイト先などでも聞いたりしました。私はその言葉を聞くたびに「それでも100点を目指したい」と思うのです。義務教育時の成績が良かったせいですけど、過去の栄光を未だに引きずっている自覚があります。目指すだけなら誰だってできる。100点を目指しても30点なんてザラだろうし。それでも、100点を目指したい気持ちを持つことは間違いではないと思うのです。誰も目指すな、なんて言わないでしょうし、目指すだけならタダですし。

 

話を戻します。なぜこんなことを考えるようになったのかというと、友人と話していた時にふと「ありのままの自分を見せるって、怖いな」とおもったのです。本当の自分を見せるということは、相手に弱みを直接教えることにもなり得るということに気が付いてしまったのです。ただの処世術としてしか見ていなかったのですが、実際は自分を守るための手段でもあるのかなと。年齢を重ねるごとにやはり人と上手く接しようと考えてしまうので(成功は極僅かですが)、無意識に当り障りない態度を取ってはいるのですが。ただやっぱり、自分には正直でありたいという気持ちが大きくて、自分が思っている以上に、自分は愚直な人間なんだなと思い知らされました。自分の愚直さを他人に見せない方法を考える方向にシフトすべきなのかもしれません。

考えれば考えるほど、私はまだまだ子供なんだなぁ。もっと、大人になりたい。