なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

マルチタスクの話

昔からマルチタスクが苦手で、でもマルチタスクをやらなきゃ間に合わない場面にする事が多くあり、首を締めまくっています。私が認識する「マルチタスクができない」って、「複数の仕事を並行して行うことができない」なんですけど。私生活の面においても、「マルチタスク」ができていないのかなあと感じ始めています。

どういうことかというと、例えば、複数グループに所属することが苦手というか、偏ってしまうんですよね。AグループとBグループがあったとして、Aグループに一定期間関わり続けると、Bグループへの関心や興味が薄れていくし、やる気もなくなるんですよね。で、Bグループに仕方なく移ると、今度はAグループへのやる気がなくなっていく。AグループとBグループ同時に関わるのが無理で、どちらか一方に偏ってしまうんですよ。で、グループにいると疲労が凄いので、ひとりの時間が増えていく。ひとりの時間が増えるとグループに関わる時間が減って…みたいな。謎のループ現象が起こってます。休息時間を減らすわけにはいかないので、まあ妥協を重ねるしかないんですかね。

あとは、リアルとバーチャルでも同じ事が起こってます。リアルが忙しいとネットには触れないし、触っても発言するのが億劫になったりする。逆にネットが楽しくなるとリアルがダメになっていく、みたいな。これも一種のマルチタスクな気がするのですが、どうなんでしょうね。だから、リアルでもバーチャルでも活発に行動している人はすごいなあと思っています。いやほんとに、疲労度が凄い。

キャパシティの小ささと体力の無さを無理やり改善することも考えたのですが、絶対ダメになる(諦めるという意味合いでも)と思ってしまって。一緒にいて心地いい人ならともかくとして、考えなきゃいけない人との対峙は疲れますね。とりあえず筋トレするかなあ…。

ストラテラを飲んでマルチタスクが多少マシになったかなと思ったりするのですが、調子に乗って失敗したので、やはり過信するのはやめたほうが良いですね。ブログを書くたびに自分のマイナス思考を感じますね。逆になんでこんなに後ろ向きなんでしょうか。

マルチタスクがダメならシングルタスクを極める道を選ぶのが無難なところですかね。効率も悪いので、やっぱりマルチタスクが上手にできる人よりは劣りますが。一個のことをなんとか終わらせるぐらいの力はあるはず。興味がそれてしまわないことを祈りつつ。

私がマルチタスクができる人に憧れを持っているからこんなことを言うのですが、憧れていてもなれるわけじゃないので、なんていうか、ちょっと寂しいというか、残念というか。なりたいものになれないと分かってしまった時の虚無にも似た感情を抱いてしまいます。

シングルタスクが悪いって言ってるわけじゃないので、そこは悪しからず。シングルタスクは能力特化型なイメージがあります。私も大概シングルタスク派なので、上にも書きましたが、一個のことを頑張る道もありかなあ、なんて考えてしまいます。職業的な意味で。少なくとも総合職は絶対無理ですね。

他人事の話

ふと、自分のことなのに他人事のように思えることがあります。割と多い頻度で起こるのですが、この現象に名前はあるのでしょうか。

昔から、自分のことなのに他人事のように話したり、体感したりすることが多くて、なぜそうなるのか、特に疑問を持たずに生きてきたんですが、今になって、なんなんだろうなこれ、と思うようになりまして。というのも、あまりにも他人事すぎて、危機感とか臨場感とかを得られずにいるんですよね。

中学のころ、不注意で車と接触しかけたことがあったんですが、その時も、周りが「危なかったよ、大丈夫?」と心配してくれたのにも関わらず「危なかったね、下手したら死んでたかもね」なんて言いながらへらりとしていまして。あのままぶつかって死んでも、まあ仕方がないか、と思ってしまうんだろうなとか考えてしまって。自分のことなのに、なんでこうも自分のことじゃないような風に言えるのだろう、と。本当に下手したら死ぬ場面になっても他人事のように考えてしまうんじゃないかと。いいことでも悪いことでもないと思うのですが、それにしたって、どうなんだろうと考えてしまいます。だって、自分は自分以外にいないのに。自分ですら他人みたいに扱うのは、さすがにどうなのだろうと思ってしまったんです。

