なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

性別云々の話

実に10年以上ぶりに髪を伸ばしています、のなめです、どうも。

私、昔は男になりたかったんです。というか、生まれ変わったら男になりたいってずっと思っていました。子供のころは、自分が女であることがなんとなく嫌で、女の子らしいことも好きじゃなくて、髪はずっと短かったし、格好もズボンしか履かなかったし、制服のスカートはずっと長かったし、言葉遣いも男染みた口調だった。一時期一人称を「僕」にしてたんですけど、先生にからかわれてしまってからはやめました。

それでも、好きになったのは男の子だったし、ただ女の子らしいのが苦手な、どこにでもいる、思春期の女子が辿る一つのパターンでしかないと、ずっと思っていました。

でも私は、今でもどこかで、男性に対する憧れのようなものを抱いています。きっと、男の人の方が沢山稼げて羨ましいなとか、優位に立てていいなとか、その程度の憧れなんだろうと思っています。社会的地位に対する不満のようなものでしょうか。私はきっと、高収入の仕事には臨めないと思うので。

話は変わりますが、私、バイセクシャルなんですよね。なんというか、曖昧な感じではありますが。もっというと、ストレート寄りのバイだと思っています。まあなんでこういう認識かというと、ちゃんと本気で女性のことを好きになったことがないからなんですよね。でも、好きな女性に出会えれば、きっと本気で好きになれるという確信だけあります。そもそも恋愛の経験値がびっくりするほど低いので(好きになった人もそんなに多くはない)、男女問わず恋人ができるかどうかは別のお話ですが。

自分の趣味もあるんですけど、それとは別に、人が人を好きになるのは自然の摂理だし、そこに性別の壁を作るのはどうなんだと思っているので、まあなんというか、もっと色んな人が生きやすい世の中になってくれたらいいのにな、と思わずにはいられません。

今の私の主な一人称は「私」なんですけど、たまに「僕」といってしまう時があります。特に理由はないんですけど、「僕」ってすごい言いやすいんですよね。あまり人に対しては使わないですけど、家にいる時にはだいたい「僕」と「私」をその場で使い分けながら生活しています。ただのノリです。

一人称なんてただの飾りというか、自分を示すための手段に過ぎないのだから、好きに呼べばいいのになあと思う一方で、今まで一人称を「自分の下の名前」→「うち」→「私」と変えてきたので、社会的な場面ではやっぱりちゃんとしなきゃいけないのかなあと思ったりもしています。オンオフの切り替えがハッキリしてないと色々面倒くさそうですよね。そこらへんもちゃんと考えなければいけないですね。