なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

女の子らしさの話

年齢的にまだ「女の子」と言える範囲内にいるとは思うのですが、世間的にはそろそろ「女性」として扱われそうだな…というところの境界線上にいる、そんな気がしている今日この頃です。とても素朴な疑問なのですが、「女の子」らしさ、というものはなんなんでしょうか。

 

女の子、という言葉を聞いて思い浮かべるのは、そのまま『女の子ども』というものでしょうか。それが「女の子らしい」という言葉になった途端、仕草や服装の可愛らしさであったり、お淑やかで控えめであったり、柔和である、というようなイメージになる気がします。あくまで、私の中の「女の子らしい」という言葉のイメージですが。

私は世間一般的に言われるような「女の子らしさ」を備えてはいないと思っているので、「女の子らしさ」というものはどういうものなのだろうな、とふと考えたことがきっかけなのですが、本当に「女の子らしさ」というものはなんなんですかね。哲学できそうです。『女』という性に生まれた時点で「女の子」であることは確定しているし、そこに「らしさ」というものがくっつくことは、ちゃんちゃらおかしいのではないでしょうか。らしいって何なんだよ、私は女だよ。

などと、そう思ってしまう反面、「女の子らしさ」には自分が持っていないものが詰まっている気がして、「私は女だから『女の子らしい』なんて言葉は気にしなくてもいい!」とも思えず。また、「女の子らしい」「女らしい」という言葉は同義語ということでいいのでしょうか。ちょっとまたニュアンスの違いがありそうな気がします。考えれば考えるほど深みにはまっていくこの感覚、私は日本語のこういうところがたまらなく好きです。

 

話がそれてしまいましたが、「女の子/女性/女らしさ」というものは、男性が思うものと女性が思うものでも形が変わっていそうですよね。そもそもの価値観が性別だけではなく、一人ひとりで異なっているので、細かく検証することは難しいですけど。

私が思う「女の子らしさ」というものは、突き詰めていけば「純粋な女性の可愛らしさ」なんじゃないかなと。要するに内面の素直さとか、それによる自然な反応や仕草、言葉遣いから受ける印象が「女の子らしさ」なのかなぁと思います。女性が本来持っている素朴さが表に出た瞬間。それが「女の子らしい」ということなのかな、と勝手に解釈してみたり。まあ、この意味合いでいえば、私は女の子らしいと言えなくもないです。

こんな風に、言葉の意味を自分なりに考えることはとても楽しいです。たとえ辞典などとは違う意味になったとしても、自分が納得するまで考察してみるのも一興かなと思います。

精神科通院日記その⑦

気付けば一週間近く記事を書いていませんでした、精神科通院日記です。

不注意の検査をしました。内容を話していいものかわからないのですが、まあざっくりいうと視覚的な不注意を検査するテストでした。心理士の先生曰く「視覚的な不注意は少ない」らしいです。結果はまだ先ですが、何もなければいいなあと思いつつ。これはあくまで私自身の私見にすぎないのですが、もしかしたら、聴覚の部分が特化して酷いのかもしれません。自分ではただのイヤホン難聴なのかなと思っていたので、少し判断が難しいのですが。その後問診みたいな形でお話をして終了しました。あっさり終わって、少しほっとしたような、拍子抜けしたような。

ただ、私の学歴(というほどのものでもないですが)を他の人に話したのは随分久しぶりだったので、帰るときに色々考えてしまいましたね。人にはひとの数だけの人生があって、私が想像もできないような道のりを行く人もいるとは知っているのですが、私も大概紆余曲折を経て今この場にいるんだなと、改めて感じてしまいました。

その翌日にもう一度病院へ行きまして、調子などを聞かれて、増薬しました。80mgです。今、飲んだ状態でこの記事を書いているのですが、正直体の中がぐるぐるしたような錯覚を覚えています。吐き気とはまた違った違和感、気持ち悪さ。起きたら二錠飲むように言われたのですが、しばらくは一錠ずつ二回に分けて飲んだ方が良いかなぁ…。

 

自立支援にも申請してきました。無事に受理されたので一安心しています。金銭的に余裕がない人間なので(すぐ散財してしまうこともあり…)、少しでも経済的負担が軽減されたのなら、嬉しいと思います。