離人症、という言葉が浮かんだり沈んだりしますが、恐らく違うんじゃないかなあと思っています。自分のことを客観視することはままありますが、パニックに陥った時にそこまで冷静にもなれないというか。やたら冷めた自分がいたりすることはありますが、それでも対処しきれないことが多すぎるんですよね。

別に私は、自分の中にある問題を増やしたいわけじゃないんですよ。発達障害だって、抑うつだって、回避性パーソナリティ障害だって、離人症だって、別に好きで「こうなのかな」と思っているわけじゃない。なんでもかんでも名前を付けたがるのは社会だけじゃなくて、自分もそうなのかもしれませんね。

他人事、でひとつ思い出しましたけど、独り言を言ってしまう時に、自分の思考に突っ込む癖がありまして。まさに漫画のような感覚で。漫画脳みたいなやつなのかな。

自分のことを他人事にしてしまうことの弊害は、やっぱり危機感のなさと、あと報酬系が効かない事でしょうか。私、「目標達成のご褒美」というもので動いたことがなくてですね。「それが欲しい自分」がいたとしても、「欲しい」まで行きつかないんですよ。別にいいか、みたいな。その割には、「欲しいなら頑張れよ」とか思ってしまうんですけどね。これも結構他人事。

自分の事を考えれば考えるほど、結構ぐちゃぐちゃだなあと思ってしまいます。人間なんて整理整頓されてない方が自然なんですけどね。

正当化できるのかという話

今回の話のテーマは、「自分が発達障害であることを理由に、あるいは言い訳に正当化できるのか?」ということです。例によって人それぞれだと思うので、思考違いであればスルー安定でよろしくお願いします。

片付けができない、家事ができない、掃除ができない、金銭管理ができない、締め切り管理ができない、スケジュール管理もできない、エトセトラ、エトセトラ。これらのことを「私はADHDだからできないんだ」と考えるのは最もだし、実際その通りだから仕方がないと思うのです。

しかし、課題に目を逸らして延々とスマホを弄っていることや、今月の生活費がやばいといいつつ毎日コンビニでお菓子を買っていること、ぼーっとしながら「あ、やらなきゃやばい」と思いながらも動かずに他人事にしていること、これらも「私はADHDだから」と、理由にできるんでしょうか。

私の中の答えは「できる」です。もっといえば「理由にできるけど、したくない」です。なぜなら、これらのことは「普通の視点で見れば怠けている」ように見えるから、です。

発達障害者が発達障害者として生きるのか、それとも普通に紛れて生きるのか、分かれると思うのですが、もし普通に紛れて生きるのであれば、後者の「できない」は「できる」ように努力しなきゃいけないんじゃないか、と私は思っています。思いながらもできていないというか、全部自分の経験なのでどうこう言える立場ではないのですが。

そもそもの線引きがとても難しいので、やっぱりああだこうだとは一概にいえないのですが。というか、私は別に正当化したいわけではないし、発達障害だからといってすべての事柄を「しかたない」で済ませたくないというか。どこからが「障害」でどこからが「性格」なのか、わからないせいでもありますが。やっぱり白黒つけたいのかもしれないです。つけたところで、とも思いますが、わからないよりはマシかな。

と、こんなことを書いている今の自分なのですが、普通に課題に追われているんですよね。いやほんとやらないといけないんですよ、でもやる気が出ないというよりは、危機感がないと言った方が正しいんですかね、全部他人事みたいに思えてしまって。本当に危機感を覚えるのって、多分自分に死が近づいた時とか、そういうレベルの恐怖に見舞われた時なんじゃないかって思うんですよ。この鈍さもADHD故なんでしょうか。あ、でも感覚が鈍いのも特徴ですし、そうかもしれない。脳みそが鈍いんですよ、きっと。だから課題に対して危機感を持てないのも仕方ないのかなあ。そんなわけないと、自分では考えてしまうんですけど。「しかたないからやらない!」ってなるのが怖くて、認めたくないんですよね。私ならあり得るので。

