なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

変わってる話

皆さんの近くには、絵に描いたような「変わり者」はいますでしょうか。自分自身が変だということは自覚しているほどなのですが、周りも負けず劣らず、という感じがしています。類は友を呼ぶ現象。

自分は変わっている、というと誤解やら何やらを生みそうで少し怖いですが、このブログを読んでくださっている方(がいるかどうかはわかりませんが)ならちょっとは理解してくれるかな、とか甘えてみたり。というか、発達障害な時点で普通ではないですね、はい。

具体的にどう変わっているかなんていうのは説明しづらいのですが、生き方だったり価値観だったり性格だったり癖だったり、そういった総合的なものなのかなという気がしています。本当のことを言うと、自分がどう変なのかはわかっていないんですよね。ただただ、自分が「普通じゃない」ことだけ自覚しているというか。

もしかしたら、実は私は変わってなんかいなくて、どこにでもいる普通の人間で。ただ自分が周りとは違って、「個性的」であると思い込むことでアイデンティティを保ちたいだけの人間なのだとしたら、それはそれで構わないかなと思っています。他人から見れば普通の人間なら、その方がいいとさえ思います。でもそうだとしたら、私ってただの痛い奴なのでは……。

まあ、自分が変だということを自覚している理由としては、人間社会に馴染めないから、というのもありますかね。社会的に見て、普遍的ではないというか。会社に入社しても、ハブられて孤立する姿が目に浮かびます。人に合わせきることが苦手というか、途中で力尽きて一人になろうとする傾向があるんですよね。周りに合わせることのなにが良いのかとか、わからないわけではないのですが、自分の意思を殺してまで協調しようとは思いません。

こうしてみると、協調性という部分で、私の問題が浮き彫りになってきたりしますかね。協調性のない人間って、完全に輪から外されますし。でも私、そんなに協調性がないとは思ってないんですよね。一応雰囲気を読むのは出来るはず(自信はない)ですし、すぐ済むのであれば、周りに合わせたりもしますし。

趣味というか性質というか、自己分析をする機会が結構あるんですが、何度考えても、自分というものがいまいち見えてこなくてですね。把握しきれないんですよね。「自分」という存在を、できれば全部を、理解しておきたいなと思っているのですが、中々難しいです。悪い部分も良い部分も、冷静に見つめていたいなと思うんですよね。以前ほど自分の事は嫌いではないので、また自己分析が進むかもしれません。

余談なのですが、高校時代の恩師に「(部内では)お前が一番変わってる」と言わしめるほど、当時の私は変だったらしいです。それがちょっと嬉しかった自分も、相当アレなのですが。それから、友人に「自分はどこが変なのか」と聞くと、「いや、変ではないと思うよ」と返されることが結構あるので、もしかしたら、やっぱり、私は自分を「変わってる」と思いたいだけの「普通」の人間なのかもしれません。ただ、はじめにも書いた通り、「類は友を呼ぶ」ので、友人の「普通」発言を鵜呑みにするわけにもいかないかな、とか。

あれ、こう書いてると、やっぱり「自分は変わってる」と思いたいだけなのか?という感じがしますね。混乱してきました。この手の話は水掛け論というか、終わりが見えてこないので、テーマにすべきではなかったかもしれません。まあ、終わりの見えない話ばかり書いているので、今更ですかね。