なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

断捨離の話

テレビを見なさ過ぎて忘れていましたが、そういえば24時間テレビが放送されていたんですね。実家にいた頃は見ていたこともありましたが、今は全く興味が無いです。軽く触れておく程度にしておきますが、チャリティーとは名ばかりの感動ポルノを続ける意味はあるんですかね?ちょっと怖いです。

 

もう8月も終わりに近づいてきましたね。残暑を感じつつ、どこよりも早い秋を迎えるんだろうなという予感がしています。

夏休みが終わるまでに、断捨離をしたいです。物と、記憶と、人間関係の断捨離。使わない連絡先を削除して、アカウントも消して。今季で二回以上着なかった服も処分して、下着も、穴あきのまま使っている靴下も、全部捨ててやろうという試みをしたいんです。

というのも、服にある程度興味があり、量もまあそこそこ持っているんですが、タンスの中がギチギチになってしまって。というか、綺麗に整頓できない。だったら捨ててしまえ。そんな感じで、捨てようかなあという感じです。今までに収集したオタク的なグッズも、使わないものはもう捨ててしまうと思っています。売ろうかなとかも考えたんですけど、汚れたりしているので中々売ろうという気になれないんですよね。売ってもいいのだろうか。

私は所謂「捨てられない女」というやつでして。「もしかしたら、今後使うかもしれない」と思って中々捨てられないんですよね。結局使うことはなく、奥の方にしまわれていることが多いんですけど。

どうせ片付けられないのなら、数自体を少なくしてしまえという試みです。片付けられないくせに物だけはやたらあったりするので。思い出が詰まっていたとしても、それは過去でしかないんですよね。……そう割り切れていたら、今頃物の数は少なくできていますが。こういうところで、INFPっぽいかなあという感じがします。なんというか、感情に支配されて、理性的な判断がうまくできない部分とかが。

人間関係の断捨離も、実はあまりうまくありません。情にほだされてしまって、ダラダラと引きずってしまうタイプです。ただ、面倒くさいと思った時の非情さは人一倍ある気はしています。そんなことが滅多にないのがネックですが。

とどのつまり、変わりたいんですよね。もっと、生きやすくなりたい。自然に笑えるように、変な目で見られる回数が減るように。普通じゃなくていいから、輪に馴染めるようになりたい。そのために、きっかけが欲しいんです。断捨離がそのきっかけになるかはわかりませんし、それだけで変われるとも思っていませんが。小さなきっかけの積み重ねをしていけば、いつかは変われるかなと思って。

だって、あと二年もしたら、私は「社会人」として生きていかなきゃいけないんです。言い切るほどではありませんが、馴染めないし、上手く生きていける自信がないんです。心を死に近づけて動いていくしかなくなるぐらいなら、死んだ方がましなんですかね。

こう言っておいてなんですが「社会」も私が生きやすくなるように工夫してくれませんかね。何度も何度も言いますけど、この社会は、私にとってあまりにも生きづらい。私が変わるだけじゃなくて、社会も変わってくれませんか。無理だなんて言わせたくない。失望させないでほしいです、本当に。

話が大きくそれてしまいましたが、断捨離、がんばります。

フラッシュバックの話

過去にあった、羞恥心や罪悪感、嫌悪感を覚えた記憶を定期的に思い出すことがあります。一般的に「フラッシュバック」と呼ばれる現象なのかな、と思ったりするのですが、細かくいえば私の場合、当時の状況をそのままを思い出すのではなく、その時感じた感情であったり言われた言葉であったりを思い出すので、フラッシュバックとは似て非なるものなのかな、と思っていたりします。まあ、面倒なので「フラッシュバック」ということにしていますが。