 

もっと詳しい検査をするべきか否か、とても悩んでいます。私の希望をそのまま通すべきならば、やる、という選択肢を取るのですが。一人で決めていいものなのか、自分の問題なのだから、自分で考えるべきとも思うのですが、両親の意見を聞くべきなのかなとか、漠然と考えています。抑うつよりも不安障害の方が大きいと思っているのですが(不安障害によって抑うつを引き起こしているのかもしれません)、この選択一つをとっても、怖くて仕方がないです。もう少し時間をおいて、考えたいと思います。

精神科通院日記その⑥

その日のうちに書いておけばよかったなと思っております、通院日記です。

診察では前回の振り返りのようなものをしてから、薬の症状はどうだったかを聞かれ、その後、前回行った血液検査の結果や診断書を受け取った、という感じでした。身体やバイトの調子なども聞かれたり。あと、ストラテラの方はまだ増薬はしないということになりました。初期的な副作用があったので様子を見るということです。来週もう一度行くので、その時に80mgになるかなと思っています。

区役所に行ってみたところ書類が足りないということで帰る羽目になったり(ちゃんと調べなかった私が悪かったのですが…)、なんというか、空回りした日でした。

 

ストラテラについても書いておこうと思います。とはいえ、コンサータとは違ってすぐに効果は出ないので、副作用の方をメインに書いておこうと思います。

初日と二日目は特に副作用らしいものは感じなかったのですが、強いて言うならちょっとした動悸と眠気ですかね。コンサータはむしろ目が冴えて眠れない、という感じだったのですが、ストラテラは眠気がすごかったです。薬飲んでから昼寝をする、ということを久しぶりにしました。

三日目になると、強い吐き気と動悸がしました。ベッドから起き上がれないのか、起き上がりたくないのか、自己判断ができないほど、ゾワゾワした感覚が起こって、終始「気持ち悪い」を連呼しました。ただ、この症状はこの日だけのものだったので、もしかしたらただの体調不良だったのかなという気がしないでもないですが。あと、味覚がおかしくなったんですよね。口の中がずっと酸っぱくて、不快でした。

四日目以降は、眠るときに少しドキドキするなあという程度で、特に副作用のようなものはなかったですね。コンサータを飲んでいた時の口内の渇きもなく、動悸も今のところストラテラの方が弱いので、あまりに気にならないなあという感じです。増薬したときにまた変わってくると思うので、それはまたおいおい書いていこうと思います。コンサータの増薬はなかったので、ストラテラも120mgまではいかないとは思うのですが、実際はどうなるかわからないので。

最初、40mgなんてそんな量を飲むなんて嫌だなと、ADHD関連の記事やスレを見てて思っていたのですが、いざ飲むとなると何も感じないものですね。これからどんどん、そういった価値観や考え方も変わっていくのかなと思うと、不安が募りますが。というか、私の二次障害で酷いのは抑うつよりも不安障害の方な気がしてきました。これも最近気づいたことですが、私って自分が思っている以上に臆病で怖がりだったみたいです。失敗を恐れるあまりこうなってしまったのですが、もしこれから薬の服用や病院での生活指導でそれらが治っていくのであれば、とても嬉しいなと思います。まだまだ不安の方が大きいですが、ゆっくり、前に進んでいこうと思います。

雑談

最近、本当に体調も気分も良いです。いつもテンションの上がり下がりの期間が短いのですが、今回は長めです。バイトが上手くいっているせいでしょうか。精神的に傷つくことが少ないので、沈むこともないのでしょうかね。学校も休みに入ったので、ぼんやりする日々を送る気がします。無駄に消費し続けて後悔しないようにしないと、とは思ってはいるのですけどね。

長期休みを利用して、カメラを片手にどこかへふらふらと出かけても良いかなと思っています。一人で出歩くのが好きなので。休み中にカメラの練習も兼ねて、何か目標とか、決めてみようかなあ。

