なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

ストラテラ経過報告もどき

ストラテラをのんでから5か月ほどが経ちました。もうすっかり120mgが定着しています。昔の私が今の私の状況を見たらひっくり返るかもしれない。

ストラテラと精神科通院を経て、それなりに良くなったと思います。なので、報告も兼ねて何が変わったのかを書いていこうと思います。

・部屋の片づけが出来た

まず一つ目なんですけど、いきなりこれは大きいと思います。なぜなら私、年末年始ですら掃除をせず、テストやらレポートやらで忙しいのを言い訳にして、半年以上ゴミ部屋で暮らしていました。掃除機を持っていないのでクイックルワイパーで床掛けをしているのですが、それすらせずにいたのが、ふと思い立ってGW中に大掃除をしました(来客があったのもあるのですが)。それから、せめて見るに堪えないような状態にしないように、定期的に整理整頓をするように心がけています。ただ、また少しずつ汚部屋になりそうな気配はバリバリあるので、本当に気を付けたい……。

 

・自炊をある程度するようになった

うつ状態をこじらせてから、自炊をすることなく、ゼリー飲料やコンビニ・スーパーの弁当でなんとか食いつないでいたのですが、最近は週末に食材を買い込んで作り置きをするようにしています。ただ、これからまたテスト期間だったりレポートの締め切り地獄に襲われるようになるので、またグズグズな食生活になってしまうとは思うのですが、食べるようにはしています。そもそも数か月前までは一食も食べないなんてザラにあったので、一食でも食べるようになったことが進歩かなと思ったり。お陰で体重も増えて肋骨も以前より浮くこともなくなりました。

 

・自分を褒めるようになった

これ、一見するとなんでもないように思えるかもしれないんですけど、私にとっては大きな進歩です。発達障害の人って自己評価や自尊心が著しく低い人が多いと思うんですよ(5chネラー並感)。実際私も、自己評価は正当なものだと思っていますが、自分の事は大嫌いですし、少しの失敗でも思い詰めて自分を責めてしまうし、自分が悪いと思いがちなんですけど、最近はちょっとしたことでも「私にしてはよくやった」と褒めるようにしています。謙虚はいきすぎると卑屈になって、周りの人も不快にさせてしまう。それは嫌だなあと思って、卑屈からの脱却を試みています。これはバイト先の人からの受け売りなんですが、「自分以外に自分を褒める人がいない。だから自分で自分を褒める」というやつです。確かに、二十年以上生きてきて、子供時代以降褒められた記憶がない。褒めることって大事なんだと改めて思います。

 

少ないかもしれないですけど、今のところはこれぐらいですかね。生活上で心がけているのは、

・思いついたことを付箋に書いておく、済んだらすぐに捨てる

・冷蔵庫にホワイトボードを張り付けて、締め切りや賞味期限、食材の購入日を書いておく(スケジュール帳と連動して行っています)

・失くしたら大変なものは必ず定位置に置くようにする(主に家の鍵)

・前日の夜に次の日の準備(教科書やファイル類)をする

・できない、無理だと思ったらすぐに諦める

です。目に見える場所に置いて書き込むこと、見ることを重要視しています(資格優位なので)。最後の「できない、無理だと思ったらすぐに諦める」は主に家事的な意味です。課題は徹夜してでも終わらせるのが信条なので(むしろ徹夜せずに終わらせた試しがないのですが…)。現在の大きな課題は先延ばし癖ですね。これが一番厄介だと思っています。

ストラテラを飲んで、ゆっくりとですが変化を感じているのは確かだなと思います。いつか飲むのをやめられるように、今の生活法を定着できたらいいなあと考えつつ。

INFPのADHDという話。

こんばんは。皆さんは「MBTI」診断を知っていますでしょうか。人間を16タイプに分けるという、性格診断系のやつです。有名なやつだから知ってる人も、やったことのある人もいるんじゃないですかね。