記憶が曖昧なので詳しくは言えませんが、確か小学校の時からこの行為に悩まされていました。恥ずかしいと思った記憶を思い出しては「もう済んだことだから!」と頭で言い聞かせていたのですが、それでも勝手に浮かんでしまうんですよね。もう本当につらくてしょうがなくて、うつ状態だった時は死んでやろうかと本気で考えてしまうぐらいフラッシュバックが起こったりしてました。というか、これの厄介なところって、なんでもない、ふとした瞬間に突如として現れることなんですよね。友達と遊んでいる時、趣味に没頭している時、寝ようとした時、などなど。一番多いのは風呂に入ってる時ですかね。もうお構いなしで、私の脳内の事柄を全部支配していくんですよ。頭がおかしくなるんじゃないか、というかすでに頭がおかしいんじゃないかって疑ってしまうほどに、思い出してしまうんですよね。

思い出してしまった時に、その記憶をかき消すように奇声をあげてしまったり、結構な音量で何かを口走ってしまったりすることがままあります。しかも人目を憚らずに。ネットでは「ミソる」というらしいですね、まさにそれです。私以外にも同じようなことをする人がいるんだなと思ってからは、少し安心しました。ただ、私の周囲で経験者を見つけたことはないので(まあ、こんなことを表立って言う人なんて中々いないので当たり前といえば当たり前ですが)、やっぱりあんまりいないのかなあとも思ったり。

ストラテラを服用してからは、比較的フラッシュバックする機会は減ったように感じます。思い出すたびに、自己嫌悪に悩まされていたので、それが減ったことで少しは前向きになれたかなあ。このブログを始めた初期よりは前向きなはず、と言っておきます。

私が人付き合いを最小限にとどめたい理由の一つが、フラッシュバックするかもしれないような出来事に出会わないようにするため、なんです。というのも、私は「失敗」とか「恥ずかしい出来事」に人一倍敏感で、他人にそういった姿を見せることに強い嫌悪感を抱いているんですよね。だから、例えば授業中に問題を解いている時に先生が見回るじゃないですか。間違った答えを見せるのが恥ずかしいから、答案を書いている場所を腕で隠したりするようなタイプでした。その時に感じる「恥ずかしさ」が堪らなく嫌で仕方がなくて、それを不定期に思い出すのも嫌で。だから失敗するのが嫌いなんですよね。失敗から得る経験が多いのは理解しているつもりですし、失敗の積み重ねが成功に繋がることは身をもって知っているのですが、それでも、生理的に受け入れられないというか。

冒頭に「羞恥心、罪悪感、嫌悪感」と書きましたが、思い出すのは圧倒的に「羞恥心」です。特に失敗事が多い人生を歩んできたので、失敗→思い出し→失敗を怖がる・嫌がる→避ける→失敗、という悪循環を生んでいました。バカなんじゃないかと自分でも思うのですが、ゲームでもこの現象が起こるんですよね。負けると、負けるのが嫌で辞めてしまう、みたいな。根が負けず嫌いなのもあるので。努力しない負けず嫌い、というとんでもないクズ人間です。才能なんてないのにね。

と、ネガティヴを零しつつ、いつかはフラッシュバックを起こさない生活を送れることを夢見ています。無理かな? でも、夢見るぐらいは許してほしいです。

時間の話

怪我が絶えない生活を送ってます、こんにちは。

昨日脇腹を強打して内出血を起こしました。今もとても痛い。そして若干の筋肉痛。治るのに何日かかることやら……。視野が狭く不注意なせいで、そこかしこにぶつけてしまうんですよね。色んな人に呆れられるレベル。自分でも呆れてしまうほどです。どうしたらもっと周りが見えるようになるんですかね。もはや直らないんじゃないかと思ってしまう。

夏休みに入ってから、自分のしたいことを逆にできない日々を送っています。なんでしょうね、これ。サークルだったり、帰省やバイトでバタバタする生活を送っていて、自分のしたいこと、読書だったりゲームだったりが中々できないというか。サークル活動は楽しいと思っていますし、帰省は良いリフレッシュになりましたし、バイトは大事ですし(ただ最近ちょっと働きすぎかな?と思わないでもない)。私が時間を使うのが下手なだけかなとも思っているんですけど、それにしたって、時間が足りない。睡眠時間を削る他の手段が欲しい。年を取るにつれて、時の流れの速さを痛感します。なんでだ。

