なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

強い感情に弱い私

どうも、ドストレートに批判されることに弱いのなめです。

私、異常なほど強い言葉に弱いんですよね。恐らく感受性の問題だと思うんですけど。だから、本当にストレートに「死ね」とか言われると、もう一週間は引きずる。そんなレベルで弱いです。

他人からの評価を気にして生きていたら身動きが取れなくなることも、駄目になることもわかってるんですけど。だからTwitterって苦手なんですよね。あそこって、尖ったナイフの集合体じゃないですか。無理。

だから私は、このアカウントはできるだけ意思を持った人間をフォローしないようにしているんですよね。唯一の逃げ場なので。ニュースとかをフォローしているのは、とりあえずTLを埋めてるだけなんですよ。凹凸まとめさんぐらいですかね。時折流れてくるRTを見ることも時には耐えられないので、やっぱりここで人間をフォローするのはやめておきます。正直、交流をしたい気持ちはあるんですよ。でもそれ以上に、感情を強く受信してしまう自分がいることを理解しているので、無理ですね。

にも関わらず複数のアカウントを持っているのは、所謂「顔」の使い分けなんですよ。日常生活では一個の「顔」しか持てないけど、SNSはそれに限らない。(もう使わなくなったアカウント含め)「顔」をいろんな場所で保持しています。あ、でももう何個かは消す予定ですけど。

自分の意思をどうとられるかがわからなくて、怖くて。でも気にしたくなくて、そういう矛盾を抱えながら生きています。ずっと二律背反。人間ってそういうものだな、って最近つくづく思うようになりました。白か黒かでは絶対に区別できない。私がこんな思考になるなんて、いやぁ…人間なにがあるかわからないですね。

Twitterは特に、140文字という少ない数で自分の表現を目一杯詰め込むじゃないですか。けど伝わらないことは往々にしてあるんですよ。感じ方の違い、読み取り方の違い、齟齬、好感度その他諸々。何度も言いますけど、人は人とは違う。それを理解している人がどれだけいるんでしょう。無意識のうちに同視してしまうこともあるかもしれません。似たような境遇だったり考え方だったり。でも、差異は必ずあります。どれだけ細かくても。そこが原因で食い違うこともあるでしょう。

私は、それらを理解して生きていきたいです。人は人と違う。拒否することも受け容れることも、その人が選ぶこと。他人は意見を言うことはできても、よっぽどの影響がない限り変えることはできないこと。その「意見」の強さに私はやられてしまうので、勝手にやられておけという感じがしなくもないですけど…。自由に意見を言えることと他人に配慮することは、どちらが優先されるんでしたっけ。配慮でしたっけ。配慮された範囲であってもダメな自信がありますね…いや本当に弱い…。

弱い所を隠しているつもりなんですよ。出したくない、知られたくない。でも、知られないと知ってもらえない。やっぱり人間関係って難しい。

色んな可能性を考えられるようになったのは、視野が少し広くなったと思っていいのかもしれません。やったね!