さて、なぜこんな事を聞くのかというと、私はINFP-Tというやつなんですよ。どういう性格かというと、詳しくは以下のURLを参照して下さい。

“仲介者”型の性格 (INFP-A / INFP-T) | 16Personalities

まあ、ざっくりいうと、理想主義の平和主義。空想の世界に飛んでいって、ふわふわと地に足ついていない人、という感じですかね。初めてこの診断をやったのは高校三年生の時だったので、その時から、時々INTP型になったりもしましたが、基本的にはずっとINFP型です。

これの何が問題かって、16タイプの中でも一番「社会不適合者」なタイプと言われているんですよ。内向的で、地に足ついてなくて、感情で物事を捉えて、ルールを気にせずに生きている。そして機微に敏くて感受性も強いから、ストレスも半端なくて(しかも-Tの人はストレスに敏感らしい!)。よく言えば芸術家タイプというやつなんですけど、裏返せば社会で生きていくことが出来ない、まともな職に就けないって言われてるようなものなんですよね、このタイプって。そして私の何が問題って、これにプラスして発達障害だってことです。もうね、たかがネットの診断だろう、と思うでしょう。でも、本当に思うんですよね、「私は社会で生きていけない」って。INFPは全人口の4%ほどしかいないらしいです。どんだけマイノリティに生きれば良いんだよって思ってしまう。本当に関係ないんですけど、ちなみに私は左利きです。

適職診断とかもきまぐれでやったりするんですけど、この前やってみたら、何個かあったうちの一個に「フリー」ってありました。もう笑うしかない。フリーターってことですかね。あとは芸術、芸能方面とか。これは中学ぐらいからずっとそんな感じだったので、多感で自分は才気あふれる人間だと信じて疑わなかった中学時代の私は、「私は芸術家になれる!?」と変な勘違いをして変な方向に突っ走っていったという過去もあります。今となってはいい思い出。小学校のころから芸術、芸能方面の職業に興味があった事もあってか、嫌な相乗効果を生み出したと言っても過言ではない。

それで、自分のやりたいことや生き抜く術を、手探りで見つけようともがいている現在なのですが、本当に自分が何に向いているのか、何を仕事にしてご飯を食べていきたいのか、考えあぐねている状態です。現在のもっぱらの興味は、言語学倫理学・哲学です。残念ながら、興味の方向は幼いころから大して方向転換できてないようです。教師なんてものは向いていないにもほどがあるので考えもしていませんが、大学教諭にはちょっと興味があります。研究をして、自分の興味のあることについて教授するというのは、とても面白いなあと思います。が、大学院まで進むほどの勇気は今のところなく。民間企業への就職も検討していますし、教務課のお世話になることも考えたり(あとはインターンとか)しているのですが、そこから自分の「ある程度」の適職を見つけるのって、健常者であっても至難の業だと思うのですが、実際のところどうなんでしょうね?

「普通」に擬態するのが下手くそで、しかも消費エネルギーが半端ない省エネ体質なので、社会から孤立する自信しかないです。締め切りもギリギリまで手を付けず、時間にルーズで世間知らず、しかも非効率で手際も悪い。コミュニケーション能力もない。もう詰んだんじゃないですかね。コンティニューはできないですかね?

 

余談なのですが、大学にて、「社会に必要な能力があるか確かめる」という名目の上アセスメントテストを受けたのですが、結果は悲惨の一言に尽きました。DからSの五段階評価なのですが、軒並みB,Cでした。「問題解決に必要な態度・姿勢」という項目に関しては全てDでした。怖。結果を見た瞬間笑いが止まらなかったです。

私よりも勉強が出来なくて、素行不良で、性格に問題のある人だって何かしらの職業に就けたりするのに、私の未来はお先真っ暗です。正直恨めしいし、羨ましい。劣等感でいっぱいです。自分の能力云々もあるけれど、「私」という人間の根っこが「社会」の土壌と合わないなら、もう仕方ないんですかね。このまま別の世界に飛んでいきたいなあ。子供を産む気のない女は、今の日本では見放される対象でしょうか。年を取るにつれて、生きにくいなあと感じます。明るい未来はいずこに。

