なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

あらためて、ADHD。

 どうも、のなめです。Twitterのトレンドに『ADHD』が載っていて、何ぞや? と思ったのですが。特にトレンド入りした原因などは探すことが出来ませんでした……。ただ色んな意見が見えて、面白いなあと思いながら眺めていました。ADHDあるあるから『ADHDはただ怠惰なだけだ』という辛辣な意見から、診断せずにADHDだというのは早計だということから、様々な人の言葉を見ました。

 検査を経てADHDだと診断された身としてみれば、確かに自己診断で自分を発達障害だと決めるのは早計だろうとは思います。私も確かに自己診断で「もしかしたら発達障害なのでは」と思いましたが、自分ではそうではないという結果であってほしいと思いましたし、もし発達障害ならちゃんと自分の特性を知りたいと思っていました。

 実際、診断がつくまでもついてからも、自分が「ただ怠惰なだけな一般人」なのではないかという懸念が常に頭の中にありました。今も、もし再検査をしたらそうなる可能性がないわけじゃないのかなぁ、とか思います。まあ結構ガッツリ差が開いてたので再検査したところでという感じはありますが。

 私は『発達障害』を免罪符だと思ったことはありませんが、発達障害であることで得られるメリットもあります。薬を飲める、自立支援により金銭的な負担が減る、障害者枠での雇用が可能な場合がある……などなど。私は障害者手帳を取得するところまではいってませんが、今年の3月末までは自立支援により診察代や薬代が抑えられていましたし(今は通院をサボっているので更新にも行っていません)、障害者手帳を取得するとバス代とか映画代とかが割引になる……んですよね? 確か。障碍者雇用枠は手帳がなければいけなかった気がする。うろ覚えで申し訳ないです。

 私が薬を飲んでいたのはもうかれこれ半年以上前のお話ですが、今もなお自分が発達障害であるなあと思わざるを得ないほど症状が出ている(日常生活に支障が出ない程度に抑えられてはいますが)し、精神的にもキツイ日々が続いています。けれどもう一度薬を飲んだり通院をして5分に満たない診察をする日々を送りたいかと言われると、果てしなく微妙です。薬は欲しいかもしれない。けれどそれで完璧に症状が治る人は少ないと思うし、いつかは断薬をする日がくる。

 私が薬を飲んで思ったことは『私のこの性質は一生治らない』という事実です。いくら薬で矯正しようと試みても、緩和はされても完全に治ることはない。薬を飲んで過ごした一年以上の日々で得たことは、症状を治すことではなく、受け入れることです。

 それでも薬を飲んで治したいと思うならそれも良し、飲まずにこのままの自分で生きるも良し。発達障害なんてひとまとめに言われても、性格と生育状況で状態は千差万別です。もう何万回といわれていることですが、自分に合った向き合い方をしたほうが自分のためです。

 発達障害はまごうことなく障害です。個性でも性格上の特徴でも何でもない。これが個性で片づけられてしまうのは恐ろしいことだと思います。けれど、自分で障害だと認識したうえで「これは個性だ」と結論付けられるなら、それはそれでいいことだと思います。自分の障害を、自分の一部として取り扱っているということ。切り離せないものを切り離さずに見ているということ。それこそ自分の障害と向き合っていることだと思います。

 私はどうだろう。まだ障害として見ている節はあります。個性だと言いたくない気持ちもあります。受け入れざるを得ないから受け入れてるのかな。多分あと二年ぐらいしたら自分なりの向き合い方が見つかるんじゃないかなと思います。それまで、考えてみようと思います。