なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

面倒なことは嫌いです

私たちが生きてる世界は、たくさんの「面倒事」に溢れています。人はみんな、そんな面倒事から逃げたり、立ち向かったり、受け入れたりしながら日々を生きているんだと思います。私はというと、高校時代の口癖が「面倒くさい」だったほどの面倒くさがり屋でした。というか、今現在進行形で面倒くさがりです。朝、早起きするのが面倒くさい、学校の宿題をするのが面倒くさい、勉強するのが、運動するのが、会話が、人間関係が。どんどん「面倒くさい」気持ちが積み重なっていって、行きついた先はうつ状態でしたが。生きることが面倒で、でも死ぬのも面倒で、何もかもが面倒くさくて、ただ布団の上でゴロゴロして、夜になったらシャワーを浴びて寝る、そんな生活を繰り返したこともありました。本当に面倒くさがりならシャワーすら浴びないのかもしれないんですが、ちょっと潔癖の気があるので、体を綺麗にすることは最低限、欠かさずしていました。それでも、人間らしさなんて微塵もなかった。今も、充実している人からしてみたら人間らしくはないのかもしれないんですけど。

性格というものは簡単に変わるものではないのですが、今は「面倒くせ~」と言いながら実行してる感じです(前もそうだったけど)。ここ一、二年で気づいたんですが、私って結構M気質らしく、自分を責めながら日々生きているので、面倒事も案外苦になってないのかもしれない。いや、そんなことはないか…。ただ、今でも面倒で仕方がないことがあります。それは、人間関係です。深く狭くを信条にして生きてはいるのですが、やっぱり社会を生きる上で最低限の浅い付き合いもしなければならないということなんですよね。前にも書きましたが、キャパシティが少ないのにエネルギー消費が大きい人間なので、あんまり知り合いを増やしたくない。というか、顔を覚えるのは割と得意なんですが、名前が覚えられない。文字で見れば覚えられるんですけどね。少なからず一人の時間が欲しい、というよりは、たまには誰かと会って話したり遊んだりしたいなあと思うぐらいで、基本は一人が好きです。一人だと面倒なことがぐんと減るので。中学時代に「面倒だから」と遊ぶのを断ったこともあります。我ながらクズなのでは…。面倒事が嫌いな割に、人からの視線や感情に敏感だったり気にしたりするところが、まあなんとも突き抜けきれてないというか。

人の感情の波って難しいですよね。自分ですらコントロールしたり予測したりするのが難しい時があるのに、他人のそれを考慮しろなんて到底難しすぎる。それを面倒だと思っても仕方ないんじゃないですかね、と言ってみる。それをあからさまに表に出すことはしないようにしてます。まあ、基本不愛想で「何考えてるかわからない」と言われたりするので、あまり心配はしていませんが。

今私が直面している「面倒事」はレポート課題です。締め切りが近い。そして多い。手つかずのままのも多い。何日徹夜する気なんですかね私。単位だけは落とさないようにしたいです。本当に。

さー、がんばるぞー。