人間関係って何だろうね

お久しぶりです。うだうだしながらスマホをいじっていたら一か月も更新をサボっていました。

WAIS-Ⅲの結果が届きました。結論から言えば、私はADHDです。

残念ながら下位項目の点数は教えてもらえなかったのですが、IQ差は18、群指数の最大差が45ありまして。ちなみに最小は2です(参考になるだろうか…)。

傾向としては聴覚<視覚で、全体的に見れば平均の範囲内(かちょっと下)ではあるものの、作動記憶と処理速度の差が本当に大きくて(処理速度が何故か130でした)。

日常生活での対処法としては、聞いたことをすぐに視覚化できるようにする、がやっぱり一番なのかなあと。興味のないことは右から左へ流れていくので、それもどうしようかなって感じはありますけどね。見えるところに付箋を貼ったり、スケジュール帳を頻繁に確認したりということを意識していきたいなあと思ったり。

 

話は変わりまして。自分の燃費が悪いことは重々自覚していたのですが、こと人間関係においての省エネ思考が確実に根の深い問題になりつつあります。すぐ疲れるというか、人と関わることってエネルギー消費が半端ないですよね。だから、本当にすぐ疲れちゃって。コミュニケーション能力が低いこともあって、狭く深くを意識しているのですが、興味本位でサークルに入ったりしたせいで、人との関わりを余儀なくされてしまいまして。早々に辞めればよかったなあと思わなくもないのですが、なんだかんだ楽しいので続けています。ただ、疲れる。本当に疲れる。

疲れるような関係が続くぐらいならきっぱり切るのが私のいつもの行動なのですが、軽く責任のある役に就いてしまったばかりに、それも出来ないでいるんですよね。安請け合いをしたり貧乏くじを引くのは最早性質に近いのですっかり慣れたのですが、そういうところなんですかね、疲れやすい要因って。

昔はエネルギッシュだったなあと懐かしく思います。児童会の会長をやってみたり、委員長をやってみたり、応援団長をやってみたり、副部長をやってみたり。リーダーシップを執ることはびっくりするぐらい向いてないんですが、物事が滞るのが嫌いなので、止まるぐらいなら自分がやる、という気持ちで今まで動いていたからなんですけど。がむしゃらにやってきたので、空回りすることも度々あって。高校ではそれと飽き性(と疲れやすさ)が顕著だったので一際浮いてましたね。

人間関係の難しさが嫌いで、それから逃げるように人との関わりを避けていたのですが、悲しいかな人間は人間と関わらないと生きていけないのです。それと、前述したような性質もあってか、人と関わらざるを得ないようです。

一人が嫌だとか、仲間はずれが嫌だとかは思ったことはないのですが、虚しいと思ったことはあります。いざ一人にされると、「ああ、自分は一人なんだな」と、胸に穴が開いたような感覚になります。それでも、疲れるよりはマシだと思ってしまうんですけどね。

本当に、難しい。人と上手く関わることのできる人たちが、心から羨ましいし、凄いと思います。

先日、バイト先の先輩に「うまく人を使え。手のひらで転がせ」とアドバイス(?)を貰ったのですが、それを聞いた私の感想としては、「私はうまく使われる側だなあ」でした。そこから一歩踏み出してみれば、少しは違った景色が見られるのでしょうか。ゼミの先生にも「社会に出れば人とのコミュニケーションが大切になってくる」と言われましたし。どれも私にはないものです。社会で生きていくのに向いてないなと、つくづく思わされてしまいます。

集団の中の、自分の立ち位置、役割、を、どう考えるか。高校の担任が私に送った言葉です。「集団の中での自分を意識しなさい」と。今でも時々思い出します。正直、好きではありませんでしたが、人を見る目には長けているという印象でした。

この言葉、当時はどういう意味かさっぱり理解できませんでした。集団に属するのが苦手な私にこんな言葉を送るなんて、皮肉られているのかと思った記憶があります。

今は、ちょっと考えてしまいます。人と関わることと、自分らしくあることを両立させること。その難しさ。自分の事で手一杯になってしまう私の、大きな課題だと思います。

普通になり切れない私が、どうやって「普通」の中で生きていくのか。そのために、人間関係をどう形成していくべきか。問題は山積みで、頭が痛くなります。

最終的な答えがどうなろうと、自分が納得できる、最良の答えを導くことが出来ればなと思います。

経過日記。

タイトルそのままですが、ストラテラを飲んで二か月が経ちました。コンサータを飲み始めたのが11月なので、合わせて五か月ほど、投薬生活を続けていることになりますね。ADHDだと診断されてから、半年に近くなっているという事実に少し驚きつつ。

