なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

悪口の話

どうも、悪口を言うのが苦手(笑)なのなめです。聞くのも言うのも苦手です。

世の中には、会話の一種として悪口を大っぴらに言う人がいるじゃないですか。私、そういう人が苦手なんですよね。というか、単純に悪口を言う事が得意じゃないというか。悪い所なら直接言った方が良いと思うし、そうじゃないならわざわざ誰かに言う必要がないんじゃないかなと思ってしまうんですよね。

だからできるだけ真っ向から言う事があったりするのですが、その度に馬鹿にされたり、悪口の対象になったりしてしまうんですよね。いや、相手からしてみたらもしかしたら気に障るとか、伝わることを考えてなくて、コミュニケーションの一環なのかもしれませんけど。負の要素をコミュニケーションに使う理由はなんでしょうね。

だからといって自分が言わないといえば、言ってしまうこともあります。極力悪く言わないように気を付けていますけれど。少なくとも、心を許してない人に言う事はないかな。自他ともに認めるレベルでチョロいんですけど、本当のところまで心を開くのはかなり時間がかかる方です。関係があるかどうかはわかりませんが。というか、そもそも心を許している人間自体が少ないから必然的に言わないのかもしれませんね。

そもそも、悪口を言うほど嫌なら関わらなければいいんですよ。私はそうしてます。わざわざ興味も関心も寄せないし、抱かないようにしてます。嫌いなものにエネルギーを使うなんて勿体ないじゃないですか。悪いところも良いところもあって、悪口を言うけど一緒に居る、という関係ならまだわからなくもないんですけど、嫌いなのに一緒に居る人は本当に分からないです。

他人からの評価が気になるから、思ってもいないことを言ってしまう、というのもよくわかりません。変な相槌を打たないようにしてます。他人からどう見えてるのかが気になることは理解できますけど。実際私も結構気にします。まあ、どうでもいい人に悪く言われてもどうでもいいですけど。

前からこういうスタンスかと言われるとそうでもなく、昔の自分は他人に何か言われることが怖くて、気にして、空回りをして結局悪く言われる、みたいな人間でした。嫌いなクラスメイトがいて、その人について言ってしまうこともありました。高校までって、クラスに嫌いな人がいて極力近寄らないようにしてもやっぱり何かしらで関わらざるを得ないじゃないですか。今はそれがないから楽です。

空回るエネルギーが勿体ないなと思うんですよね。あとは自分の人生に大きく影響してこないなら気にする必要もないかなと思って。それに、私って「悪口を言われる側」なんですよ、多分。だから、悪口を言われるキツさとか辛さをある程度知っているから、自分はあまり言わないようにと心がけている節はあります。

私のこうした愚直さ、みたいなものを気に入ってくれる人もいるので、それはとてもありがたいことだなと思います。ずる賢く生きる方がきっと世の中を渡るのには楽で有効的なことはわかっているんですけど。これでも、子供の頃よりは真っすぐさを失ってしまった方なんですけど。中途半端なのかなあ。変なところで臆病が顔を出してしまうんですよね。

ちなみに、直接言われた悪口で一番インパクトが強いのは「ブス代表」ですかね。人づてに聞いたのは「抱けない」「いい子ぶりやがって」です。誰に言われたのか知りませんけど、別に抱かれたくないのでいいです。「ブス代表」は当時は本当に傷ついたんですけど、今思えば高校時代の自分は芋臭さ全開の喪女だったので、いやまあブスだよね…という感じです。今は少しはマシになったと信じたい。ブスなのは変わりませんけど。

容姿についての悪口は割と言われますが、まあ事実ですし。傷つくは傷つきますけど。容姿でしか見てこないような頭の悪い人から遠ざかることができるのはありがたいですよね。あ、これも悪口になるのでしょうか。

悪口は言わないようにしているのですが口は悪いので、つい乱暴な物言いが悪口と捉えられてしまうのは本意ではないので、口調改善を試みていたりはしています。ただ、独り言は自分全開なので、ものすごい口も柄も悪い。なんだかんだいって私も「真面目」の皮を被っているあたり、人のことを言えないかもしれません。