なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

自分を好きになること

高校ぐらいの時からずっと、私は私の事がそんなに好きじゃなかったです。というか、嫌いと言っても差し支えないぐらいでした。誰かに言われた、「有言不実行」という言葉がぴったりと当てはまる自分が、気分の浮き沈みが激しくて、愛想も振り蒔けない自分が、嫌いでした。去年一年間が、一番自分の事が嫌いだったかもしれない。

そんな私が、今、自分を好きになろうとしているのです。きっかけは些細なことで、いつも通り「私はダメな奴だなあ」と思いながら過ごしていたら、ふと、「でも、こんなに自分のこと責める必要ある?」という言葉が浮かんだのです。必要以上に自分のことを責めているんじゃないか、というか、絶対そう。一度そう思うと、「私って、もしかして、自分が思ってる以上に自分の事嫌いになってる?」と、疑問が浮かびました。これほどまでに卑屈になる理由はなんだ?と、延々と自問自答して、「できないやつ」だから、「社会から外れてるから」、「人付き合いができなさすぎるから」、などと色々考えてみたんです。でも、本当に正直に言うと、私ってそこまで性格悪いわけじゃないと思ってるんですよ。下手くそなりに気を配ったり、優しくしてみたりしてるんです。その努力まで否定する必要は果たしてあるのか?と、また疑問。いつかバイト先の先輩が言った、「自分の事は自分しか褒めてくれない」という言葉を思い出し。確かに、感謝はすれど褒めたりはあんまりしない。私はもしかして、自分を褒めてくれる人を蔑ろにしているのではないか。そう思うと、失礼な気がしてきた。そう、私は私をここまで嫌いになる必要なんてなかった。

自己愛は悪いものだと、どこかで考えていた節がありました。自分のことを愛する、好きになることに、なんとなく罪悪感にも似た、後ろめたい感情を抱いていたのです。でも、よく考えなくても、自分のことを嫌いな人より好きな人の方が魅力的だし、周りへの対応もまた違う。これは、フロイトの「愛するということ」を読んだ影響もあるのかもしれませんが、自己愛とナルシシズムは違う、という説明を見た瞬間、なるほど、と思いましたし、改めて、私は私を好きでも何の問題もないし、寧ろ好きであった方が良いのでは?と考えるようになりました。

そして、この考えに至った理由がもうひとつ。とある人に言われた、「自分を嫌いな人が他人に好かれるわけがない」という言葉です。「自分を嫌いな人が他人を好きになるわけがない」という言葉は聞いたことあったんですが、「好かれるわけがない」は、私はあまり聞かなかったので(ありふれた言葉かもしれませんが)、衝撃を受けました。面と向かって言われたから、なおさら衝撃的だったのかもしれません。きっと今私のことを好きになっている人たちは、きっと私が私を好きだったころに好きになってくれたのかな、なんて変なことを考えたり。それとも、今の私に、少しでも自分を好きな部分が残っているということかな。

とにもかくにも、私は、私を好きになってくれた人たちに恥じない人間でいたい。だから、自分のことを、好きになるまではいかなくても、嫌いになることはもうやめます。ネガティブなのはもう根っこに染みついているものだから、ゆっくりと直していけたらいいなぁ。完全に長期戦前提ですが、まあそれも仕方ない。