なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

疑う話

気が付けばもうすぐクリスマス、そして年の瀬。つい最近まで12月入ったばかりじゃなかったでした?一瞬で時間が過ぎ去っていく感覚を味わっています。

さて、私はとても騙されやすい性格なのですが、単純に嘘が見抜けないのと簡単に人を信じてしまうことが重なって大変なことになっています。それでも今はだいぶマシになりましたが。人間関係を構築することを避けすぎて、人の本音と建て前を見抜くことができないのかなとか考えたりもしたんですが、友人と遊ぶのが楽しかった幼少期でもそれはできていなかったので、単純に性格なのかなと思っています。

騙されること、疑わないこと、に危機感を覚えたエピソードがありまして。簡単に言ってしまえば詐欺被害に遭ったんですけど。

昔東京に住んでいた時に、秋葉原あるある(らしい)「エウリアン」に遭遇しまして。お上りさん感丸だしなのなめはまんまと騙されてポストカードとメガネ拭きを購入してしまったのです。家に帰ってポストカードに使用された画家の名前などを検索して、私の身に起こったことがよくある詐欺(押し売り?)だったということに気が付きました。どちらも実家に置いてきましたが。苦い苦い思い出です。いや絵は好みだったんですけど、騙された記憶を思い返すだけでしんどくなるので使いたくないんですよね…。いや捨てろよ、と思うかもしれないですけど、なんか勿体ないというか、絵に罪はないので。

とまあ、こんな痛い思いをしないとダメなレベルで、人を疑うことが下手だったんですよ。今も上手ではないですが。ちなみにエイプリルフールなんかでもすぐ騙されます。

疑うことを知らないわけでもないんですけど、疑うことって、相手を信じないってことじゃないですか。最初からずっと信じないで接するのは胸が痛いというか、誠実じゃない気がして少し嫌なんですよね。そんなことを言っても相手の方が誠実でもなく私を利用するために近づいてくることだってあり得るんですけど。だからその度に傷ついて、自分の評価を下げていくんですよ。どこでも負のスパイラルが巻き起こる有難くもない仕様。

だからもういっそ、自分の好きで信頼のおける人以外は全員疑ってかかってやろうという気持ちでいます。極端ですかね? でもそうでもしないと、自分が傷ついてしんどくなる一方なんですよね。裏切られて壊れるぐらいなら最初から構築しない方がマシというか。人の嘘を見抜けるようになりたいです。知らなければ幸せなこともあるだろうけれど、どちらにせよ真実が地獄なら地獄を見たいと思ってしまうのです。

とはいえ、どうやったら人を疑ってかかれるのかという疑問もありまして。こういうところがダメなんだろうな…と思わなくもないです。どうでもいい人の言葉でさえもそのまま捉えて鵜呑みにしてしまうのが問題なんでしょうか。言葉の裏を読み取れない。かといって無駄に深読みしすぎても疲れてしまうし。やっぱり難しいなあ。もう、本音でぶつかってくれる相手以外は話半分で聞くぐらいにしようかなあ。疲れるし。とりあえず無駄な気の弱さを捨てたいですね。