なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

人生100年、そんなに要る?

少子高齢社会が進む日本は、『人生百年時代』を謳っていますが。正直、人生100年も生きたいか、と言われればNOと返してしまう私です。

実際、幾つで死んでしまうかはわからないですが、今生きている中ですら人生の意味……というよりは生きている理由がわからないのに、この先80年近く生きていく意味もないような……。

江戸時代の平均寿命は30~50ぐらいらしいです。医療の発達がなかったとはいえ、今思うと短いな、と感じます。

けれど、私は、正直60歳まで生きたいか、と言うと「そうでもない」んですよね。それは、未来への希望であったり、若さを保つことであったり、見通しであったり、金銭的問題であったり……です。

親よりも先に死ぬことはしない、と決めているので恐らく40,50あたりまでは生きるんだろうなあと漠然と考えていますが、60まで生きて、その先は? と今から考えてしまいます。余生を過ごすなり、ゆっくり衰えるなり、子孫に想いを馳せるなりするんですかね。

家族を作る気がないからか、それとも今から年金や奨学金のことで頭を悩ませたくないからか、先のことを考えると頭が痛くなります。そもそも、そんなに先のことを今考えるべきなのか? 少し疑問に思います。

私がもし長生きしてやることって言えば、ゲームと推しを推すことと睡眠とカメラですかね? 今と大して変わらないですけど、体力的にも金銭的にも、きっと支障が出たりするんでしょうね。あれ、これも今と大して変わらないな。

孫がいればだいぶ違うってよく聞きますけど、それなら今の私はかなり危ないというか……余生を楽しめはしないかもしれない可能性が高いですかね?

ピンキリなんでしょうね、きっと。病院で過ごす余生もあれば、元気に出かける余生もある。私は病院で死にながら生きるぐらいなら死を選びますが、そこは人それぞれなので。こういうのって、人間の尊厳とか倫理とか感情とかが色々絡んでくるので難しいんですよね……。

長生きすることが良いのか悪いのか、という判断は正直ないと思います。長生きに良いも悪いもないし、短命にだって良いも悪いもないです。こういうところもあんまり言及すると面倒なので割愛して。

とりあえず、私が言いたいのは、100歳まで何をして生きていけばいいんだろうなあってことです。五億円ぐらいあれば困らないかもしれないけれど、大抵の人はそんな大金は持ってないし。寿命を持て余して生きそうで嫌だなあってことです。

安楽死の導入が待たれる。