一人といえば、なんですが。集団で出歩いたり、寝泊まりしたり、ということが苦手だということに最近気づきました。特に、寝泊まりの部分。誰かに自分を見せることが怖くてたまらなくなりつつあるからですね、きっと。年を経るにつれて、内向的な部分がどんどん大きくなっている気がします。いつも自問自答してるなこいつみたいな。

 

何もない日々を送っているので、特筆すべきことがないのが、少し残念です。ネタがないとブログに書けないことが多いので。まあ、自分のためのブログでもあるので、あまり読む人の事を考えていないのも事実ですが。

なんとなく、自分の趣味に触れても良いかなと考えてもいるのですが、それはこのブログの趣旨とは離れていそうでなんとも言えない感じです。まあ、自分を見つめ直すという意味では、趣味の事を改めて語ってみてもいいのかもしれませんが。

 

明後日、二回目の診察があるので、それの報告と、ストラテラ服用の感想でも書こうかなと思っています。ストラテラの方は今すぐにでも書けると言えば書けるのですが、あれって遅効性の薬ですもんね。量もどのぐらい増えたのか、とかも書きたいので、後日に回したいと思います。ひとつだけ言えるのは、初期的な副作用は割とある、です。

効果的に見れば、コンサータよりもストラテラの方が良いのかなと感じているのですが、どうなるかはまだわからないので。もう三か月近く薬漬けの日々を送っていて、最早なにがなんだか、な状態ですけれど。

母親の話

セカンドオピニオンを受けたこと、ADHDと改めて診断されたことを、母に言いました。知能検査を受けることについて私が前向きに検討していることを告げると、母はもっと詳しく調べてから考えたいと言ってくれました。「知らない事の方が不安だから、はっきりさせたい」という私の意思を、受けとめてくれたように感じました。

「不安にならないでね」といつもの口調で言われ、思わず泣きそうになりました(ここでの母の言葉は恐らく「発達障害だからといって不安になる必要なんてない」という意味だと思います)。母も発達障害は「個性」と捉えているタイプの人なので、理解して、受け止めてくれると信じていますが、それと母がこれから抱えるであろう心労とは別の話なので、やはりというか、罪悪感が大きいです。

 

私は、ごく一般的な家族のなかにいると思っています。下に二人と両親がいて、本当にありふれた、普通の家族です。私は家族の中では「事なかれ主義」だったので(兄弟がよくケンカをしていたせいでもあるのですが)、ワガママらしいワガママをあまり言わなかったと思います。いつからか、「いい加減だけど素直でワガママを言わない娘」というイメージを、自分の中で無意識下に作っていたように思います。小学生ぐらいのころからずっと、一歩引いて、自然に我慢する機会が多かったです。それ以前はよくワガママし放題で、友達に沢山迷惑をかけていたので、それの反動なのかもしれませんが。自分の意見を押し通すこともありましたが、基本的に、自分が黙ることですんなり解決するのであれば、黙ることを嫌だとは思いませんでした。

家族には我が強い人が多いのですが、私も自分の意見を母に言う事が多かったです。母は頭も良くいろんな考えを受け止めてくれる人なので、私の中にある考えを臆せず伝えることができたのが大きいです。もしこれで異を唱えることができないような環境であったのならば、私はもっと酷いことになっていたのでしょうか。考えるだけでも怖いです。「私はこう思う」ということに対して「母はこう思う」と返してくれて、母と意見交換をすることは、私にとって大切で、大好きな時間でした。

私が抑うつになって、逃げた時も、逃げた後も、ずっと見守ってくれました。時々辛くなるようなことも言われましたが、それらを含めて、私は母にずっと、支えられてきました。

ただの出来損ないだと思っていたら、それ以上の結果になって帰ってきて、やっぱり申し訳ないなとか、駄目な娘だなとか、そういう気持ちが大きいんですが、それよりも、母に、家族に、受け入れてもらえるかということが、やっぱり不安で。杞憂だってことはわかっているのですが、どうしても拭えないんですよね。怖くて仕方がない。

