なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

近況報告と、社会不適合者が思うこと

 お久しぶりです。最後に更新したのが8月25日で、気づいたら10月の半ばに突入していました。でも案外更新日がそんなに昔じゃなかったことにも驚いているというか……。

 とりあえず、近況報告としては、気づいたら「死にたいなあ」という気持ちになるぐらいで、でも特に行動に移すわけではない、というお決まりのパターンです。あと、電車とか地下鉄に乗るのが最近しんどいです。元々人混みが苦手なんですけど、人がたくさんごちゃーっと一つの場所にいるのが本当に無理で。ずっと虚空を見つめています。電車から降りて階段を上る人の群れを見るだけで気持ち悪くなるんですよね。なんなんだろう……。

 仕事の面は、まだまだ新人なので教えてもらいながら少しずつ覚えていっている途中、という感じでしょうか。職場環境は決して悪くないと思います。業界の先行きが暗いぐらいで。数年後に早期退職希望を募ってしまうかもなあ……みたいな……。私のメンタルが最悪なのと業績がちょっと悪いぐらいで別に辞めたい要素もそんなにないという。その二つが致命的なんですけどね。

 つくづく、社会に属するのが苦手というか、自分の物差しだけで測れる世界にいたいというか。決まった時間に起きて、同じことを繰り返して、同じ時間に寝る日々がしんどくて仕方ないんですよね。いや、まあ。他の国だって企業だってそうなんですけど。同じことの繰り返しってこんなにしんどいっけ?って。楽だけどしんどいというか、なんでこんな代わり映えのしない景色を見続けているんだろう、っていう気持ちになるというか。

  『社会に貢献するために働く』っていうのは、自分の生活が安定していることが大前提だと思うんですよね。自分が不自由なく暮らせているからこそ、社会に恩返し……というか、社会を回すという名目で働くというか。現状、社会に貢献するために働いても、社会は私に、貢献したことに見合った報酬をくれるのか?っていう。需要と供給が成り立ってこそだと思うんですよね。

 私はまあまあ、そこそこ社会不適合者なので、私の考えが一般的ではない、という可能性と、もしかしたらニューノーマル的な思考なのでは?という謎の自信が浮かんでは消えているような感じです。ただ言えることは、私は本当に社会、集団の中で生きるのが向いてないんだなあ、ということです。

 自由にこそ責任が伴うんだろう、ということは今年に入ってからぐらいにやっと気がつきました。私の解釈的に、『自由』っていうのは誰にも依存できないことを示すんですよね。自己責任の世界で、好きなように生きる。それこそが自由なんだろうなと。私は今、自由になりきれない代わりに、社会の庇護を(ある程度)受けている状態にあって。私の衣食住を守るけど、私の意思をある程度殺していくんですよ。守られたければ働け、社会に貢献しろ。って言われている気持ちになるんですよ。実際その通りなのかもしれない。

 今、人生や社会に不満を持っているのは、『守られていない』気持ちが強いからなんだろうなあ。報酬が報酬になってないというか。まあ、そうだろうな。

 最近、選挙カーの音をよく聞きます。肝心の投票日がわからないですけど、調べてちゃんといきます。自分の将来を選択することのひとつだと思うので。

 自分の周りの若い世代は行ってるイメージあるんですけどね。何度もTwitterで見かけますけど、投票率が上がれば、それだけ政治家はこちらを向いてくれる。私たちに向けた政治を考えてくれる。政治を変えるのは私たちなんだという意識を持ってほしいな、と有権者の一人としては強く思います。

 なんの話をしていたか忘れてしまったのでこの辺で。近々、希死念慮のことをまた書こうと思います。通院もしたほうがいいかなあ。考えておきます。

 だんだんと寒くなってきましたので、どうぞご自愛ください。