なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

正当化できるのかという話

今回の話のテーマは、「自分が発達障害であることを理由に、あるいは言い訳に正当化できるのか?」ということです。例によって人それぞれだと思うので、思考違いであればスルー安定でよろしくお願いします。

片付けができない、家事ができない、掃除ができない、金銭管理ができない、締め切り管理ができない、スケジュール管理もできない、エトセトラ、エトセトラ。これらのことを「私はADHDだからできないんだ」と考えるのは最もだし、実際その通りだから仕方がないと思うのです。

しかし、課題に目を逸らして延々とスマホを弄っていることや、今月の生活費がやばいといいつつ毎日コンビニでお菓子を買っていること、ぼーっとしながら「あ、やらなきゃやばい」と思いながらも動かずに他人事にしていること、これらも「私はADHDだから」と、理由にできるんでしょうか。

私の中の答えは「できる」です。もっといえば「理由にできるけど、したくない」です。なぜなら、これらのことは「普通の視点で見れば怠けている」ように見えるから、です。

発達障害者が発達障害者として生きるのか、それとも普通に紛れて生きるのか、分かれると思うのですが、もし普通に紛れて生きるのであれば、後者の「できない」は「できる」ように努力しなきゃいけないんじゃないか、と私は思っています。思いながらもできていないというか、全部自分の経験なのでどうこう言える立場ではないのですが。

そもそもの線引きがとても難しいので、やっぱりああだこうだとは一概にいえないのですが。というか、私は別に正当化したいわけではないし、発達障害だからといってすべての事柄を「しかたない」で済ませたくないというか。どこからが「障害」でどこからが「性格」なのか、わからないせいでもありますが。やっぱり白黒つけたいのかもしれないです。つけたところで、とも思いますが、わからないよりはマシかな。

と、こんなことを書いている今の自分なのですが、普通に課題に追われているんですよね。いやほんとやらないといけないんですよ、でもやる気が出ないというよりは、危機感がないと言った方が正しいんですかね、全部他人事みたいに思えてしまって。本当に危機感を覚えるのって、多分自分に死が近づいた時とか、そういうレベルの恐怖に見舞われた時なんじゃないかって思うんですよ。この鈍さもADHD故なんでしょうか。あ、でも感覚が鈍いのも特徴ですし、そうかもしれない。脳みそが鈍いんですよ、きっと。だから課題に対して危機感を持てないのも仕方ないのかなあ。そんなわけないと、自分では考えてしまうんですけど。「しかたないからやらない!」ってなるのが怖くて、認めたくないんですよね。私ならあり得るので。

どちらのほうが楽なんでしょうね。