なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

利他的な私

どうも。大寒波で死にかけなのなめです。

利他的な自分、というものを自覚してから、まあ自分の行動原理をなるべく「他人」に寄せてきたんですよね。自分のためにやる気が出ないなら、自分のために他人を理由にするしかないじゃないですか。なんでこんな遠回りなことをしているんだろうと思わなくもないですけど、仕方がない。

散々書いてきたんですけど、他人の、もっといえば私が好きで信頼している人のためなら、私は犯罪と倫理的に問題なこと以外ならなんでもやります。書類の整理も掃除もラストもやってやります。やる気も出ます。あ、レポートの代筆は絶対やりません。そもそも私が好きな人たちは勉学において私に頼ってくるような人たちではないので、そんな機会はないんですけど。

自分のため、ということを意識すると何も動けなくなります。多分、責任が自分にある=自分にしか迷惑が掛からない、というギミックなのかなあという認識なんでしょうね。これが、「私がレポートの締め切りに遅れる=教授に迷惑をかける→教授のためにレポートを間に合わせる」という回路に至ればいけるんですけど、それはその教授のことを好きにならないと仕掛けづらいんですよね。別に好きでもない教授のために動こうとは思わない、みたいな。いや動けよ。

数年前の私はとてもお人よしだったので、よっぽどいけ好かない人以外の頼みなら二つ返事でしたよ。今は自分のキャパシティを把握しているのでそれはないんですけど。人を好きになる範囲が狭いっていうのも要因のひとつかもしれません。

で、今の私はこの「他人のために」頑張ってきた、というのを、ジリジリと「自分のため」に寄せる作業をしなければいけないんですよ。じゃないと多分この先ぜった折れて死ぬ。引きこもりたいので資格の勉強を始めて、在宅ワーカーを目指しつつ就職活動をする予定なんですけど。自分の見通しと詰めの甘さはまさに折り紙付きなので、油断したくない。希死念慮はあれど、今は絶対死にたくないので、やってやります。

ただ、すぐに「他人のため」の自分をどうにかこうにか出来るとも思っていないので、今はあの「最終的に自分のために、他人のために動く」ことをしていく感じですかね。「最終的には自分のため」すらないことがザラにあるので。

この春が終われば、私の精神と体力がボッコボコになる季節がやってくるんですよ。まあ、他の就活している人たちも同じですけど。そして私は来春三年目なんですけど、できるだけ早く未来の切符をつかむ予定でいます。きっと一般と同じスタートラインで走ったら追い抜かれるので先に走ることにしました。頑張ります。

考えたら胃が痛くなってきましたね、ええ。そして話が逸れるのはいつものお話。あと通院の時間を忘れて連絡も入れてないことに気づきました。明日謝らなきゃ…