なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

我慢の話

すっかり冷え込む毎日です。末端冷え性にはつらい時期です、本当に。

今回は、自分の性格について話せたらいいなあと思いまして。というのも、私、自分で言うのもなんだとは思うのですが、結構我慢強い性格なんですよね。時にやりすぎなぐらいに。

兄弟の中で年長ということもあり、「お姉ちゃん」であることを自覚して成長してきたこともあり、我慢は人並み以上にしてきた自覚はあります。面倒くさがりでものぐさなところが、この我慢強さを隠してきたというか。だから周囲にはあまり知られてない部分かなあと思っています。なんでこんなことを書くかというと、自分で自分の我慢強さを「頑張ってるなあ」と感じているからなんですけど。自分を褒めたいだけです、多分。

私の我慢強い所は、主に他人に対して出てきます。他の人の要望を通したり、愚痴を聞いても相手に自分の愚痴を言う事はなかったり、という部分が大きいです。あとは、自分の負担を受け容れたり。自分の中にある感情とかを抱え込んで、最大までため込むタイプの人間なのですが、今だ爆発したことはなく(記憶がある限りでは)。我ながら、自分の我慢強さ、というか理性に対して関心を抱いてしまいます。まあ、別に嫌々我慢しているわけではなく、「別にいいかなあ」ぐらいの気持ちでやっていることなんですよね。自分のことを他人の様に考えてしまうからこそできるというか。自分に対しての関心が薄いからこそ、我慢ができるんですよね。だって自分の事が大切だったら、自分が傷つくことを受け容れるようなことはしないはずなので。

希死念慮というか、死にたい気持ちになった時に対してもそうで。自分の中の感情がぐちゃぐちゃになって溢れだしそうな時にも、ぐっと耐えたりします。似たようなもので、物を壊してしまいたいとか、誰かに全部打ち明けてしまいたいとか、誰か、あるいは自分を傷つけてしまいたいとか。そういった衝動に駆られることがままあるのですが、いずれも実行までには至らないですし、抑え込んでいるといった方が正しいでしょうか。これはきっと、我慢というよりは理性に近くて、「そんなことをしてもどうにもならない」とわかっているから、後は誰かを傷つけたりしたくないと思っているから、耐えることができるというか。願望はあってもあくまで願望でしかないし、実際に行動に移すほどの勇気もないというのが本当のところかもしれませんが。

「自分がされて嫌な事を他人にしない」と意識しているので、人の悪口を言うとか、相手に対して汚い言葉や口調で話したりしないとか、手を上げたりしないとか。一見すると当たり前かもしれないですが、サラッとやっている人がどれだけいることか、と思ってしまいます。実際、私の周りには、悪いとも思わずに人の悪口を言ったりとか、中傷の加減を知らない人とかが割といます。そういう人を見ると、悲しくなると同時に、どうしてそういうことを平気で言えるんだろうと考えてしまいます。

まあ、私も完全に悪口とかを言わないわけではないので、人のことをいえる立場でもないのですが。それでも、やっぱり腑に落ちないというか。冗談だと思って言っているのがなんだか解せないんですよね。私が冗談が通じないからそう思ってしまうのか、それとも彼らの線引きはもっと上の方なのか。あまり分かり合える気がしないです。

今はあまりやらなくなりましたが、昔は面倒な役割を引き受けたりすることや汚れ役をやることもあったので、それで我慢強さが鍛えられたのかなと思っています。結構私頑張ってると思うんですけどね。こういうことを誰かに言ったことがないので、正直文面にして見知らぬ誰かに見られるのが恥ずかしいというか、なんというか。でも、不器用にこうやって溜め込んで生きている人もいると思うので(特に同じ立場の人たちは)、ひとりじゃないって思うことって大切じゃないですかね、というところでここはひとつ。