なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

理性の強さは脆さ

どうも、のなめです。今回は何を書こうかなあと思っていながらページを立ち上げたんですけど、理性の話を書こうと思います。

理性、というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。欲望を抑えるブレーキとか、真偽を徹底的に考えるとか、論理的とか客観的とかそういう感じでしょうか。

理性について何を書くの?と疑問に思う人もいると思うんで、手短に。

私は人より理性的である、という自信があります。こと社会面について特に。経済面では…正直理性的とはあまり言い難いので、置いておきます。そこ突かれると本当弱いので。

理性、と言っていいのかわかりませんけど、『誘惑に打ち勝つ能力』であったり『思考を止めずに徹底的に考える能力』がもし理性と呼べるのなら、私は強い自信があります。なんだそれ、と思うかもしれないです。私も正直当てはまるのかわからないです。完全に見切り発車。

人は道理に従って生きています。そこには暗黙の了解やモラル・マナーが潜んでいます。私は正直暗黙の了解なんてものはあってないものだと考えているのでそこは除外で。あんなものは悪しき習慣です。

人の道を外れない、ことについては人一倍自信があります。なんてことはない、優等生なんです。なんちゃってですけど。簡単にいえば、『授業にサボらず出席する』『バイトにサボらず出勤する』『課題を締め切り日に提出する』『テスト日にちゃんとテストを受ける』…これらのことをきちんとこなせてるんですよ。いや、「子供じゃあるまいし」と思う人もいるかもしれません。でも実際、サボる人はいます。テスト日や課題日がわからずのんびりしている人もいます。ちゃんと確認して、記憶して、やり遂げて。これだけで『やりたくない誘惑に打ち勝つ』という行動ができてるんですよ。私ってえらい!

いや、そんな話じゃないんですよ。違います。

端的に言えば『バカになれない』というところでしょうか。狂ったように騒ぐことも、衝動的に行動することもできない。いつまでも、あくまで冷静に努めて考える。それしかできないんですよね。以前記事に「くだらないな」と思った瞬間に冷めてしまう、といったことを書いたんですけど、それなんです。まさにそれ。それを私は『理性』と呼びたいなと思いまして。

例えば「死にたいな」って思ったとするじゃないですか。ああ、今すぐ包丁かハサミで頸動脈を貫くか、首を絞めて死のうかと。そこまで考えたところで「やめよう」と思う、それが理性だと思うんです。怖いから、勇気がないからやめるんじゃなくて、「死なない」選択をすること。それが理性なんだろうなと思うんです。

…とまあ、私なりの理性の定義みたいなものを書いてきたんですけど。理性が強いって、強い一方でつらいんですよね。皆が騒いでバカになってる中で、一人だけそれができない。皆が辛い辞めようって言って辞めてく中で、一人だけ辞めない。そういうところがあるんですよね。なんだろう、クトゥルフTRPGとかで周りが狂気に陥ってるのに一人だけ正気、みたいな。正気でいることのほうが正しいし良いことのはずなのに、まるで間違っているような。状況にもよりますが。

強情、とも取れますかね、これ。私はあくまで理性だと思っているんですけど。「辞めたらダメだけど辞めないと辛いから辞める」ができないのがなかなかキツいところですかね。ブラック社員になってしまいそうな危うさがあります。

あとは、弱音を他人に吐けないところとか。これは単に私が他人に自分の弱さを見せたくないが故なんですけど、これも絡むと本当に面倒くさいです。自分の特性が一番面倒くさい、みたいなことを書いた記事が凹凸まとめさんにもあったな…。いや本当に面倒くさい。

強すぎるせいで気づいたらボロボロになってるんですよ。一気にダメージが表に出て、「え、いつのまにそんなに傷ついてたの?」みたいになってしまう。皆さんはどうかこうなる前に少しは緩くなりましょう。私も今まさになれるようにしてます。さすがにこのまま生きてたら絶対心が死ぬ。