まあ、バイトもサークルもなくなれば、一人で時間をただ潰すだけの、味気ない毎日になっていたかもしれないので、そう思うとなんとも言えない気もしています。ただ、やっぱりもうちょっと上手に時間を使えたらなあとか考えてしまいます。隙間時間の活用とかって、本当に苦手で。何をするでもなく、ぼーっと過ごしてしまうことが多いです。危機感がないんですかね。もっと時間を大切にしようと思ったら、アクティブにエネルギッシュに動けるんでしょうか。……いや、無理だろうな。

もっと危機感があれば、というか、明確な目標とかゴールがあれば、上手く時間を活用することができるんですかね。そういうのが全くなくて、ただ過ぎてく時間の流れに身を任せている感じなので、猶更時間を使うのが下手なのかも。報酬系に弱いのもあって、もっと、こう、「やろう!」みたいな感情が中々湧き上がってこないんですよね。全体的に無気力。ないものねだりと言ってしまえばそれまでかもしれません。

結論を言えばなにもしたくないし、なんのしがらみにも囚われたくない。ただ「私」という命が終わるのを待っていたい。でも、待つにしたって、その時間は長すぎる。だから、待つ間の時間をなんとかして、苦痛や退屈を感じない程度に過ごしていたい。長すぎるから、退屈に思ってしまうんですかね。もっと短くてもいいのになあ。

睡眠の話

三度の飯より寝ることが大好きな野滑です、どうも。

皆さんは、一日当たり何時間ほど寝ていますか?一般的な平均睡眠時間は6~7時間ほどだったと記憶していますが、どうなんでしょうか。私といえば、月ごとの平均睡眠時間は6時間ほどなのですが、これは不眠だったり昼夜逆転生活が影響している部分が大きいです。実際の睡眠時間は8時間ほどで、昼寝なども含めたら10時間ぐらい寝てる日があったりします。どちらかといえばロングスリーパーで、睡眠時間が5時間以下になると生活に支障をきたすレベルです。一般的にはそういう人が多いんですかね。理想をいえば8時間以上10時間以下の睡眠をとりたいものです。酷い時は半日寝て過ごしたこともあるぐらい、寝ることが好きです。どうしてこんなに好きなのかというと、自意識を手放すことの気持ちよさとか、余計な事を考えずに済むことの解放感とか、睡眠は仮死状態とも呼べるような状態だと思っていることとか、まあ、色々あるのですが、ただ三大欲求に従ってるだけなのかもしれません。性欲と食欲が減退しつつある現在、睡眠欲が大きくなっていてもおかしくはない、かもしれません。

睡眠は、一日で得た記憶や経験を整理して保存する行為でもある、とどこかで聞いたような気がします。キャパシティが小さくて、燃費が悪い私がたくさん睡眠を取ることで、情報の整理をする回数を多くしていると考えると不思議ではない……んですかね?

ただ、睡眠時間が長いということは、その分活動時間が短くなるということを意味します。これは、ちょっと由々しき事態だなと感じています。他の人よりも経験を得る機会だったり、勉強時間や仕事をする時間が短い、ということです。とはいえ、自分の燃費の悪さを考えるとすぐにガス欠を起こしてしまう気もしています。燃費の悪さをなんとか改善できれば、ロングスリーパーである必要も無いんですかね。それとは別に寝ることが好きなので、直す気はあまりありませんが。

昼夜逆転生活がデフォルトなので、だいたい3~5時あたりに寝て、12~14時あたりに起きることが多いので、完全にお日様に浴びる時間が少ないんですよね。日光を浴びることは精神的にも肉体的にも良いというし、でも今の生活は、あと二年ほどは続くだろうし、ちょっとしたジレンマですよね。睡眠時間を削るという選択肢は取りたくないです。あまり寝ていない日の自分は何を口走るかわからないレベルで頭が働かないので、本当に怖いんですよね。いつも以上に動作が緩慢になるし。だから、少ない睡眠時間でも高いパフォーマンスを発揮できる人は本当にすごいなと思います。半面、心配にもなりますが。どうしたらそんなに動けるのか、秘訣を知りたいところですが、恐らく私には向いていないんだろうな。