どちらのほうが楽なんでしょうね。

ひとりの話

家族の温もりが恋しくなりつつある今日この頃なのなめです、どうも。

今時はというか、一人暮らしをしない人もたくさんいて、三十代になっても実家暮らし、なんて人だって当たり前にいるようですね。まあ、そりゃ実家にいれば、生活費を払わなくて済むわけですし、その分お金をためたりできるわけです。現在の日本の経済状況を考えたら、手段の一つとしては正解なわけです。

さて、そんな私は一人暮らし歴はだいたい三年半ほどです。生活能力皆無なのですが、便利な世の中のお陰で生き延びることができました。よく「一人暮らしをすることで親のありがたみが分かる」なんて言うじゃないですか。私も例に漏れず親のありがたみが分かると同時に、居なくなってしまった時の恐怖感をしかと感じることができています。もっと自立したい。精神面とか生活面だけではなく、経済面でも。

そもそも、一人で生きていくと(今のところは)考えているわけですので、どの面でも自立した、大人になりたいと思うのは自然な事かなとも思うわけです。パートナーに頼らずに生きていこうとしているわけですから。一人で生きていくのって、難しいですよね。私の理想像は世捨て人なんですけど、いやまあ難しい。経済面が充実していれば、ある程度近い形を目指すことができるんでしょうけど。いや、やはり難しい。

これからの経済状況如何では、実家に戻ってお金を貯める考えもしています。どちらにせよ、大学卒業後ですが。願望は都市内就職ですが、実家の方の企業も一応視野に入れておこうかなあ。来年から本格的な就活を始める予定なので、なんとか対策を練られたらいいと思っています。普通ではないゆえに、色々時間をかけて考えていかないといけないなあと思っています。どれだけ無駄な時間を減らせるかの勝負ですよね。サボり癖と引き延ばし癖を抱えている自分がどこまで危機感をもって取り組めるか、が鍵なのかなあ。

ひとりで生きていきたいと思うほどに、今の自分の弱さを痛感します。一人で生きていくには、強くなきゃいけない気がするのです。ひとりで世間を渡って、ひとりでやっていく。思った以上にハードルが高いですが。私を受け入れてくれる人を見つけるのとどちらが難しいかって話ですよ。どっこいどっこいじゃないかな。

年末は実家に帰る予定なので、思う存分充電したいなと思っています。

続・INFPのADHDという話

どうも、のなめです。最近アクセス数がすごい増えてまして、なんでだろうなあと思って調べてみたら、この記事が伸びた(?)せいっぽいです。

noname-7shi.hatenablog.com

「INFP ADHD」で検索するとこれが一番上の記事になっていました。もうびっくり。こんな書きなぐりの、なんの参考にもならない記事に一縷の望みを抱いて読んだ人には心からお詫び申し上げたいです。そして、読んでくださった人には心の底から感謝します。ありがとうございます。

更にありがたいことにこの記事にコメントをくださる人がちらほらいまして、総じて「私もINFPのADHD、しかも左利きです」とのコメントが。私調べのADHDの左利き率がとんでもないことになりそうだなと思いました。苦しんだり悩んだりしながらも前に進んでいるというようなコメントばかりで、なぜ私はこんなにうじうじねちねちと悩んでいるのか…と思ってしまうほどでした。

まあ、その話題は一度おいて。以下は、ド素人の趣味の個人的見解なので、「あ~わかるわ~」ぐらいのノリで読んでくださるのが一番いいです。なぜなら、解決策はどこにも書かれていないので。私が教えてほしいぐらいなんですがこれは……。

発達障害、特にADHDにINFPが多い、というのは割と認識されていると思うのですが、前提として、必ずしも別にINFP=ADHDだ、というわけではないということを念頭に置きたいのです。前述の事は事実(統計なのか体感としてなのかは、調べてもいないし素人なのでわかりかねますが)らしいということも、また考えてみたい項目だなあと、個人的には考えています。

正直に言うと、MBTIについては、興味はあれど素人に毛が生えた程度(INFPが持っている要素以外については把握できていない)ので、知った顔で話すつもりは毛頭ないのですが。素人であり当事者の戯言として、情報ではなく読み物として、読んでほしいなと思います。機会があれば本格的に勉強したいですけどね。とりあえず『MBTIへのいざない』を購入するところから始めなければな、と思います。読んだ暁には必ず感想を書く所存です。

