なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

自分の価値と評価

どうも、のんびりまったり過ごしています、のなめです。

今日は、自分の価値ってなんだろうな〜ってことを考えてみたいと思います。

人間、誰だって唯一で、自分以外の自分は存在しないわけで。そんなのは当然の認識だと思うかもしれないけど、自分はそうでも他人はそうじゃなかったりするんですよ。自分は唯一無二、でもあの人の代わりはいくらでもいる、みたいなね。私は自分の代わりはいくらでもいるんだろうなぁ、でも私は私でしかないんだよなぁ…と考えています。誰かの代替品になり得る私も、誰かの唯一の私も、全部私。

自分の価値は自分が決めるのか、社会が決めるのか。恐らくどちらもなんでしょうね。ただ、相互作用するとは思います。自己評価が低ければ、社会での評価も低くなりがちというか。私は自分の評価は高くない(ちょうどいい)というように見てますけど、社会から見た私って実際どうなんですかね?数字の上では低いみたいですけど。アセスメントテスト…来年度もやるらしいです。悲惨な結果になるのが目に見えてて嫌だなあ。

私の価値、というと色んなものが浮かびます。能力的なもの、立場的なもの、存在そのもの。能力は平均並みだし、勉強もできないわけじゃない。いざという時仕切れるぐらいの気概は持ってるつもり(ただしガバガバ)。それでも周りを見ると、私よりすごい人はたくさんいて。周りを見て自分の価値を決めるのは馬鹿らしいなと思ってしまう一方で、誰かと比べなきゃ自分の価値を推し量れないというような感じもあって。自分で自分がわからないんですよ。だから自己評価を他人に委ねてしまいそうになります、自分の評価のくせに。

客観的に見て、私は割と平均的で突出してるところもあるし性格もそんなに悪くない、けど他人に影響を与えるほどの何かはない、という認識です。ただ厄介なのは、自分を高く評価したくないと思ってしまうんですよね。自己評価を高くすることを、脳が拒むんですよ。きっとずっと自分の否定ばかりしていたから、それが染みついてしまった結果なんでしょうね。

私は存在する価値があるの?と何気ない瞬間に自問自答してしまって。きっと他の人からしてみれば、価値なんてあってないようなもので。なぜなら存在することが当たり前だと思っているから。価値なんて推し量る必要がないから。そんなことを考えてたら生きづらくなるだけなんでしょうね。考えてしまいますが。

自分の価値も評価も、身の丈に合って丁度いいものにしたいんですけど、私の胃を痛めかねないのでどうしようかなという感じで…。実を言えば自分はもうちょっと評価されて然るべきでは?と思っている感じではあるのですが、なんせ自分でそう考えるのがとても嫌なんですよね。嫌味かって思われるかもしれないんですけど、自分のことが嫌いなくせに自分の評価自体は高いって矛盾してない?みたいな。人間矛盾だらけだし私は常に二律背反なので今更という感じはしますけど…。友人間の私の評価がそこそこ高めなのが救いです。友人の評価ならある程度贔屓目だとしても信じられるので…。

何が書きたいのかわからなくなってきましたね。もっと頑張りたいです、本当は。自分の能力を磨いて、自分の力で生きていけるようになりたい。理想論ですけど。頑張ります。