なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

泣き言

昨晩の記事は半分寝ながら書いたので、読み返すととんでもないことになっていますね。もう寝ながら書くのはやめます……。

話は変わりまして、数か月ぶりに、自炊をしました。食材も買って、冷蔵庫の中が埋まりました。卵は安くなるからという理由で十個入りをいつも買って六個ぐらい賞味期限過ぎさせて結果捨てるような感じだったので、割高でも六個入りを買いました。ただ、食べて満腹になった後の、部屋に漂う料理の臭いで気持ち悪くなってしまう。でも、健康だったころもお腹いっぱいな状態で食べ物の匂いを嗅ぐと気持ち悪くなったりしたし、なんでもないと思いたい。とりあえずたんぱく質だ、野菜だ!と思って、鶏肉を買って食べました(鶏肉大好きなので一石二鳥)。野菜も割と食べられる方なので、頑張って食べます。煮物がすきなので、今度サトイモの煮っ転がしでも作ろうかなと思ったり。

 

泣くことが増えました。主に風呂に入った時、布団に入った後、部屋でボーっとしている時。理由はわからない、と言いたいところなんですが、多分自分の今の状況を嘆いているんでしょうね。発達障害と受け入れようとしても、実際受け入れきれてない部分があって、誰かに言ってしまった事を後悔したり、うじうじしたり。とりあえず家族には言いました。ただADHDだと診断されたことは言ってないです(広汎性発達障害だと思っていた時期に話したので)。近いうちに、強いて言うならちゃんと診断してもらった後に、改めて言いたいと思っています。兄弟は「ほんとうにそうなの?」と言ってきて、良くも悪くも私が発達障害には思えない、という口ぶりでした。母は、「言ってしまえば皆発達障害だからね。それが少し飛び出ただけ」という感じのニュアンスの事を言っていました。この言葉を聞いて、この人の元に産まれて良かったな、と改めて思いました。それだけに、こんな風に育ってしまったことの言いようもない罪悪感と、自分の無力さが募っていきます。でも、母にはずっと迷惑をかけてきて、今更かなと思ったり(抑うつ状態になって逃げてきたこと、自殺願望があること、もしかしたら発達障害かもしれないと思っていたことなど、母には包み隠さず話してきました)。ただ一個だけ、言ってないこともありますが、まあ、それもいつかまた。母は何も気にしてない風に装うけれど、私の事をとても心配してくれて理解してくれて。きっと心労もあるだろうに。私は本当に、周りに恵まれています。

それでも、泣くことは止められません。知らない方が幸せだったのか、知って苦しんだ方が幸せにつながるのか、多分後者ではあるのですが、例えそうだったとしても、今の胸のもやもやを晴らすのに時間がかかりそうです。もう、自分できちんと認めて、受け入れて、整理できるまで、誰かに言うのはやめます。自分で理解できないまま、相手に理解してほしいなんて、都合がよすぎるし、難しいと思うから。だから、今は沢山泣こうと思います。枯れるまで泣いて、落ち着くまで泣いて、泣き終わるまで泣いて、また泣こうと思います。それしか、今は自分を受け入れる術を考えることができません。

以下、ただの泣き言なのでたたみます。

 以前にも、一度心療内科を受診したことがあります。一年半ほど前の話です。当時の私は慣れない場所で何もかも嫌になって、その場から逃げるようにして毎日家で昼夜逆転生活を送っていました。そこでは「抑うつ状態」であることのみ指摘され、自分が発達障害だとは微塵も考えていませんでした。ただ、昔から、自分には何かが欠けているという事は自覚していました。それが何なのかわからないまま、欠陥していることに嫌悪して、自分の事が嫌いになっていきました。

そんな中、自分が発達障害かもしれない、と思ったのは、今年の二月の事でした。何気なく読んだネットの記事が、自分にぴたりと当てはまっていた気がしたのです。その記事には、「自立とは、依存先を増やすという事だ。膨大なものに依存しているのに『自分は何にも依存していない』と感じることが”自立”ということだ」というようなことが書かれていました。この記事です。

当時、私は健常者のつもりでした。 ただ、この記事を読んだ瞬間、大きく共感しました。それから、「もしかしたら」と思ったのです。このことをすぐに母親に言いました。「あんた、もしかしたら発達障害なのかもね」と何気なく言われたことを覚えています。私もそうだと思いました。自分がずっと悩んでいたことへの、解決策が開かれるかもしれない。そう思えました。けれど、同時に怖くなりました。もし本当にそうだったら?私はどうしたらいいの?と、ぐるぐると悩んでいました。そうして、今月、やっとのことで精神科に通うことになりました。結論から言うと、以前とは変わらず、つらいままです。けれど、進みたいと、強く思っています。タイトル通りの泣き言を言うのであれば、今すぐ全部放り投げて、何もかも捨てて、消えてなくなりたい。生きていくのが苦しい。独りになれない自分がつらい。誰かを欲してしまう自分が浅ましい。大嫌い。憎い。どうして私が、どうして。毎日積み重なっていく思考や言葉、そこに埋もれていく大事な記憶を必死に探して、見つけたくもなかった過去に苦しまされて、聞きたくない音や声、嗅ぎたくない匂い、被害妄想、自己嫌悪に毎日毎日悩まされて、生きていくのがしんどくて、つらくて、生きてる意味が見出せなくて、好きなものさえ興味がなくなっていって、ただ流れるような日々に必死にしがみつくこともできなくて、いつの間にか終わっていく一日に虚無感を感じて、でも生きたくて、生きていたい。本当に発達障害なのか、万が一結果が覆って発達障害じゃないと言われたとしても自分の思考回路が変わることはなくて、ただ、生きているのがつらい。変われないことがつらい。変わることがつらい。もう、どうしたらいいの。わかんない。それでも、進みたい。少しでも、道があるなら、暗くても、先がわからなくても、進みたい。私は、私を好きになりたい。受け入れて、認めて、誇れるような人間になりたい。

 

全部、泣き言です。