なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

カミングアウトについての話。

ここ一二か月、結構調子が良いです。薬のおかげというのも少なからずあると思うのですが、それによって自分の思考が明るい方に向かったというのも大きい気がしています。

さて、今回何を書こうかなあと悩んだんですが、カミングアウトについてちょっと話してみようかなとか、考えてみたり。多分また脱線するとは思うのですが。

家族が、私が最後に自分が発達障害だと打ち明けた相手なのですが、実は家族以外にもう一人、私が唯一話した他人がいます。中学時代からの友人で、今でもたまに遊んだり会ったりしてる、気の置けない友人です。友人に話したのは、一つ目の病院で発達障害だと告げられて、誰かに吐き出したくて仕方がなかった時期でした。その捌け口に利用してしまった事を、申し訳ないなと思っています。友人と二人でご飯を食べに行ったときに、ポツリと「私、発達障害なんだよね」と零してしまいました。それに対する反応は「そうだとは思わない」と言いつつも「そうだとしても、友人であることに変わりない」と、予想していて、また、望んでいた言葉でした。自分のことを吐き出した瞬間、相手の困惑が伝わってきて「言わなきゃよかった」と心の底から思いましたし、もう誰にも言わないと誓った瞬間でもありました。言っても変わらない、ということは理解していたつもりだったのですが、それでも、自分の中にあるモヤモヤを吐き出したかったし、隠しているような気持ちになって嫌になったのもありました。よく考えたら、誰にも隠し事の一つや二つあるものなんですけどね。それに、思っている以上に、普通の人って発達障害のことを知らないんですよね。当事者や興味のある人じゃないと調べないという、当たり前を失念していたことを思い出させてくれた瞬間でもありました。

たまに、発達障害であることを家族以外の誰かに言うべきか、と悩むような人を見ます。私も悩んで悩んで、結果たまらなくなって打ち明けてしまった。バイト先の人にも言おうか悩んだこともあります。今思えば、これは私が発達障害であることを受け入れられなくて、誰かに事実を背負わせる形で自分自身に言い聞かせようとしていた結果なのかなと。今は完全に受け入れ状態なので、自分だけで背負えるから、大丈夫なんですけどね。

「言ったところで自分が変わるわけじゃない」という意見もありますし、「予防線として言っても問題ないんじゃないか」という意見もあります。どちらの意見も、賛成も反対もあると思います。私も、思うところはあります。結果的に、「自分がどうしたいか、相手に言うことでどうなりたいか、どうなると思うか」を考えることが大切なのかなと思ったり。例えば、私は「隠し事をしているような罪悪感に耐えきれない」という名目上で、「自分一人で背負いきれない事実を相手に背負わせる」ということを友人にしてしまいました。これも、一つの手段だと思います。自分が信頼できる、事実を一緒に背負ってくれる人に打ち明けることで、気分が楽になったり、事実を少しでも受け入れやすくなったりすると思います。私なんかの意見を参考にする人がいるかどうかはわかりませんが、打ち明ける相手は選んだ方が良いと思います、本当に。月並みで申し訳ないのですが……。例え家族であろうと、理解してくれない人は理解してくれませんし。誰彼構わず言ってしまうことだけは止めた方が良いんじゃないかなと思います。思わぬ人が敵になったりしますしね。

ちなみに、それ以降友人には何も話さずに、一緒に遊んだりバカな話をして盛り上がったりしています。本当にありがたい。私と世間とを繋いでくれている数少ない要素の一つです。

おまけとして、今思い出した家族の反応を少しだけ書きます。

私が薬を飲むことを少なからず良く思っていないようで、「ずっと飲み続けないといけないの?」と聞かれたことがありました。薬が身体に及ぼす影響や依存性などを心配しての言葉でした。薬の効果を感じている旨を伝えると、不満そうではありましたが納得はしてくれたと思います。実際、ストラテラを飲んで少しずつ生活改善ができるようになっているので、止めた時が怖いとは思うのですが。最終的には、この効果を自分の力で発揮できるようにしていきたいです。それが出来たら苦労しないんですけどね!