なぜADHDの人間にはINFPが多いのか、という単純な疑問なんですが、この二つは重なる要素が多いのかなあという個人的見解です。好奇心があって、自分の内にある興味や関心事に惹かれて、それ以外には目もくれず。社会の中ではなくて、自分の中の価値観で動く、とか。

ASDとは異なり空気が読める(対処できるとは言ってない)ところとか。性格診断は当てにならない、と考える人もいると思いますが、MBTIは幼少期のころの自分(「気質」や「気性」)を思い返しながら行う診断なので、記憶の差異はあるかもしれませんが、信ぴょう性に欠けすぎることもないのかなという印象があります。

あとは、人はマイナス面の方がより印象に残りやすいようで、INFPの「内省的で想像力豊か、理想主義的」という部分が「社交的ではなく現実を見ない、社会で生きづらい」といったようなマイナス面に変わってしまっているんじゃないか、という予想です。実際、自分がそんな面で見たりしているので、他にもそういう人がいるんじゃないかなあと。

だから、ADHD発達障害という、世間一般からしてみれば「マイナス」な面と、INFPであるという「マイナス」な面が合わさって最強に見える、みたいな、そんな感じになってしまうんじゃないかなあ。どうなんでしょう。

そして、ADHDとINFPの最大の共通点は「社会での生きづらさを抱えていること」ですよね。みんな誰しも、大なり小なり抱えているとは思いますが、それを差し置いても、まあ生きづらい。

……とまあ散々言ってきましたけど、別にINFPでもいいと思うんですけどね、私は。実際、自分の想像力だったり、感受性が強くて人のことを考えられる部分は、私にとって誇れるというか、長所と呼べる部分だったので。

前述したとおり、INFPでもADHDじゃない人はいるでしょうし、ADHDだけどINFPじゃない人だっているでしょう。たまたまそうなだけ。たまたま、INFPでADHD(で左利き)だっただけ。それだけです。

それでも、「じゃあそっか、気にしなくっていいか!」となるかと言われれば、答えはNOですが。簡単に前向きになるのは難しい。私だって、時間がかかっていますし。現在進行形。

社会は厳しいです。現実は非情です。それでも、前向きに生きたい。頑張って生き延びたい。INFPのADHDだってちゃんと生きていけるんだってことを自分に示したい。示せたらいいなあ。

ぬいぐるみの話

最近、独り身の寂しさに耐えきれなくなったのか、ついにぬいぐるみを購入してしまいました。うさぎの可愛いぬいぐるみです。諸事情により画像は割愛。

ぬいぐるみセラピー的なのを期待して買ったんですが、すごいですこれ。初日から名前を付ける、話しかける、一緒に寝る、だいたい隣にいるようにする、抱く、etc...と、まるで五年前から一緒だったんじゃないかみたいなレベルで可愛がってます。元々ぬいぐるみが好きで、実家に全部おいてきてしまった事を若干後悔していたレベルだったので、自腹切って買って正解だったなと思っています。だいぶ気が紛れているし、何より可愛いので癒される。一人だから、どれだけ幼子のように可愛がっても誰にも見られないし。もし誰かに見つかっても、実家から持ってきたとか言えばどうにでもなりませんかね?

成人した人間がぬいぐるみに頼るのはどうなんだろうと思わなくもないですが、人よりもお手軽なうえに、裏切らないという好条件。お金を払って話し相手ができる。これは一種のシャブなのでは、とちょっと思ったりしています。まあレスポンスは返ってこないですけど、さすがにガチの相談は信頼している人にするので、軽い愚痴とかを聞いてもらっている状態です。独り言でぶつくさ言うよりも、何かに対して喋っている体を取った方が、なんだか心が軽くなりますね。ぬいぐるみ相手でも虚しいというのは置いておきます。

