なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

友達の話

一人が好きだけど、友人の事も好きな野滑です、こんにちは。今日は、私の友達のことを少し話したいなと思います。

まあ、そもそも前提として、私は友達作りはお世辞にも上手とは言えないし、人付き合いも、散々言っているとおりド下手くそです。そんな私に残った数少ない友人たち。きっと見限られない限りは、この先ずっと仲良くしていけると思っている人たちです。無意識の厳選がすごいぞ。

私の友人たちは、良くも悪くも個性的、というか、私に負けず劣らずの変人ばかりです。というか、私の親友がそんな感じなので。マイペースで、社会に馴染めなくて、それを悩んでいて、でも自分の道を歩みたいと思っている、そんな子が、私の親友です。最高に不器用で、愛おしいなあと思っています。本当に可愛い子なんですよ、なんで私を選んでくれたんだろうなと思ってしまうぐらい。…選んだというよりは、自然とそうなったと言った方が正しいけれど。

意外かどうかはわかりませんが、異性の友人もいます。一緒に居て楽しいと思える、というか私のことをあまり女だと認識せず、一人の人間として扱ってくれている感じがするので、それがとても心地いいです。性別の垣根を超えているというか、なんというか。私は粗暴で口も悪く、女性らしさはないので、それはそれでありがたいのですが。

私が周囲に恵まれているなあと常々感じているのは、友人たちのお陰でもあります。「私」を受け容れてくれる場所があるから、私は私でいられるんだなと、そう思います。とはいえ、友人たちと遊ぶ機会は月に一回ないぐらいで、本当にたまに会うような感じなんですけど。それでも、会えば空白の期間なんて感じさせないほど楽しくて。そんな友人たちに巡り合えたことは、私の一つの財産だなと感じます。

広く浅く、が無理な私にとって、深く付き合ってくれる友人はかけがえのないものです。自分を曝け出すのは怖いけれど、彼らの前ならそれができる。自然体の自分でいられる。それが何より嬉しいし、人に自分を知ってもらえることの喜びを感じることができて、幸せだなあと思います。

自分がADHDだということを、一人を除いては言っていないのですが、これからも言う予定はありません。言ったところで、関係は変わらないと信じているから。なら言えよ、と思うかもしれませんが、言った後の、罪悪感ともいえるような感情を、もう抱きたくはないんです。それなら、隠し通して生きたい。隠すことの後ろめたさよりも、背負わせてしまった後悔のほうが強いので。

 

果てしなくどうでもいいですけど、「一人でいるのが好き」と言った時に憐みの眼で見られたり「寂しいねえ」って言われたりするのすごい解せないんですよね。別に友達がいないわけじゃないし、それとは別に一人でいることが好きなのに。好きでもない集団に属するぐらいなら、好きで一人でいる方が圧倒的に楽しいし、気が安らぐし、良いと思いませんか?と、ちょっと愚痴を交えつつ。