なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

『「発達障害」と言いたがる人たち』感想

長期休み中に読む本を探しに本屋へ足を運んだところ、とあるタイトルが目につきました。それが、香山リカ著『「発達障害」と言いたがる人たち』です(敬称略)。昨今増え続けている「大人の発達障害者」やいわゆる「グレーゾーン」の人たちについてなどを語った本です。正直、購入するかはとても悩んだのですが、新書でレビューなどが少なく(6月15日発売でした)、また自分にも少なからず関係があることだと思い、購入に踏み切りました。本著は「発達障害だと言って診断を求めてくる大人が増えた」ことを皮切りとして、発達障害と定型発達の境界線の曖昧さや、診断の難しさ、それを基にして起こる過剰診断などの問題、といったところに焦点を当てているので、正直言うと、発達障害ライフハック術や生活改善などの方法は一切ありません。「発達障害」についての問題提起をする本、という風に捉えたらいいと思います、多分。

二時間ほどで読み終えてしまったので、発達障害についての知識が多少ある人ならスイスイ読めるのではないでしょうかね。簡単な表現でわかりやすく読みやすく書かれているという印象でした。

www.amazon.co.jp

本はこちら。

以下、自分の主観モリモリの感想を書いていくので、もしよければお付き合いください。

 まず、この本を見かけた時に浮かんだのは、Twitterで以前バズった「自分をADHDだと思い込んでいる低スペック人間」という言葉でした。時間や約束を守れない、部屋の片づけが出来ない、先延ばし癖があるなどの「ダメ」な要素を、「発達障害」であるという要素で言い訳に変えてしまう、ということだと思います。実際、ここ数年で「おとなの発達障害」というものが発見されて、自分もそうなんじゃないかと受診する人が増えたらしいです。私もその一人ということになります。

このタイトルを見た瞬間、揺らいだ自分がいたことは確かでした。「私は本当にADHDなのか。ちゃんとした検査をして診断してもらったけれど、本当は発達障害だと思いたいだけの低スペック人間なのではないか」と以前から思い悩んでいたこともあったので、もしこの本がその手掛かりになるのならば、一読の価値はあるだろうと思って購入を決めました。

最初に言っておきますが、この本は「自分はグレーゾーンなのか、それとも本当に発達障害なのか」という悩みを解決してくれる本ではありません。あくまで問題提起をする本です。

全体を読み終えた際の最初の感想は、〈「発達障害だという『個性』が欲しいという人が少なからずいるという事実」を受け止めなければいけない〉、ということでした。「私は片付けが全然できなくて困ってるんです。しかも空気も読めなくて人間関係で困っていて……。これってもしかして発達障害なんじゃないんですか?」と精神科を訪ねる人がいるようです。話を聞くと、発達障害ではないという風に伺えて、それを伝えると、「発達障害じゃないんですか……」と残念がるそぶりを見せる。上記でも言った、自分の「ダメ」な部分を「発達障害」を言い訳にしたいという人がいるということです。それだけじゃなくて、「唯一無二の自分」を求める結果「発達障害」という「個性」を欲しがる人がいるということです。私も以前ブログでそんな悩みを書いた記憶があります。発達障害は「誰にでもあり得る」要素を少なからず含んでいて、多くの発達障害者、またはグレーゾーンの人がわかっているように「境界線が曖昧」であるが故に、重度の発達障害でない限り診断を下すのが難しい、ということ。専門家である精神科医でさえ、判断は難しいとしていること。読めば読むほど、定型発達者との違いは些細なのかなと頭を悩ませてしまいます。

また、著者はこれらの受診者側の「発達障害でありたい」というような問題以外に、例えば製薬会社が「グレーゾーン」や「プチうつ(うつ病ほどではないが、軽度の抑うつの傾向がある人)」などをターゲットとしてビジネスを行っていたという問題にも触れています。製薬会社が処方箋が必要な薬を売りたいがために、「発達障害」などをメディアなどで取り上げて「患者の掘り起こし」を行い、薬の売り上げを図る、という問題が往々にしてあるそうです。メディアなどで名前が知られるようになり、もしも特徴が当てはまっていれば「もしかしたら発達障害なのでは?」と考えてしまう人がいることは確かです。ネットでのセルフチェックはあまりあてにならないのでは、と個人的には思いますが。