本当はあまり手を出す気はなかったんですよね。買っちゃうと、元に戻れない気がしたので。でもやっぱり一人は寂しかった。版権とかキャラが固まっているキャラクターじゃなくて、全然知らない、出来れば好きな動物じゃないのにしよう、と思っていました。別にうさぎが嫌いというわけではないですが。好きな動物のグッズを買ったり見かけたりすることが多いので、その動物を見た時に愚痴をこぼした記憶がよみがえったら嫌だなあと思ったんですよ。キャラが定まっている系だと、ディズニーとか、アンパンマンとか、ムーミンとか、そこら辺の有名どころにはしないように気を付けました。ダッフィーとか。

カエルが好きなのですが、ピクルス(カエルのキャラクター)にはしないようにしよう、と思いました。個人的にはめちゃくちゃ欲しかったんですけど、相談相手には向かない気がして。こう書くと酷いですけど、なんていうか、本当に好きな人には自分の醜い所を見せたくないというか、まあ、そんな感じです。

でも、今お迎えした子は、一目惚れをして手に入れたんですよね。完全に勢いで買ったんですけど。ただ一個、後悔じゃないですけど、ネット通販で買ってしまったんですよね。やっぱり直接自分で吟味して選ぶべきだったかな…と思ってしまいます。まあ、気に入ってるので良いかなという気もしていますが。もしこれからがあるのであれば、気を付けたいポイントだなと思っています。

一緒に寝るの、案外落ち着きます。ただ高確率で落とすか潰すので、やはり隔離するべきかなと、思ったり思わなかったり。

一年経った話

私が自分を発達障害だと疑いながら病院を受診してから一年経ちました。はてなブログさんがメールでそのことを知らせてくれたので「ほーん」と思いながら、去年の自分に少し思いをはせてみたり。

最初のクリニックでコンサータを処方された時のことは、今でも思い出せます。あの感じは、記憶のなかである程度改ざんされたとしても、鮮明に思い出せます。帰り道、街灯に照らされた夜の道がハッキリ見えたこと。脳内がすっきりして、眠気が飛んで、副作用に喉の渇きと足の痺れがやってきたこと。全部覚えてます。

実を言えば、まだコンサータが残っているんですよね。さすがにもう捨ててしまおうかなぁ。飲む気はないです。処方されてないですしね。ストラテラだけでお腹いっぱいです。もう一度、あのすっきりした感覚が味わえるなら、と思ったことはありますが、それ以上に副作用がきついので、飲む気が一切起きないんですよね。うん、捨ててしまおう。一緒に処方されている睡眠薬も、いいかなあ。別の睡眠薬がまだ残っているので、いざという時はそっちを飲めばいいかな。正直睡眠薬も飲みたくないですけど。これ以上薬漬けになりたくない、というのが本音です。

私、献血が趣味だったんですよ。といっても、2、3回しかやったことないですけど。本当は、薬を飲む前に献血しておこうと思ってたんですけど、怪我をしてしまってダメになっちゃったんですよね。悲しいなあ。また献血したいんですよね。薬抜いて、どれだけ経てばできるんだろう。自分の血で他の人を救えるならいくらでも分けてあげたいんですよ。ドナー登録もしたい。だから、本当は服薬もやめたいんですけど。やめて、今の生活よりもひどくなった時の事を考えると、とても怖いです。

一年経って、発達障害のことをネットや本で色々調べて、真正面から向き合って、時に言い訳に使いながら、時に個性と割り切りながら、今日まですごしてきました。

正直、まだわからないことがたくさんあります。他の発達障害の人と交流したら、わかるようになるんでしょうか。そのための動きもしてみようかなぁ。人との交流を断っていることが裏目に出た気がします。

自分の頑張りが足りないのか、それともキャパシティオーバーなのか、あまり理解できていないんですよ。まだ頑張れるなら頑張りたいし、頑張れないなら諦める。それができないでいるんですよ。全部線引きしたがるこの性質、さすがにやめたいです。性格的には曖昧なものも全部受け入れたいんですけど、根っこの部分がそれを許してくれないうか。変な矛盾を抱えています。これ発達障害関係あるのかな。

なんでも障害と繋げてしまうのは好きじゃないんですけど、考えてしまうんですよね。もっと器用に立ち回りたい。目下の目標はオンオフを身につける、です。上手に仮面をつけられるようになりたい。