なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

言わないとわからない

 暗黙の了解なんてものはないのだ。「言わないとわからない」なんて当たり前のことを理解していないわけがない。なのに私たちは「察してくれ」と言うのです。なんという不条理、理不尽。

 「察する」ことができません。でも、自分は「察してくれ」と言います。見事なダブスタ。そんなことがあっていいのでしょうか。良くないと思います。誰がそんなことをしているのか。誰もがしていると思います。みんながみんなではないとは思いますけど、少なくとも私はやってしまうことがあります。良くない。

 人に意見することがあまり得意じゃない……というより、言って良いのか悪いのかわからないから言えない。でも、改善してほしいことがあってそれに気づいてほしい。だから「察してくれ」となってしまう。わかるわけがないし、1ミリたりとも伝わるわけがないのに。

 以前、知り合いに「男は言わないとわからないよ」と言われたことがあります。それを聞いた私は「いやでも私もわからないしな」と思ったのです。「言わないとわからない」に男も女もあるのか? とまあ至極簡単な疑問を抱きました。答えは簡単、「人間は言われないとわからない」。エスパーとかでない限り、人が人の「言わない」意見を知ることはないのです。

 私たちが「見えないものはない」と思うように、「言わないものはない」のだと、改めて気づくきっかけになったというか。私だって「言われないとわからない」のに、他の人が「言わなくてもわかる」わけがない。私たちはJ-popでよく歌われるような関係なんて中々築くことが出来ないのだから。

 どうしてこんなことを書いたのかというと、バイト先ですごく腹立つ人がいて、その人に苦言を呈していいのかわからないでいたからです。その人がどう思おうが口論になろうがどうでもいいんですけど、自分の思いを言葉にするのって結構体力がいるというか、疲れるんですよね。だから、言わなくても伝わらないかなあと思っていた次第でございます。そんなわけがないのにね。

 書いてて思いましたが、思いを言葉にするのが疲れるって、コミュニケーションの放棄になるのかもしれない。ここにきて自分のコミュニケーション能力不足が目立ってしまいました。コミュニケーションをとっても疲れないようになりたいなぁ。

 ……まあ、「言わないとわからない」ことと「言う」ことはまた別というか。敢えて言わない選択を取ることも可能といえば可能なんですよね。改善してほしいのであれば言った方がいいですけど。「言ってもわからない」人もいるといえばいますし。それはそれできついけれども。

 「言わない」と「言う」だったら、私なら言ってくれた方がありがたいと思います。知らないうちになにか不味いことをしていたら嫌なので。少し傷ついたとしても、改善できるならその方が良い。みんながそうとは限らないですが、言えることは言って行きたいなと思います。