普通になりたいと願う気持ちさえ持たせてくれないのかな。人に受け入れてもらうには、まず自分で受け容れなくちゃダメだってことは、わかっているんですけどね。

精神科通院日記その⑤

紹介先の病院へ行ってきたので、報告も兼ねて備忘録として書いていこうと思います。

正直、新しい病院には不安の方が大きかったです。調べてもこれといったレビューがなく、またあまり評判が良いとは言えないようなものが多かったからなのですが。失敗したくない気持ちが強くあったので、行くかどうかとても悩みましたが、一縷の望みをかけていきました。結論から言うと、行ってよかったと思っています。

まさかのドアノブを開けて入っていくスタイルのところで、最初本当にここで合っているのか少しだけ困惑しました。

予約を入れたときに受け付けてくれた看護師さんに簡単な問診を受けたりチェックリストをしたりして、そのあと先生の診察を受けました。子どもの頃の記憶を辿ったりしながら、たどたどしい受け答えにもしっかりと応えてくださいました。感謝…

結果的にはやはりADHDであるということでした。来週、不注意をチェックするテストを受けてくるので、それの感想などもまた今度書きます。

薬はコンサータ18mgからストラテラの40mgになりました。錠剤が青くてびっくりしました。薬というより毒のようだという印象を受けました…。

 

WAIS3も受けるか考えてほしい、と言われました。お値段聞いて少しだけ尻込みしてしまったのが悔しいなと思いつつ。発達障害支援の方にも申請することになったので、通るかどうかはわかりませんが、私もさすがに受け入れるしかないのかなと思っています。うだうだ言ってきましたが、今度こそ、自分は発達障害であるのだと認めようと思います。さすがに足踏みをしすぎたかな、と感じていますが、遅すぎることでもないので。

とりあえず、ADHDについての本を探してみようと思います。がんばろ。

態度と立場の話

あまり人のことはいえないのですが、強い口調、特に責め立てるような口調の人が苦手です。ただ私自身、内弁慶気質で気を許した相手に口悪く喋ってしまう気質があるから、あまり強い主張はできないのですが。

ただ、よく見知らない人や気心知れた友人でもない人に、強い口調でくってかかる人は、本当に分からないです。私なんかはコミュ障なのもあってか親しくない人には比較的穏やかな対応をするように心がけているのですが、パーソナルスペースの範囲の違いだったりするのでしょうかね。それとも、相手の外見や雰囲気を見て、自分よりも下の立場であると判断したからそんな態度を取るのでしょうか。実際、年上だったり、上司だったり、人よりも上の立場にいると思っている人は、そんな態度をとりがちですよね。

年功序列の大切さは前にやっていたバイトで叩き込まれたので、理解しているつもりですが。今のバイト先でも、年下の子や同い年の人であっても、自分より長く働いているのであれば敬語を使いますし。というか、基本的に敬語で接するように心がけています。

実は、誰が先輩で誰が後輩なのか、あまり理解できていなくて。学生時代、先輩にもうっかりタメ口で話してしまうほど敬語が苦手なのですが、それはタメ口と敬が混ざっていたからなんですよね。であれば、ずっと敬語で接していれば不敬にはならないですよね、という道理です。まあ、ただ敬語でいても態度が悪ければだめですが。同じ時間帯の人たちに対しては、比較的軽く対応するようにはなりましたかね。というか、誰がその時間帯をコントロールするかでも雰囲気って違うと思うので。私が働いている時間帯はだいたい、自分含めて、良い意味でいい加減な人が多いので…。

 

話が逸れてしまいましたが(いつものこと)、自分の立場にかこつけて尊大な態度をとっている人があまり気に入らない、というお話です。その地位につくまでにどれだけ苦労したかはわからないですが、自分が偉いからと言って、他の人が偉くないわけではないし、無下に扱っていいわけではないと思うのです。人を人と思わないから、強く出ることができるのでしょうか。私には理解できません。人の思考回路というものは難しいです。理解しようとしてもできなくて、どのように展開していくのか予想もつかない。それが当たり前です。それでも、理解してほしい、受けとめて欲しいと思ってしまうことも、当然だと思います。理解したい気持ちと、理解されたい気持ちのバランスが大切なんだと思います。

ずっと下の立場にいることが多いので、上の立場の人の考えに沿えないことが、少し悔しいなと思いつつ。誰かの考えなんて理解できないのだから、それでいいとも思いますけどね。