なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

「異質」というアイデンティティ

どうも、のなめです。もはや夏の気候でテンション高めです。暑いのは得意じゃないですけど、夏の晴れた空は好きです。

エニアグラムの本を読んでいて思ったのですが、4番の人って良くも悪くも自分が「他の人とは違う」ということを自覚、あるいはそう思いたい傾向があるということが書かれていたんですよね。私ももれなくそうなので、本当、見抜かれている気分になります。

自分が他人と違う、なんて当たり前のことをアイデンティティにしている。と思われるかも知れませんが、ここでいう「違い」は、普遍的でない、理解され難い、受け入れられ難い、ということなんでしょう。過去の記事で散々言っている気がしなくもないんですけど。

「普通になりたい」と、数年前には強く思っていました。「誰といても場に馴染めて、浮かなくて、溶け込めて、楽に息ができる生き方」を望んでいました。無理だと悟ったのはいつだったか。不可能ではない、けど仮面を付けるのも嫌だ。自分らしく、生きやすくいたい。どちらかを捨てることを求められるなら、私は生きやすさを捨てます。

「自分らしくいたい」と願った結果の「異質さ」であるならば、それも一つのアイデンティティなのでしょう。周囲から浮く、もしくは目立たないよう心がけて隅にいく。奇異の目で見られる、嘲笑される。それを受けてもなお、自分でいたい。私が私らしさを失えば、それこそ私自身の死なのです。

「異質」であること、と特別だとは思ってませんし、でも他の人とは違っていたいと思ったりもする。面倒くさい生き物だなこいつ。

周りにはきっと「普通」に見えてるんだろうな、と思います。ちょっと不思議というか、天然入ってるのかな?みたいな感じに捉えられたりします。高校の時のクラスメイトに「どうしてそんなにフワフワしてるの?」と言われたことが強く印象に残ってます。今思えばだいぶ見抜かれてたんだなあと。

ほぼほぼ自己内での修羅場というか、葛藤なので。内々にしてしまうんですよね。とことん内省。愚痴は言えど真剣な相談をあまり外にしたりはしないし、悩みを打ち明けることも少ない。私を理解しなくていい、こんな醜い部分を晒すのが怖い。受け容れてくれると確信していても、です。

たまに、本当に私は普通なんじゃないかと思ったりするんですけど、そうだったら今こんなに悩んでないし、壁にぶつかったりもしないじゃないですか。もう何度目の自問自答なんだ、って感じなんですけど。これも4番特有の「妬み」と「自己否定」からくるんですかね。そうだとしたら、私はぴったり4番の特性を持ってるんだと思います。否定しようがないぐらい社会不適合者。

周りにそう思われていなさそうなのが、幸なのか不幸なのかはわかりませんが。これからどうボロが出てくるか、見ものですね。