なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

嫌いにも好きにもならないでほしい

 前提として、私は私のことが嫌いです。特にこれと言って秀でている能力もないし、凹みを補おうと努力もしないし、人嫌いで気分屋でその場のノリで人間関係を断ってしまうし約束も破ろうとする。そんな人間です。

 私を慕ってくれる人が、有難いことにいるわけですが。大事にしたいと思いますし、この先も仲良くしてくれるならこんなに嬉しいこともないのですが。それでも、その全員に嫌われたい、というか縁を切ってしまいたい、と思う時があります。

 全部が面倒で、一切合切を放棄したいという思考回路に支配されてしまうことが度々あり、誰の連絡であっても後回しにしてしまいたくなるんですよね。実際、友達の何人かの連絡はちょっと置いたりする。

 それでも、実際会えば楽しかったり、話せば気持ちが高揚して「また話したいな」と思えるんですけどね。気分の変わりよう結構予想不能で嫌なんですよね。

 いちいちこんなことを考えるぐらいだったら、誰も私のことを好きにならないでほしい。だからと言って嫌われたいわけでもないので、私に興味を持たないでほしい。無関心でいてほしいと思ってしまう。

 最後に行くところはきっとアイデンティティの喪失なんだろうなとは思うんですけど、それでもいいから、誰も私に好意も悪意も抱かないような状況になってほしい。

 『誰かに優しくしたり、寛容になるのであれば、先ず自分にそうであれ』という文言をTwitterで見かけました。まさにそうだなと思います。自分に余裕があれば、他人に優しくしやすいし、逆だととことん不寛容になれてしまう。でも私は私に優しくも寛容にもなれない。甘くはあるかもしれないですけど。だって自分のことが嫌いなので。自分を嫌いなまま、誰かに優しくありたい。無理なのかな。

 優しくするのは、別に打算でもなく好かれたいわけでもなく、そうするべきと思ってるからだし、そうしたいと思ってるから。自分みたいな人間が他人にできることなんて、優しくあることぐらい。『優しさ』に能力は要らないと思ってるので。

 誰にも好かれず嫌われずにいる手段としては、人と関わらないことが一番ですよね。でもそういうわけにもいかないのがしんどいところ……。最終手段は、本当にどうしようもなくなった時の手段として。

 こんなの無理なことぐらいわかってるんですよね。本当は、人と関わるからには、できれば好かれたい。でも、私は私のことが嫌いだから、私みたいなのを好きになってほしくない。私自身を好きになるのは、かなり頑張らないといけないのは今までの人生が物語っているところです。

 こんな理想を語ってるうちは、どっちも現実のものにはならないのかもしれない。