なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

他人事の話

ふと、自分のことなのに他人事のように思えることがあります。割と多い頻度で起こるのですが、この現象に名前はあるのでしょうか。

昔から、自分のことなのに他人事のように話したり、体感したりすることが多くて、なぜそうなるのか、特に疑問を持たずに生きてきたんですが、今になって、なんなんだろうなこれ、と思うようになりまして。というのも、あまりにも他人事すぎて、危機感とか臨場感とかを得られずにいるんですよね。

中学のころ、不注意で車と接触しかけたことがあったんですが、その時も、周りが「危なかったよ、大丈夫?」と心配してくれたのにも関わらず「危なかったね、下手したら死んでたかもね」なんて言いながらへらりとしていまして。あのままぶつかって死んでも、まあ仕方がないか、と思ってしまうんだろうなとか考えてしまって。自分のことなのに、なんでこうも自分のことじゃないような風に言えるのだろう、と。本当に下手したら死ぬ場面になっても他人事のように考えてしまうんじゃないかと。いいことでも悪いことでもないと思うのですが、それにしたって、どうなんだろうと考えてしまいます。だって、自分は自分以外にいないのに。自分ですら他人みたいに扱うのは、さすがにどうなのだろうと思ってしまったんです。

離人症、という言葉が浮かんだり沈んだりしますが、恐らく違うんじゃないかなあと思っています。自分のことを客観視することはままありますが、パニックに陥った時にそこまで冷静にもなれないというか。やたら冷めた自分がいたりすることはありますが、それでも対処しきれないことが多すぎるんですよね。

別に私は、自分の中にある問題を増やしたいわけじゃないんですよ。発達障害だって、抑うつだって、回避性パーソナリティ障害だって、離人症だって、別に好きで「こうなのかな」と思っているわけじゃない。なんでもかんでも名前を付けたがるのは社会だけじゃなくて、自分もそうなのかもしれませんね。

他人事、でひとつ思い出しましたけど、独り言を言ってしまう時に、自分の思考に突っ込む癖がありまして。まさに漫画のような感覚で。漫画脳みたいなやつなのかな。

自分のことを他人事にしてしまうことの弊害は、やっぱり危機感のなさと、あと報酬系が効かない事でしょうか。私、「目標達成のご褒美」というもので動いたことがなくてですね。「それが欲しい自分」がいたとしても、「欲しい」まで行きつかないんですよ。別にいいか、みたいな。その割には、「欲しいなら頑張れよ」とか思ってしまうんですけどね。これも結構他人事。

自分の事を考えれば考えるほど、結構ぐちゃぐちゃだなあと思ってしまいます。人間なんて整理整頓されてない方が自然なんですけどね。