なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

御伽話の恋愛話

 いわゆる『御伽話』が好きです。大方はハッピーエンドで終わる、綺麗な綺麗な空想世界の代物なので。

 念のため意味を調べてみると、下記の通り。

御伽話・御伽噺(おとぎばなし)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 退屈を慰めるための語り合う話。子供に聞かせる童話。空想話。そんな類のものが、私は好きです。

 理由としては割合簡単です。最初にも述べた通り、大抵はハッピーエンドで終わるので。そうでなくても、説得力を以って、美しくお話は終えられる。グリムやアンデルセンの童話も子供の頃によく読んでいましたし、ディズニーとジブリ映画を観て育ってきたといっても過言ではありません。ジブリ映画を喜劇とするかはちょっと微妙かも知れないけれど。

 決して現実にはならないと分かっているし、都合の良い現実なんて有りはしない。その事実を認識していても、美しく人生を終えたい。そう願ってやまない自分がいます。

 

 それと、もう一つ。私には碌な恋愛経験がありません。特定の誰かと愛情が通じ合ったことがない。そのせいか、今なお恋愛に夢を見ている節があります。

 もう30も近い人間が、恋愛に夢を見ている。言葉にすると大分、奇妙だなと思います。グロテスクと呼んで差し支えないのかもしれない(自分ではそうとは言いたくないけど)。世間様の価値観はまあ、どうでも良いか。

 そんなわけで、私は『御伽話』を夢に見ます。いつか、運命の人に出逢えるのではないかと。心から愛しあえる人が現れるのではないかと。

 恋愛の醜いところは大体、メディアからしか得ていません。経験がない。だからこんなことを言えるんだと思います。自分でも笑えるほど夢見がちだと思います。嫌なところも良いところも含めて経験できたら良いなと思うと同時に、そもそも人間が嫌いだし必要はないのでは? と思ってしまいます。変なこだわりかもしれない。

 理想主義的である自覚はあります。今後の人生は自分にとって美しいものだけ見ていたいという願望があります。恋愛も、御伽話のように美しいものであって欲しいと思うことがあります。性欲とは無縁のところに在って欲しいと思ってしまいます。実際は性欲と恋愛は結びつくものと理解していますが。

 

 自分のこういった、なんというか幼い思考を書くたびに、自分は精神的に歳を重ねられてないんだろう、とつくづく思います。人生経験が浅すぎる。このまま歳を重ねたらどんな存在に仕上がるのか、恐怖と好奇心が湧きますね。

 私にとって都合の良い終わり方であれば、それで良いのだけど。