なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

危機感と先延ばし癖の話

昔、自分は「のんびり屋」だと思っていました。人のペースに惑わされずに、自分の調子で物事を進めていく。行動に起こすのが人よりも遅くて、でも締め切りや提出日には間に合うような、そんな人間だったせいか、完全に油断してたんですよね。「自分はやればできるんだ」と思って、いつも「のんびり」していました。

実際は、「危機感」の欠如と「先延ばし癖」の合わせ技だったんですけど。

悲しいことに、人間年を取るにつれて自分の限界を知っていくことになります。自分が幼いころに抱いていた全能感は、まさに春の夜の夢のごとしです。更に悲しいことに、私は自分の全能感を捨てきれないまま大人になってしまった。「私はやればできる」「本気を出せばそこら辺の人間よりもうまくやれる」という思考を拗らせて今に至ります。まあまあ挫折を経験してきたわけですが、それでも捨てきれなかった、私のちっぽけなプライドです。悲しい。

私の危機感のなさは筋金入りなわけなんですけど、どう酷いかというと、家の掃除を半年近くせずに過ごしてもケロッとしてるレベルです(記事に書ける時点で結構ですかね)。いや、さすがにそろそろやらないと、親に怒られると思うので、やろうとは思いますけど。でも、危機感が顔を出してきても、今度は先延ばし癖がやってきます。やらなきゃなあと思いながら違うことで時間をつぶして、気がつけば寝る時間だった、とか、ザラにあります。この二つの合わせ技により、私のような怠け者が仕上がるんだと思っています。

脳の機関が鈍いのかわからないんですけど、例えば火傷しそうになるようなシーンでも、すぐに手離さずに、耐えてから離したりするんですよね。そのせいで大きな火傷痕を幾つか作ってしまいました。怪我も知らないうちにたくさん作っているし。多分、死ぬ直前になってもいつも通りなんだろうなと思っています。当事者意識が低いっていうんですかね?

さて、一方で、自分で言うのもなんですけど、自分の事は比較的真面目な性分だと思っています。マナーやルール、モラルを守り、不正や惰性を許さない。そういう部分があります。微妙に融通が利かない部分もあります。

なにが言いたいかというと、私は、危機感のない性質や先延ばし癖が自分の中の要素として存在することが許せないんです。

私の昔の目標は、規律正しく、真面目で、不正を許さず、自分の正しさを信じて突き進むような人間でした。そんな私が、いわゆる「真面目」じゃない要素を持っていることが、私は許せないんです。人間は白と黒だけじゃない、ということは散々知っているつもりでも、私自身がそれに当てはめても大丈夫か、と言われると、大丈夫じゃないんですよね。私が私を嫌いな理由が、この矛盾したような要素を持っているからなんですよね。私は、絵に描いたような優等生になりたかったんです。優秀な人間になりたかったんです。私がどれだけ描いても届かないような、そんな人間に。ある意味ステレオタイプ的な人間が良いのかもしれません。だって、わかりやすいから。

しかし現実問題、わかりやすい人間はそうそういません。私も、割と面倒な性格をしていると自負しています。

真面目な一方で、不真面目な面もある。それを認めさえすれば楽になるんですけど、私の心のどこかが、それを良しとしないんですよね。なかなか難儀だなあと思っています。

なんで真面目なのが良いのかというと、自分の中の正義を貫き通して生きることが、とても格好いいことだと思っているからです。誰にも媚びたり、折れたりせずに、自分らしさを大切にする。そんな生き方をしたいんです。恐らく、どこの世界でも難しいでしょうけど。

まあ、これとは別に、危機感がないことや先延ばし癖は直したい習性のひとつなので、ある意味課題ですね。でもこれ、脳機能のバグだとしたら直しようがない気がするぞ…。…頑張ります。