なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

発達障害という曖昧さ

自分が発達障害だということを他人に説明するときに、「具体的にどんな症状なの?」と訊ねられても上手く返答することができません。不注意で時間の管理が苦手だったり、順序立てて物事を行えなかったり、忘れっぽかったり。

こういう症状であることは理解しているのですが、普通の人にもある程度はあり得るものなので、「それらが日常生活に支障をきたすレベル」ということを、どう説明したらいいんだろう、と悩んでしまいます。難しいですね。

「そんなの皆あるじゃん」と言われたとしても、どう考えても頻度の多さが違うんですよね。それを理解してもらえないのが、もどかしいなと感じます。

入院した際に、「何か常備している薬はありますか」と尋ねられて、思わず「ストラテラを飲んでいます」と言ってしまったんですよ。「それはなんのお薬ですか?」と返ってきたので「発達障害の薬です」と言ったのですが、そもそも医療従事者が全員発達障害が何かを詳しく知ってるわけではない…ので、どう説明したらいいかわからずに有耶無耶になってしまったんですよね。「生きづらくて…」というような曖昧な回答をしてしまったことを少し後悔しつつ、でも本当にどう答えたらいいかわからなくて。

こういった場面に出くわす度に「発達障害って曖昧だなあ」と思ってしまいます。誰もが持ち得る要素を、生きづらいほど持っている。それだけなのにこんなに生きづらい。

でもやっぱり入院するときなどは薬を飲んでいることを言わなきゃいけないんですよね。もういっそ抑うつで…とか抗不安剤を飲んでいて…とかの方がわかりやすいですかね。実際抗不安剤を飲んでいるので、使えるといえば使えますが。発達障害であることを、医療従事者であっても赤の他人に言うのは少し気が引けてしまう自分がいるんですよね。どう思われるとかじゃなくて、説明が面倒くさいというか。

みんなよく知らないじゃないですか。端的に「頭がおかしい」とでも思ってるんじゃないか、ぐらいのレベルの知識しかない。一般的?にふざけて「ガイジ」と言われるのって、身体障害や精神障害者だけでなく発達障害者も混ざってるわけで。そもそもこの言葉が使われること自体に嫌悪感を抱いているので、使う人には近づきたくないです、正直。

意味もよくわからずに「空気が読めない、話が通じない」人を「アスペ」と呼んだりする人もいるし。もうわけわかんなくないですか?よく知らないくせになんで使えるんでしょう。よく知らないからこそ使うのかな。どちらにせよ私には理解できません。

こういう曖昧さ、境界線の灰色加減をどうにかしたいと思う一方で、もう健常発達も発達障害もごっちゃにしちゃえばいいんじゃないか、とも思ってしまいます。発達障害なんて言葉を消しちゃえばいいんですよ。消えたところで誰に迷惑がかかるんでしょう。境界線の上をうろちょろしている人かな。私もちょっとは困るかもしれません。でも、こうやって言葉遊びのように、玩具のようにされるよりはマシだと思うんですよね。実際どうかはわからないですけど。

曖昧なぐらいなら消えてしまえだなんて極端でしょうか。これも特徴かもしれないですかね。もうわかんないな。