なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

人間関係って何だろうね

お久しぶりです。うだうだしながらスマホをいじっていたら一か月も更新をサボっていました。

WAIS-Ⅲの結果が届きました。結論から言えば、私はADHDです。

残念ながら下位項目の点数は教えてもらえなかったのですが、IQ差は18、群指数の最大差が45ありまして。ちなみに最小は2です(参考になるだろうか…)。

傾向としては聴覚<視覚で、全体的に見れば平均の範囲内(かちょっと下)ではあるものの、作動記憶と処理速度の差が本当に大きくて(処理速度が何故か130でした)。

日常生活での対処法としては、聞いたことをすぐに視覚化できるようにする、がやっぱり一番なのかなあと。興味のないことは右から左へ流れていくので、それもどうしようかなって感じはありますけどね。見えるところに付箋を貼ったり、スケジュール帳を頻繁に確認したりということを意識していきたいなあと思ったり。

 

話は変わりまして。自分の燃費が悪いことは重々自覚していたのですが、こと人間関係においての省エネ思考が確実に根の深い問題になりつつあります。すぐ疲れるというか、人と関わることってエネルギー消費が半端ないですよね。だから、本当にすぐ疲れちゃって。コミュニケーション能力が低いこともあって、狭く深くを意識しているのですが、興味本位でサークルに入ったりしたせいで、人との関わりを余儀なくされてしまいまして。早々に辞めればよかったなあと思わなくもないのですが、なんだかんだ楽しいので続けています。ただ、疲れる。本当に疲れる。

疲れるような関係が続くぐらいならきっぱり切るのが私のいつもの行動なのですが、軽く責任のある役に就いてしまったばかりに、それも出来ないでいるんですよね。安請け合いをしたり貧乏くじを引くのは最早性質に近いのですっかり慣れたのですが、そういうところなんですかね、疲れやすい要因って。

昔はエネルギッシュだったなあと懐かしく思います。児童会の会長をやってみたり、委員長をやってみたり、応援団長をやってみたり、副部長をやってみたり。リーダーシップを執ることはびっくりするぐらい向いてないんですが、物事が滞るのが嫌いなので、止まるぐらいなら自分がやる、という気持ちで今まで動いていたからなんですけど。がむしゃらにやってきたので、空回りすることも度々あって。高校ではそれと飽き性(と疲れやすさ)が顕著だったので一際浮いてましたね。

人間関係の難しさが嫌いで、それから逃げるように人との関わりを避けていたのですが、悲しいかな人間は人間と関わらないと生きていけないのです。それと、前述したような性質もあってか、人と関わらざるを得ないようです。

一人が嫌だとか、仲間はずれが嫌だとかは思ったことはないのですが、虚しいと思ったことはあります。いざ一人にされると、「ああ、自分は一人なんだな」と、胸に穴が開いたような感覚になります。それでも、疲れるよりはマシだと思ってしまうんですけどね。

本当に、難しい。人と上手く関わることのできる人たちが、心から羨ましいし、凄いと思います。

先日、バイト先の先輩に「うまく人を使え。手のひらで転がせ」とアドバイス(?)を貰ったのですが、それを聞いた私の感想としては、「私はうまく使われる側だなあ」でした。そこから一歩踏み出してみれば、少しは違った景色が見られるのでしょうか。ゼミの先生にも「社会に出れば人とのコミュニケーションが大切になってくる」と言われましたし。どれも私にはないものです。社会で生きていくのに向いてないなと、つくづく思わされてしまいます。

集団の中の、自分の立ち位置、役割、を、どう考えるか。高校の担任が私に送った言葉です。「集団の中での自分を意識しなさい」と。今でも時々思い出します。正直、好きではありませんでしたが、人を見る目には長けているという印象でした。

この言葉、当時はどういう意味かさっぱり理解できませんでした。集団に属するのが苦手な私にこんな言葉を送るなんて、皮肉られているのかと思った記憶があります。

今は、ちょっと考えてしまいます。人と関わることと、自分らしくあることを両立させること。その難しさ。自分の事で手一杯になってしまう私の、大きな課題だと思います。

普通になり切れない私が、どうやって「普通」の中で生きていくのか。そのために、人間関係をどう形成していくべきか。問題は山積みで、頭が痛くなります。

最終的な答えがどうなろうと、自分が納得できる、最良の答えを導くことが出来ればなと思います。