なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

続・INFPのADHDという話

どうも、のなめです。最近アクセス数がすごい増えてまして、なんでだろうなあと思って調べてみたら、この記事が伸びた(?)せいっぽいです。

noname-7shi.hatenablog.com

「INFP ADHD」で検索するとこれが一番上の記事になっていました。もうびっくり。こんな書きなぐりの、なんの参考にもならない記事に一縷の望みを抱いて読んだ人には心からお詫び申し上げたいです。そして、読んでくださった人には心の底から感謝します。ありがとうございます。

更にありがたいことにこの記事にコメントをくださる人がちらほらいまして、総じて「私もINFPのADHD、しかも左利きです」とのコメントが。私調べのADHDの左利き率がとんでもないことになりそうだなと思いました。苦しんだり悩んだりしながらも前に進んでいるというようなコメントばかりで、なぜ私はこんなにうじうじねちねちと悩んでいるのか…と思ってしまうほどでした。

まあ、その話題は一度おいて。以下は、ド素人の趣味の個人的見解なので、「あ~わかるわ~」ぐらいのノリで読んでくださるのが一番いいです。なぜなら、解決策はどこにも書かれていないので。私が教えてほしいぐらいなんですがこれは……。

発達障害、特にADHDにINFPが多い、というのは割と認識されていると思うのですが、前提として、必ずしも別にINFP=ADHDだ、というわけではないということを念頭に置きたいのです。前述の事は事実(統計なのか体感としてなのかは、調べてもいないし素人なのでわかりかねますが)らしいということも、また考えてみたい項目だなあと、個人的には考えています。

正直に言うと、MBTIについては、興味はあれど素人に毛が生えた程度(INFPが持っている要素以外については把握できていない)ので、知った顔で話すつもりは毛頭ないのですが。素人であり当事者の戯言として、情報ではなく読み物として、読んでほしいなと思います。機会があれば本格的に勉強したいですけどね。とりあえず『MBTIへのいざない』を購入するところから始めなければな、と思います。読んだ暁には必ず感想を書く所存です。

なぜADHDの人間にはINFPが多いのか、という単純な疑問なんですが、この二つは重なる要素が多いのかなあという個人的見解です。好奇心があって、自分の内にある興味や関心事に惹かれて、それ以外には目もくれず。社会の中ではなくて、自分の中の価値観で動く、とか。

ASDとは異なり空気が読める(対処できるとは言ってない)ところとか。性格診断は当てにならない、と考える人もいると思いますが、MBTIは幼少期のころの自分(「気質」や「気性」)を思い返しながら行う診断なので、記憶の差異はあるかもしれませんが、信ぴょう性に欠けすぎることもないのかなという印象があります。

あとは、人はマイナス面の方がより印象に残りやすいようで、INFPの「内省的で想像力豊か、理想主義的」という部分が「社交的ではなく現実を見ない、社会で生きづらい」といったようなマイナス面に変わってしまっているんじゃないか、という予想です。実際、自分がそんな面で見たりしているので、他にもそういう人がいるんじゃないかなあと。

だから、ADHD発達障害という、世間一般からしてみれば「マイナス」な面と、INFPであるという「マイナス」な面が合わさって最強に見える、みたいな、そんな感じになってしまうんじゃないかなあ。どうなんでしょう。

そして、ADHDとINFPの最大の共通点は「社会での生きづらさを抱えていること」ですよね。みんな誰しも、大なり小なり抱えているとは思いますが、それを差し置いても、まあ生きづらい。

……とまあ散々言ってきましたけど、別にINFPでもいいと思うんですけどね、私は。実際、自分の想像力だったり、感受性が強くて人のことを考えられる部分は、私にとって誇れるというか、長所と呼べる部分だったので。

前述したとおり、INFPでもADHDじゃない人はいるでしょうし、ADHDだけどINFPじゃない人だっているでしょう。たまたまそうなだけ。たまたま、INFPでADHD(で左利き)だっただけ。それだけです。

それでも、「じゃあそっか、気にしなくっていいか!」となるかと言われれば、答えはNOですが。簡単に前向きになるのは難しい。私だって、時間がかかっていますし。現在進行形。

社会は厳しいです。現実は非情です。それでも、前向きに生きたい。頑張って生き延びたい。INFPのADHDだってちゃんと生きていけるんだってことを自分に示したい。示せたらいいなあ。