なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

別れの話

頭が混乱中です、のなめです。

最近、ずっと自分の中にある気持ちを整理するのに追われてて、でもうまくできなくて、毎日もだもだしながら生きていました。

もうちょっとスッキリ生きられたらいいのになと思う反面、こう、ずるずると泥のなかを手探りで進むのが自分らしいなと思ったり。思考の海に溺れて死にそうなんですけどね。

気持ち、というと曖昧なので、もうちょっと細かく言うと、好意を寄せてる人との別れがつらい、という話です。完全に油断していたというか、油断どころの話じゃないですね、意識していないところから急に降ってきて、正直重症です。

元々涙もろい上にすぐ感傷的になるので、冬が近づいていることもあってか一層感傷に浸っている状態です。ただありがたいのかはわかりませんが、表情には出てないみたいです。

実は、わかりやすく「お別れ」の辛さを実感したことがあまりないのです。実家で飼っていた猫が死んだ時も、祖父の葬式でも、卒業式でも、なんともあっさりしているというか。生死を問わず、「一生の別れ」の実感が薄いせいかなと思ったり。曾祖母の時は小学生だったのもあって、「死」についてあまりよくわかってなかったからだと思うんですけど。葬式で泣いた記憶がないし、卒業式の時もそう。悲しく思っていても、実感として湧いてこないというか、どこか他人事のような気持ちというか。

だから、実感を伴った「お別れ」は、実をいうとほとんど初めてなのかもしれないです。覚えてないだけであったのかもしれないけれど。取るに足らないレベルの小さいお別れはたくさんあったし、泣かないまでも悲しかったり寂しかったりする「お別れ」もありました。でも、今回はなにかが、違う。

素直に好意を寄せていた(人としても好きだった)人だからなのかな、と思ったり。出入りが結構あるところなので、一年一緒に居られれば長い方なのかなあ。

感謝の気持ちとか、尊敬の念とか、言葉で言っても伝わらないタイプらしいので、もう本当に、心の底から伝えるしかない、とか。思ったり。

きっとさよならするまで色々考えてしまうんだろうなということは想像に難くないです。好きな人に対しては全力すぎるぐらいに考えてしまうので。重いのは自覚済です。

私みたいな、表情も読めない、感情も伝わらない、言葉は乱暴で思考は乱雑でとっ散らかってて不器用な人間に対しても、ちゃんと接してくれた人なので、本当に感謝しています。でもやっぱり、思ったよりも早いなあという気持ちもあります。

まだ場数が少ないというか、大して人との別れを経験してこなかったので、いい経験にできたらな、とか。別れの数だけの出会いとも言いますし。

いなくなってから存在の大きさに気づくとかいうパターンじゃなくて良かったです。今からその喪失感に怯えていることも確かですけど。

きっと、今の接点を失ってしまったら、会うこともないし、連絡も取らないだろうし、それが悲しくて、でも事実で、もやもやしています。お別れした後も連絡をとればいいのかな、とか、とってもいいのかな、とか、とったところでな、とか、変なことをグルグルと考えてしまいます。

どこをどうやって伝えるかも考えなきゃなあ。