なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

究極的モラトリアム

気づけば半年ほど放置してました。のなめです。

ここ数か月で、色々なことが起きましたね。コロナ騒ぎとか、とか。私はといえば、2月から一か月間、インターンシップで外国に行ってました。詳しい内容を言うと身バレになるのでほどほどにしますが。

自粛期間は、相も変わらず家にいました。でも、自分で好んで家にいるのと、強制的に家に居させられるのはまた別だなと感じました。私もたまには外に出たいんだな、と感じさせる日々でした。

 

さて、もう2020年も半年経とうとしてるんですね。やっぱり、年を取れば取るほど月日が経つのが早く感じます。

のなめは現在就活生、と呼ぶべき立ち位置なのですが。コロナのせいもあって、例年より就職活動がゆっくりめ(本人の性質を鑑みたとしても)のようで。友人曰く、去年ならほとんどの人が就活を終えているところ、現在3~5割の人しか終えてない、とかなんとか。聞きかじりなので、間違いがあると思います。

のなめはですね、今月中にいわゆる第一志望と呼ぶべき企業の試験があります。しかも、これが初めての採用試験なんですよね。最初で最後になるか否か。正直、面接練習も試験対策もロクにしていないので、危ぶまれるところなのですが……。もし一次審査に落ちたら別のところを探そうと思います。一応、目星はあるのですが……。

 

私は、二年遅れて大学に入学しました。大学に入る前は専門学校で、絵の勉強をしていました。まあ、下手くそなんですけど……。高校時代の反発から、ほぼ適当に入ったため、やりたいことも曖昧で、サボったりする日々が続いたりしました。二年生なので就活をすることもあったのですが、絵が上手く描けず、心も折れ、実家に逃げ帰りました。そしてその後、どうするかを考えた時。就職をするのか、大学に入るのか、考えて、道内の大学の資料を集め、調べました。今就職しても、きっとまた同じことの繰り返しだ、これじゃダメだと思い、大学入学を決めた……というのが経緯です。どこかで書いたっけ? 覚えてないですが。

結果、日本文化を学びたい、日本語を学びたい。そう思って、今の大学に在学しています。せめて一浪扱いならまだ楽だったのかな、とも思うんですけど、あの迷走した時期も私だし、やりたいことを見つけて、学びたいことを学ぶために大学に入学できたこと、それは私にとっての強みであり、経験だなと感じています。

さあ、タイトルにくるまで1000文字近く書いてしまったのですが。就職をして社会人になるまでの期間……モラトリアムというやつなのですが。私は親友と話すたびに「働きたくない」「ずっと遊んでいたい」という気持ちを吐き出すのですが。モラトリアムって、自己責任を負う前段階、という認識をしているのですが(大学生もある意味自己責任の世界ですけど)、責任を負いたくない、というわけではなくてですね。多分、社会人になってしまうとつまらない大人になってしまうんじゃないか、という考えがあるんだと思います。

つまらない大人、というとざっくりしすぎでしょうか。社会の歯車、というとまた違った意味合いなのかもしれませんけど、右に倣えで、社会にとって都合が良くて、周りと同じ価値観を抱かざるを得ない……という感じですかね。社会人を体験していないから、そんな風に思っているのかもしれません。

このブログを読んでいる人はわかるかもしれませんが、私はつまらないことは嫌いだし、自分が楽しい・面白い・好きだと思ったこと以外は追求できないし、飽き性でどうしようもない人間なんですよね。だから、少しでも自分が好きだと思えたところへ行きたいんですけど……難しいですね。

モラトリアムが永遠に続くとは思っていません。年をとる度に思います。私も立派な成人で、社会的には大人で、子どもの頃には戻れなくて、責任を背負って生きなければいけないと。

上手くいけば、来年には社会人です。今の生活をいつまでも続けるつもりはありません。でも、今の心を、感情を、捨て置くつもりもありません。捨てたくありません。捨てなきゃいけない社会なら、その社会を捨てます。そういう人間なんだと思います。

モラトリアムは通過儀礼なのだと、そういう解釈もありますが。通過した先になにがあるのでしょうか。都合のいい人間でないことを願います。

とりあえず、またちょこちょこブログを書くことを目標にしながら、就活と卒論を頑張りたいと思います。中身スカスカ人間の明日はどっちだ。