現在、ストラテラ80mgを飲み続けています。副作用はないに等しい状態で、80mgに慣れたら120mgに変更、というところまで来ています。

ストラテラを飲み続けて変わったことといえば、頭の中のごちゃつきが減って、ほんの少しだけですがマルチタスクが出来るようになったことですかね。コンサータと異なり遅効性なので、本当にじわじわと効いていく感じがしました。

それから、少しずつではあるのですが、生活改善にも着手し始めました。バーチカル手帳を購入して、時間ごとに用事を書き込んだり、ホワイトボードやポストイットを使用して、目につくところに大事なタスクを貼ってみたり。部屋は汚いままですが、そろそろ片付けをしようかなという気にもなっています(本当にできるかどうかは不明ですが……)

副作用はないに等しいと書きましたが、全くないわけではなく、慢性的な食欲不振が続いています。コンサータよりは食欲もあるし、作るのが面倒なら買って食べる、ということが出来る程度のものですが。

以前は外に出ると、すぐに音や光、看板などに反応してしまっていたのですが、今はあまりないかな。空をよく見るようにはなりましたが。不注意が減った気がします。一番困っているのは、ただでさえ薄かった興味関心・感情表現がさらに薄れていったことですかね。趣味もぐんと減っていきました。

増薬して、主に副作用面でどうなるか(特に、以前は吐いてしまったので、また起きてしまわないか)が少し不安です。学校も始まるので、それらを含めた生活の中でどうなっていくのか、注意深く観察しながら、頑張ってみようと思います。

 

ADHDについて調べていくうえで、APD(聴覚情報処理障害)を知ることができたのですが、もしかしたらこの障害も持っている可能性が高い気がしています。昔から聞き間違いが多く、聞き返すことも多々あったので。この言葉を知る前までは、イヤホン難聴の可能性を考えていたのですが、聴力検査は異常なしだったのでずっと腑に落ちなかったんですよね。答えが見つかったような気がします(なんにでも症状名をつけたがるのもどうかとは思うのですがね)。

この年になって、やっと自分の事を理解し始めることが出来たと思います。もっと自分を知るために、好きになるために。がんばります。

WAIS-3を受けた話

お久しぶりの更新です。つい先日、心理検査を受けてきました。検査時間は約二時間ですが、説明する時間も含めてなので、私の場合は実質一時間半ほどで終わりました。

ざっくり結果を言えば、「目で見たものを記憶することは得意だけれど、耳だけで聞いたものを記憶するのは不得手」です。追記で内容に触れた感想などを書いていこうと思うので、興味のある方は読んでみてください。

 

それにしても、まさかこれがwais-3だとは思いもよらず。いや、もしかしたら、とは思っていたのですが、本当にこんなに気軽に(しかも思っていたよりも早い段階で)受けられるとは思っていなかった。なので、検査をやりながら『本当に私、知能検査やってるんだ…』と謎の感慨にふけっていました。帰り道でも、やりきった実感が上手くわかずに、なんだかふわふわとした足取りでした。

 

以下、検査の詳細な内容を含むので、読みたい人はどうぞ。

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感情表現の話

他の記事でも散々言ってきたのですが、私は感情表現が乏しく、感情が表に出にくいようです。周りからは「何を考えているのかわからない」と言われたり、冷たい印象を持たれがちなのです。ですが、私自身は割と素直な方で、実を言うと、感情が表に出やすい方だと思っていました。恐らく他の人と自分の「感情を表に出している」感覚がずれているんだと思います。

中学までは割と自然に明るく振舞っていたのですが、高校に上がると、友達がいなかったこともあって、自分を表に出す機会がぐんと減っていたのかもしれません。受験戦争、進学至上主義、人間関係などに嫌悪するような毎日だったので。

