なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

HSPの話

診察があったので、思い切って先生に「もっと詳しい検査をして、本当に発達障害なのか確かめたい」と言いました。簡単な心理テストや問診だけでは、どうしても納得できなかったからです。確かめるなら、とことんやりたい。残念ながら先生のところでは詳しい検査は行っていないようなので、詳しい検査をしてくれるところ(あるかどうかはわからないらしい?)を探して紹介状を書いてくださるとのこと。二週間先ですが、こうなったら全力で待つことにします。多少の出費はこの際勉強代として払う気でいるので、覚悟はしています。

本屋に立ち寄った際に、『HSP』についての軽い特集が組まれている棚がありました。初めて見る言葉でしたが本のタイトルを見た瞬間、なんとなく、自分の事だと思いました。すぐにネットで調べてみると、HSPとは「敏感で、感受性が強い人」の事を言うみたいです。五感が鋭くて、他人の機微に敏く気づいてしまう。簡易チェックはほぼ全て当てはまりました。気にしすぎる、気付きすぎてしまうせいで、自分への身体的・精神的負担が自然と大きくなってしまう。たとえ小さな問題だとしても大きく受け止めてしまって、それが自分を責める要因になって、最悪うつになってしまったりする。これも発達障害と同じで、きちんと認識して、自分の個性だと受け入れると良いという考えが大半でしたね(生まれついてのものですし、それもそうだよなと思ったり)。もしかしたらADHDHSPの合わせ技かもしれませんが、そうなると色々ややこしいけれど納得がいくようないかないような…。思えば家族の中で映画などを見ても一番に泣くのは私でしたし、共感性羞恥があるのはどうやら私だけみたいなんですよね…。共感性羞恥も感受性の強さゆえの現象だと思うので、少なからずHSPに関係している気がするんですが、私の思い過ごしですかね?

あ、ADHDの本も探してみたんですが、私が寄った本屋では子どもの発達障害についての本しか置いてありませんでした。悲しい。もっと大きな本屋に行けば、大人のADHDについての本も置いてあると思うので、今度また行ってみたいと思います。

だんだん、自分がどうなりたいかわからなくなってきて、ただ障害者とか、特異な性質を持った人間になりたいだけなんじゃないかとか、そんなことすら考えてしまって、本当に先に進んでいいのかわからなくて、葛藤する日が増えました。何度も普通でありたい、普通になりたいと思っていたのに、ふたを開けてみればこんな有様で、正直手に余ります。自分と向き合うためのブログなのに、自分から逃げたくて仕方がないです。でも、自分から逃げようとしたって逃げられるわけがないんだから、このまま進むしかないんですよね。