でも、それだけでは「発達障害」と診断される人が増えている理由にはならない。これは、医師側の「過剰診断」が要因の一つだと著者は述べています。ガンなどの病気とは異なり、ハッキリと「発達障害」と判断することは難しい。客観的に診断しようとしても、どうしても主観が混ざってしまう。たとえ「発達障害の傾向があるが、診断名をつけるほどではない」というような人だったとしても、「診断名を求める患者」と「それに応えようとする精神科医」の関係が成立してしまった結果、「発達障害という過剰診断」が行われてしまう、というものです。この部分を読んだとき、素直に「なるほどな」と感心してしまいました。私は発達障害なのではと言われた時、自分の中に可能性を抱えていたものの、少なからずショックを受けました。けれど、最初の方でも書きましたが、中には「発達障害という診断名を欲しい」と思っている人もいるのだなと、なんだか複雑な気持ちです。

上記以外の部分で興味を抱いたのは、「発達障害の診断には『丁寧コース』と『簡単コース』の二種類がある」というものです。『丁寧コース』は予約に数か月かかるけれど、幼少時の様子を親などにも聞きながら問診し、WAIS-Ⅲを行い、検査結果を伝える、というもので、『簡単コース』は予約にも然程時間がかからず、2、30分の問診を基に診断をする、というものです。私の最初の病院は完全に『簡単コース』でした。今通ってるところはどちらかと言えば『丁寧』寄りかな、なんて考えてしまいました。

話は少し変わりますが、つい先日、「ゲーム障害」なるものが認定されたということが話題になっていましたね。本著を読みながら、このことが脳裏に浮かんでいました。「スマホ依存症」とかに似ている気がします。なんでもかんでも病名やら症状名やらがついて、「何でもない『私』というアイデンティティが失われていく」ような世の中になっていくんじゃないのか、という懸念が少なからずあります。「ただの私」という存在、平凡で、普通で、ありふれた「私」という存在が、現代社会では「無個性」と捉えられてしまっている。「障害でも病気でもなんでもいいから、『無色透明』の私に『色』をつけたい」という願望が、こんな事態を招いているのだとしたら、とても悲しいことだなと思います。でもこういうのって、自分の意識を変えなければ、他人がどう言おうと変わることは難しいのではないでしょうか。いっそのこと「無個性恐怖症」とでも名付けてしまえば、変な考えを抱える人も減ったりしないですかね。無理でしょうか。でも、気持ちはわかります。私も、特別な存在でありたいと、そう思った時期があります。誰にも負けない優れた能力を持っていて、いつか成功するんだと、根拠もなく信じていた時期もありました。全部叶わないと知っていても、信じていたかった。

今は、自分が自分であることを見失わなければそれでいいと思っています。たとえ発達障害じゃなくても、抑うつを抱えていなくても、私が私であればそれでいい。そういう「平凡な唯一無二」の意識を持つことが大切なんだと、著書を読んで改めて感じました。

めちゃくちゃ正直に言うと、この本、問題を表にして「こういう問題が今あるよ」と示しているだけで、解決策は全くない(難しい問題なので当然と言えば当然かもしれませんが)ので、消化不良感は否めないです。しかも、章をわたってなぜか同じことを二回繰り返してる(それもかなりの文量)ので、書くことがなかったのかな?と邪推してしまいました。けれど、自分に関わりのある問題だという風に受けとめるには十分でした。薄っすらと実感している問題を浮き彫りにした感じなので、まあ今更感は否めないですけど。読み返したりはしないけれど、読んでよかったな、というのが本当に正直な感想です。すらすら読めた時点で私的に高ポイントなので。あとは、精神科医界隈の事情もちょっと覗き見することが出来るので、「精神科医って大変なんだな……」と改めて自分の担当医の先生に感謝できました。知ってる人は知ってるよって感じなのかもしれませんが。

以上、感想でした。お付き合いいただきありがとうございます。