なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

井の中の蛙

ずっと、自分の能力と他人の能力比べて生きてきました。あの人はこんなにすごいのに私は全然ダメだ、を死ぬほど繰り返してきて。その結果、他の人を見ないように生きるという選択肢を選びました。私はずっと、井の中の蛙です。

自分の能力が特別優れているとも、才能に溢れているとも思ってないんですよ。ただただ自信がなくて、誰かに認めて欲しいだけ。自分が好きで取り組んでいる分野で他の才能を見てしまうと、ダメなんですよね。受け入れられない。その人を見れない。だから尚更取り残されたような気分になって、一人でから回って。

ちゃんと自分の才能の無さを認めて、他の人の才能を認めて、向き合えるようになりたいんです。でもできなくて。自分がただの「平凡でどこにでもいる人間」であることを受け入れきれないのかもしれないです。特別とも思ってないし、そもそも人間は誰もが唯一無二なんだってわかってるつもりなのに、それでも自分を受け入れきれなくて。

井の中の蛙大海を知らず、けれど空の深さを知る。そんなことを言っても、小さい世界に籠っていることに変わりはなくて。私はずっと井の中でスイスイ泳いでいる蛙です。自分以外に秀でている人を知りながら、海に出ようとしない蛙です。井戸が深すぎて出られないのかもしれない。

いっそその分野から手を離してしまえば楽なのかもしれない。でもできない。できたらとっくに手離してます。だって好きで、興味があって、やりたいと思っているから。自分の中の好きに従ってやっていきたいと思っているから。その気持ちは本当だし、本心です。でも、評価や他人が気になってしまう。認めて欲しいと思ってしまう。それも本心です。ずっと二律背反。矛盾に矛盾を重ねて生きてる感じがしてとてもしんどい。

嫉妬心、を醜いものと考えてしまっているのでしょうか。野心に変えることができればいいのでしょうか。ずっとわかりかねていて。「あの人はみんなに認められて羨ましい」を「私も認められるように頑張ろう」にすることができたらいいんでしょうか。認めるには、その人の内容を知らなければいけません。踏み込むことが怖い。自分の中のあらゆる否定を使って拒んでしまいそうで怖い。いっそ踏み込まなければいい、とも思いますが。昔はそういうスタンスだったんですけど、なんでしょうね、同調圧力じゃないですけど「この分野にいるのにあの人の内容を知らないの?」みたいな目が少なからずあるんですよ。私のこの気持ちが理解され難いものだということはわかっているので、あれやこれやと理由をつけてしまいますが。

これって、どういう心理なんでしょうね。ただのプライドなのか、それとも同族嫌悪なのか。内容を知りたいと思うときはあっても、気持ちと裏腹に食指が動かないんです。なかなかにして深い問題な気がしてきた。

有識者のご意見があればお待ちしております。