なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

泣くことの話

最近、なんでもないのに泣く日々を送っています。Twitterでとある呟きを見た瞬間涙が止まらなくて、二時間ほど泣き続けたこともありました。理由はわからないけれど、涙が止め処なく溢れて、止めたくても止まらなくて、どうしようもなくなります。

元々涙もろくて、感動系の映画を見るとすぐ涙腺が壊れてボロボロ泣いてしまったり、悲しいことがあると(あるいは想像すると)涙が滲むことがよくあります。癇癪持ちではないと思っていますが、溜め込みやすい性格ではあるので爆発すると止まらなくなります。大体、悔しいとか、情けないとか、そういう感情に支配されて泣くことが多いかもしれません。

泣くことといえば、今でも思い出せる記憶があります。小学生の時に、私の机に誰かが糊を塗ったのです。よくある悪戯なのですが、私は何もしていないのに被害者になってしまい、しかも糊のべたついた感触が嫌いだったのもあり、目の前にいる男子が犯人だと思い、キレて泣いてしまいました。人違いだと発覚し、泣きながら「疑ってごめん」と謝った記憶があります。小学生の時の記憶をたどると、先生に噛みついたり(物理)、バカにされて必要以上にキレたり、友達の頭を思い切り叩いたり、暴力的な生徒でしたね。子供のころのこととはいえ、反省しています。もうちょっと遅く生まれていたら、親も動員しての問題に発展していたかもしれませんね。いや、本当に、やんちゃと言えばそれまでなのですが、暴力はよくないですよね。平生がどちらかといえば優等生風だったので、多少の奇行にも目をつぶってもらえたのかもしれません。中学時代までは本当に血の気の多い人間でした。

話が逸れましたが、今月に入ったあたりから、「ああ、いま私抑うつ状態なんだな」と思うことが多々ありまして。自覚できる段階なのでまだマシかなあと思わなくもないのですが、希死念慮が多くなってきて、どうしようかなあという状態です。自殺を試みようと思ったことはないのですが、包丁を見つめる度に、これで喉を切れば、あるいは心臓を突けば死ねるのかなとか、遺書のようなものを書いてみたり。希死念慮が少なからずあることは、母親以外に話したことはありません。涙が出るのは、自分の中に溜まっていったストレスとか、死にたい気持ちとかを外に出そうとしてるのかな、なんてちょっと思ってみたり。泣くことが出来るうちはまだマシだということは少なからず理解しているのですが、泣くことすらできなくなったらいよいよ危ない領域にまで踏み込んでいる証拠ですよね。

泣くことの延長上として、独身で生涯を終えるとしたら、何歳で死ぬのが良いのだろう、と考えてしまうことがあります。これだけで一つの記事にできそうなので、後日詳しく書きたいなと思ったり思わなかったり。孤独を選んだ故の寂しさの涙である可能性もあり得てきた。でも、どうせ死ぬなら、後悔しないでやりたいことをやって死にたいなと思います。今やりたいことは、旅行です。国内と、海外。それが果たせるまで、多分死なない。あと、親友の花嫁姿と子どもの顔を拝めるまでは死にたくない。

メンヘラという言葉を使うのはあまり好きではないのですが(多分意味合いが本来使われていたものと大きく変わったせいなのですが)、私もメンヘラなんだなあと思わずにはいられなくなりました。イメージの一人歩きって怖いですね。