コミュニティの話

以前、ツイッターのTLにて「うつを治すにはコミュニティを増やすのが良い」というツイートが流れてきました。バズってましたね。それを見た私の感想は「んなわけあるか」でした。というか、「したくてもできないんだよ」という方が正しいかもしれません。コミュニティを増やすことに苦手意識があるというか、維持ができない。飽きっぽいというか、ADHDであるが故の弊害というか。あまり発達障害であることを言い訳に使いたくないのですが、はい。

実際、私が今所属していると言えるコミュニティの数は、ざっくり5、6個ぐらいですかね。家族とバイト先とサークルと、友達がいくつかと。どうしても付き合いが浅くなりがちなので、ツイッターのアカウントを除けば、ですが。コミュニティの数は少ないと思います。しかも、拠り所に出来るかどうかで絞ると更に少ない。《自立することは、依存先を増やすこと。》この言葉に出会ってから、依存先を増やそうかなと努力したりもしましたが、やっぱり難しい。言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、コミュニティを増やして神経をすり減らすぐらいなら、一人で静かに孤独でいたい。ただ、自分は孤独に耐えられるほど強くもないようで、それがまたつらい。

コミュニティを増やすことでうつ状態が改善されるという方法は、少なくとも私には難しいです。ただ、少ないコミュニティに依存してしまうことの問題も、感じているつもりです。コミュニティ先の人たちに負担をかけてしまうのは怖いです。相手を信じていないわけではないのですが、自分のことはあまり信じられないというか。深く考えすぎなんでしょうかね。難しいです。

重い人間にはなりたくないのですが、それも中々難しい。昔から、一度好きになった人にはとことん尽くそうとしてしまうので。私、自分では自立しているつもりだったんですけど、実際はそうでもないのかもしれません。まだまだ、背伸びしたいだけの子どもというか。心がまだ成長しきっていない感じが否めません。

やっぱり、もうちょっとコミュニティを増やす努力をするべきなのでしょうか。増やすにしても、どうやって増やせばいいのかもよくわかりません。会話することが大事なんですかね?でも、会話って苦手なんですよね。何話せばいいかわからなくて。この歳になってまで、まともなコミュニケーションが取れないことが本当にもどかしいというか、悔しいというか、情けないです。まだまだ成長する余地があるのでしょうか。成長する気があっても実行しない可能性の方が高いですが。文面だけ見ればただのクズ人間なのでは…。

少ないコミュニティでうつ状態から抜け出す術を探したいです……これもまた難しい。

友達の話

一人が好きだけど、友人の事も好きな野滑です、こんにちは。今日は、私の友達のことを少し話したいなと思います。

まあ、そもそも前提として、私は友達作りはお世辞にも上手とは言えないし、人付き合いも、散々言っているとおりド下手くそです。そんな私に残った数少ない友人たち。きっと見限られない限りは、この先ずっと仲良くしていけると思っている人たちです。無意識の厳選がすごいぞ。

私の友人たちは、良くも悪くも個性的、というか、私に負けず劣らずの変人ばかりです。というか、私の親友がそんな感じなので。マイペースで、社会に馴染めなくて、それを悩んでいて、でも自分の道を歩みたいと思っている、そんな子が、私の親友です。最高に不器用で、愛おしいなあと思っています。本当に可愛い子なんですよ、なんで私を選んでくれたんだろうなと思ってしまうぐらい。…選んだというよりは、自然とそうなったと言った方が正しいけれど。

意外かどうかはわかりませんが、異性の友人もいます。一緒に居て楽しいと思える、というか私のことをあまり女だと認識せず、一人の人間として扱ってくれている感じがするので、それがとても心地いいです。性別の垣根を超えているというか、なんというか。私は粗暴で口も悪く、女性らしさはないので、それはそれでありがたいのですが。

