なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考な人間の、自分を見つめ直す為のブログです。

悪いもの

前回、自分の不器用さについて書きましたが、加えて要領と察しも悪いのです。言外に含まれる意味を読み取れないし、全体の状況を把握せずに一つの事に集中してしまう。はっきり言ってもらわないと理解できないし、複数の事に手を付けることが出来ない。自分の行動心理や考えさえよくわかっていないのに、誰かの考えなんてなおさら分からないです、と開き直っておきます。感受性、共感性は強いほうなのですが、それとこれとはまた別のお話のようです。おまけに空間把握能力もあまりない。本当に成人しているのか疑いたくなるほど幼稚な思考回路をしていると思っています。捻くれ者ですが、捻くれずに生きてきた弊害が出てきたのかもしれません(矛盾しているように思えますが、私の中ではこれが正しい表現だと思っています)。

もしかしたら、世の中の言う「常識」が、私の中には備わっていないのかもしれません。空気を読むとか、覚えがなくてもとりあえず肯定の返事をするとか。そんなのが常識であるならば、むしろ備わっていなくても良いと思ってしまうのですが。そんなので社会に出た時に生き抜けるのかと不安になってしまうのですが、今現在でさえ生きづらいと思っているのに、きっと今以上につらい日々を送るのが目に見えています…。

 

「自分に自信がないのなら、自信をつければいい」なんて簡単に言う人は、少しでも自分に自信があって、自分を誇れて、自分が好きなんだと思います。それはとても素晴らしいことで、けれど同時に残酷な事でもあります。極論を言ってしまえば、「鬱は甘え」と言っている人と何ら変わりないと思います。変わりたいのに変われないことは甘えでしょうか。努力を重ねれば実を結ぶこともありますが、そうじゃないこともあります。自分の力ではどうにもできないことがあります。

私は散々、自分に自信が持てないこと、自分が嫌いなこと、不器用なこと、要領が悪いこと、全部、「そのままでいいじゃないか」と肯定をしながら、「そんなのは全部甘えだ」と否定する日々を繰り返してきました。誰かに期待してほしいと思う反面で、期待しないでほしいと思い始めて、遂には私に期待する人なんてどこにもいない、という考えに至りました。それなのに、理想の自分を捨てきれない。こうでありたいと思う自分を、駄目な私と照らし合わせることが、苦痛で仕方がありません。

社会では速さが求められると思います。即戦力、という言葉をよく目にするせいかもしれません。より早く仕事を覚えて、より速く仕事をこなす。効率的に、正確さはその中で身に着けていくといったような、そんな社会である、という印象があります。

私には、はやさはありません。何度も何度も重ねたルーチンワークの中ではそれなりのスピードで出来ますが、基本的には考えて行動する方が性に合っています。中学時代の先生が言っていた言葉が今でも印象に残っています。「一番は『素早く正確にできること』、二番は『ゆっくりでも正確にできること』。素早くても正確でなければ意味がない」

非効率に、けれど締め切りには間に合うように、自分のペースで、最大限良いものを作る。驚くほど速く流れる社会の中で生きていけない私が、生きていこうとするのであれば、こういうやり方になるのかな、と思っています。

 

変われない事を甘えだと、子供だという人もいると思います。私もそう思っています。だからこそ苦しい思いをしている事を、どうか、頭の片隅にでも置いてください。人は、自分の物差しでは測れない。不器用で、要領も察しも悪い私を、どうか、悪いものとして、決めつけないでください。