なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

自己分析の話

自分の中の言論統制が為されてきていて、どうしたらいいかわからない今日この頃です。言論統制と言っていいのかわからないですけど、言葉の響き的に好きなのでなんとなく採用してしまいました。「こんなことを言ってはいけない」「誰にどう思われるかわからない」そんな恐怖心や臆病から、言葉が上手く出せません。昨日の今日なのもあるのかなあ。誰も気に留めないはずなんですけどね。

 

自分以外に自分を完全に理解できる人間はいない、そう思うようになっても、やっぱり自分の事が理解できないことも少なからずありまして。自分が何でそう思ったのか、行動したのか、感じたのか、全部理解して、把握して、パターンとしてまとめていたいんですよね。そうしたら、何かの役に立つ日が来るんじゃないかと思って。ガラクタ集めにも似ています。

自己分析といえば聞こえはいいかもしれませんが、まあ、言ってしまえば、振り返りです。すぐ記憶を飛ばしてしまうから、自分の一言一句を思い出すことはできないけれど、自分の過去の言動をまとめて、「自分」という人間のデータを集める。間違えないように、はき違えないように、正しく、自分というものを知っていく。

何が好きで、何が嫌いで、何を克服して、何が克服できなくて。そうやってどんどんアップデートされていく「自分」という存在を、出来るだけ客観的に見つめられるように、情報を集めていく。欠けたパーツを補うための作業です。具体的にどんな部分が欠けているのか、その情報も集めたりしています。なんかどんどん、人間らしさが失われているというか、ヒトモドキというか。

私、自分では自分を感情的な人間だと思っているのですが、一方で、冷静な部分も持っているというか。感情が溢れた時に、「あ、今私喜んでるんだ」などと、ふと冷静になる瞬間がありまして。こういう人ってやっぱりいるんですかね。あまりにも人と関わらな過ぎて、統計が取れないというか。

よく周りから「冷たい」なんて言われるので、正直解せないなと思ったりもするのですが、まあ、私にとっての60が、他の人からしてみれば半分の30だった、という感じなんでしょうねきっと。人並みには優しいと思っているんですが、如何せんズレているので、優しさが的外れだったりすることは否めないです。

このブログが自己分析の一環であると書きました。まさにその通りです。できるだけ素直な感情と言葉で書くようにしているので、後日の私が過去の私の感情を覗いて、分析する。そんなことがたくさんあります。自分のブログやツイートを結構読み返すのは、過去の自分の考えを知るためです。過去と同じ事例はなくとも、似たような事例はたくさん起こり得るので、その時のための参考にしています。

一年ほどブログを続けているのに、改善の兆しが僅かしか見えないのは、まあ自分のやる気のなさと、恐怖心があるからですかね。大きく変化することは怖い。私は、ずっと変わらないことを望んで生きてきたような人間なので、変えること、変わることはとても大きな負荷がかかるんですよね。誰だって、少なからずそうかもしれませんけど。

今度、自己分析のまとめのようなものも含めて、改めて自己紹介でもしましょうかね。誰に向けての紹介でもないので、読んでも多分面白くはないですが。