私が周囲に恵まれているなあと常々感じているのは、友人たちのお陰でもあります。「私」を受け容れてくれる場所があるから、私は私でいられるんだなと、そう思います。とはいえ、友人たちと遊ぶ機会は月に一回ないぐらいで、本当にたまに会うような感じなんですけど。それでも、会えば空白の期間なんて感じさせないほど楽しくて。そんな友人たちに巡り合えたことは、私の一つの財産だなと感じます。

広く浅く、が無理な私にとって、深く付き合ってくれる友人はかけがえのないものです。自分を曝け出すのは怖いけれど、彼らの前ならそれができる。自然体の自分でいられる。それが何より嬉しいし、人に自分を知ってもらえることの喜びを感じることができて、幸せだなあと思います。

自分がADHDだということを、一人を除いては言っていないのですが、これからも言う予定はありません。言ったところで、関係は変わらないと信じているから。なら言えよ、と思うかもしれませんが、言った後の、罪悪感ともいえるような感情を、もう抱きたくはないんです。それなら、隠し通して生きたい。隠すことの後ろめたさよりも、背負わせてしまった後悔のほうが強いので。

 

果てしなくどうでもいいですけど、「一人でいるのが好き」と言った時に憐みの眼で見られたり「寂しいねえ」って言われたりするのすごい解せないんですよね。別に友達がいないわけじゃないし、それとは別に一人でいることが好きなのに。好きでもない集団に属するぐらいなら、好きで一人でいる方が圧倒的に楽しいし、気が安らぐし、良いと思いませんか?と、ちょっと愚痴を交えつつ。

痣の話

さいころからずっとそそっかしくて、よく転んだり痣をつくったりするような子供でした。今でも脚は痣だらけです。そもそも足癖が悪く、扉を足で閉めるなんてザラにあるようなやつなんですが、それにしたって痣を作りすぎなのでは、と思ったり思わなかったり。親には「お前の眼は節穴か」と都度言われていたし、周囲の人にも「よくぶつけるね」と言われたり。空間認識能力のない左利きです。

というのも、左利きは右脳のほうが発達するらしく、右脳は非言語的処理を司るようなので、物や人との距離を把握する機能が発達している、ということですよね。左利きなのだから空間認識能力があって当然、みたいなことを言われたりすることがあったので、そんなの個人差があるのになあと思いながらも、自分はなぜこんなに物や人との距離を測るのが下手なんだろうと不思議に思っていました。まあ、原因はお察しの通りだと思うのですが。

物理的な距離感を測るのが下手なので、パーソナルスペースも狭くなりがちというか。精神的なそれは広めなんですけど、物理的な距離感は「近い」と言われてしまうほど狭いんですよね。かなりバグっている自覚はあります。

話が逸れてしまいましたが、大人になった今でも頻繁に痣をつくったり細かい怪我をしてしまったり。自分の身体に対する執着というか、こだわりがないので、特に気になったりはしないんですけど。栄養不足なのか、皮膚が薄いのかはわかりませんが、ぶつけるとすぐに青あざができて、日にちが経つと茶色く変色してしまって。対処もせずに放置していることが多いので、痕が残って大惨事です。膝小僧がとても汚い。こだわりがないとか言いながら、怪我や痣で見るに堪えない姿になるのは、流石に心が痛みます。

対処法はないかとネットで検索したところ、発達障害のページが出てきてしまい、苦笑いを浮かべてしまったり。そもそも普通の人はそんなに頻繁に体をそこかしこにぶつけたりしないですよね。もう、何が普通で何が異常なのかわからなくなってきた。

ただ、太ももにもたまに青痣ができるのは、本当に意味が分からないです。太ももってそんなにぶつけないですよね?脛とかならまだ全然わかるんですけど。今現在も、縦一列に綺麗に(?)痣を作ってしまっているので。足癖の悪さを直せば、少しは痣を作る回数を減らせたりしませんかね。足癖が悪いのもずっと昔からなので、今更矯正するのも難しい気もしています。うーん、難儀な問題だなあ。