今思えば、自分に合わなかったのかなあと。進学なんて微塵も興味が無かったし、今頑張って、我慢すれば未来は明るくなるなんて、当時の自分には全く想像もできなかったので。なんで周りはそんな見えない未来のために頑張れるのか、私は理解できなかった。現在はさすがに理解できますが、理解できなかった当時の自分を責めるつもりはありません。今の私も、見えない未来に向かって努力することがあまりできていないので。

話を戻します。

今は薬の影響もあってか、人間らしさが徐々に減っていく感覚があります。元々ドライな性格ではあったのですが、今は無味乾燥、という感じ。

周囲の人間を「好きな人」と「どうでもいい人」に分ける意識をするようになってからしばらく経つのですが、実際「嫌いな人」がいないわけではなく、寧ろ「嫌いな人」にされた過去に苛まれるような日々を送っていたのです。それが、薬を飲んでからは、本当に「どうでもいい」と無関心になりました。人間らしさを失った代わりに生きやすさを手に入れたような、そんな気がしています。

笑顔を作ることが下手くそなのも、昔からです。ずっとへの字口でいて、写真を撮る時ぐらいしか笑顔を作ることがなかったのもありますが。高校では、綾波レイよろしく「笑顔の練習」をしていました。結果は、お察しください。

あとは、人と接することが苦手で、そのせいで相手にどう感情表現をしたらいいのかわからないのかもしれません。相手の気持ちも考えもわからないし、どのぐらい自分のことを伝えたらいいのかもわからない。さじ加減がわからないし、下手くそなせいで、喋りすぎるか喋らなすぎるか、どちらかになってしまうんですよね。人との距離感を測るのが苦手なのです。書けば書くほど、自分がどれだけ人間関係が希薄だったのかがわかりますね。それでも、人間関係を広くしようとすると、エネルギー消費が大きいのか、慣れていないのか、疲れが尋常じゃないんですよね。結局疲れて嫌になって、関係を切ってしまうので、狭く深くな人間関係を目指しています。

今自分がどんな感情を持っているのか、何を感じているのか、もっと考える必要があるのかなとも思っています。最近、本当に「無」に近づいている気がして、何かを考えていても、何かを感じることは少なくなった気がします。考えに対しての感情が浮かばなくなったというか。全部「無関心」にいくんですよね。前から物事への関心は高くないのですが、ただでさえ低かった関心がさらに低くなって、0に近くなっているのでしょうか。

現状の課題は、もっと感情を表に出す、でしょうか。「どうでもいい」とか「面倒くさい」とか「なんでもいい」以外の感情を表にできるように、感受性や言葉など、色々鍛えようかなと思います。人間らしい部分を取り戻したい…。感受性はある方だと思っていたのですが、それさえもなくなると、いよいよ人間としてポンコツになってしまう気がして怖いです。不安と無関心しかないなんて嫌すぎる……。

精神科通院日記その⑧

行ってきました。心理検査の結果と、近況報告を行い、ストラテラを120mgまで増やすことになりました。ストラテラの服用報告も後述しようと思いますが、120mgは今のところしんどさが強いです。

心理検査の結果では、視覚的な不注意は見られないようです。ここで引っかかる人が多いらしく、私はそれを聞いて混乱してしまいました。また、「本当に私はADHDなのか?」という疑問が浮かんで、今の生活に意味を見いだせなくなりつつあります。今度は二時間ほどの心理検査を行うようなので、それの結果次第なのか、それともやっぱりもっと詳細なものを受けた方が良いのか、考えたいと思います。

 

120mgに増やして今日飲んだのですが、強い吐き気を催して横になってじっと耐えていたのですが、結果、軽く嘔吐してしまいました。今口の中がとても気持ち悪くて仕方がないです。80mgの時は三日目にはすでに副作用はなかったので、120mgも飲んでいくうちに副作用もなくなっていくことを願います…。

 

来週の診察はいつもよりも早い時間なので、寝坊しないことを祈るばかりです。ただ問題なのは、その前日がバイトでさらに最後までなことなんですよね…睡眠時間が削れていく……。