なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

あけました

あけましておめでとうございます。仕事始めは元旦からなのなめです。今日も元気に働いてきました。

今年の目標は二つ、「生きる」と「前進」です。希死念慮バリバリな自分ですが、毎年「生きる」ことを目標にしている気がします。去年も一応「生きる」ことを目標に生きてきました。そもそもこれ、目標にするようなものじゃないのか。

もうひとつ「前進」ですが、2019年が亥年ということもあり、自分のポジティブさを少しでも引き出したいが故の「前進」です。一歩でも、半歩でもいいから進む。これが今年の目標です。

2019年、平成最後の年になりますね。もう既に色々と危機感を抱いている私ですが、なんとか生き延びたいと思います。新元号を迎えられる時に生きているというのは、なんだか不思議な気持ちになります。平成だけで終わると思っていたので。

個人的には、今年は恋愛にもなんだかんだと関わっていけたら良いなと思っています。というのも、一年片想いして、これ以上想い続けるのも不毛だなあと思い始めてまして。本当は諦めたくないんですけど、明らかな望み薄ですし(付き合いたいとかはあまり考えてないのですが)、一生に一度でも恋愛経験、というか恋人を作りたいのなら、諦めた方が良いのかなあと思ったり思わなかったり。ズルズル想うよりは、尊敬とか敬愛のレベルに留めておくのが正解なのかなとか。色々考えてます。難しい。

結婚も妊娠もしないと決めたので、じゃあ恋愛もしない、となるとそれは別のお話なので、恋愛はしてみたいです。多分。自分の中ではあまりよくわかっていない。

あ、2月になったら旅行に行きたいんですよ。関西が良いなあ。徳島の美術館(紅白で米津さんが歌っていたところです)に行ってみたいんですよね。でもやっぱり京都かなあ。来年は行けなさそうなので、今年行っておきたいです。休めるかなあ。

年が新しくなるたびに、「一年頑張って生きたんだなあ」という気がします。それから「一年生き延びなきゃなあ」という気もします。親が「死にたくないなあ」と零していたのを聞いて、「私はいつまで生きなきゃいけないんだろう」と思ってしまいました。親よりは生きる予定ですけど、親はいつまで生きるつもりなんでしょう。娘に先に死なれる悲しみはよくわからないですが、きっとすごいと思うので、両親が死ぬまでは生きるつもりです。その後のことは、正直考えていないのでその時にならないとわからないですけど。

生きたい人が生きて、死にたい人が死ねる世の中なら、私はさっさと死ぬのになあ。親に私の臓器を提供して長生きさせるとか、そういうのは無理なんでしょうかね。無理か。

今年の目標を言った傍からこんなんじゃ先が思いやられますね。まあ気楽に頑張ります。

今年最後の話

恐らく今年最後の記事です。どうも、年末に差し掛かっても部屋が汚いのなめです。

2018年、平成最後の年。とまあ、何度も聞いたフレーズですけど。色々な意味で衝撃的な年だった今年一年は、私にとっても激動の一年でした。

改めて自分と向き合うというか、見つめ直すというか。そういうことに力を入れた一年だったと思います。結果、少しは前向きになれたかな、という気がします。来年はもっと進みたいと思っていまして。自分の発達特性などを見直しつつ出来る・出来ないについても考えたいです。あとは二次障害についても。恐らく来年の中旬ごろには書けるはず…(診断が出れば、ですけど)。

ADHDであることを理解して、ブログで何かしらを発信できたら良いなと、関係のないような私生活のことも含めて、自分的にはマメに更新できた方かなと思います。その甲斐もあってか(?)色んな人に読んでもらえてありがたい限りです。承認欲求は割と高めなので、良い感じに満たされました。いや、それだけが理由じゃないですけどね。

来年も、チマチマ書いていくつもりなので、どうぞよろしくお願いいたします。とりあえずは、今日明日中に部屋の掃除をある程度することが目標です。新年に持ち越しても可ですけど。風呂場の汚さが過去最高レベルなので、流石にやらなきゃなあという気持ちでいます。

あ、あと自立支援の更新にも行かなければ。役所が地味に遠くてつらいです。

それでは、よいお年を。

バイトの話

どうも、世の中は三連休の真っ只中なのに私は連日バイトです。いやあ酷使されている。いいって言ったのは私なんですけどね。

今のバイト先に勤めてかれこれ二年が経とうとしています。月日が経つのは早い。去年の今頃は辞めたい気持ちでいっぱいだったなあ。今はもう諦めました。

職種ぐらいなら言ってもいいでしょうかね、飲食店です。よりにもよって飲食店。ADHDだと気づく前に応募してしまったが故の痛手ですね。実際、使えるようになるまで半年以上かかりましたし。でも厨房の方なので、知らない人と接しないだけまだマシかな…と思っています。それに、個人的にはコンビニの方が無理かなあ。覚えること多そうですし、煙草の銘柄覚えるなんて無理、というか嫌ですし。

前のバイト先も飲食店でした。こっちは一年ぐらいやってまして。小さい店だったから、あまりマニュアルらしいマニュアルもなく。覚えることはそこそこありましたが楽しかったです。お店の人も良い人たちでした。元気だろうか…。

今のバイト先も楽しいと言えば楽しいです。反面、辛いことも多いですが。毎日精神をどこかにやりながら必死に働いています。こんなになるまで働くなら辞めればいいのに、と思わなくもないんですけど。人手不足な上にもう新しい場所で一から覚えるのが面倒くさいと思ってしまって。それに来年からは本格的に就職活動を始める予定ですし、あまりバイトにも出られないだろうから良いかなと思った結果です。でも、辞めていく人に対しては「そりゃ辞めるよな」と思ったり。

辞めたい、と言ってる人に対しては「うまく逃げなよ」と言っています。逃げるなら上手に、跡を残さないようにするのが一番いいと思っているので、辞められそう、と思ったらそのタイミングで辞めることが一番だと思っています。私は辞めたいと言ったタイミングが悪手に悪手を重ねた感が否めません。

そう、一度辞めたいと言ったことがありまして。慣れる前の話です。あまりにも役に立てないことが悲しくて、辛くて。これ以上成長できないかもしれないし、もしかしたら新しくいい人が入ってくるかもしれない。そう思って「辞めたい」と言ったことがありました。精神的にきついんです、と。まあ結果はお察しのとおりですけど。もう少し頑張ってほしい、と言われたのでもう少し頑張ってみたら案外上手くいけたので続けてる、というような感じです。我ながらよく頑張っている方です、本当に。

生来のんびり屋でマイペース人間なので、時間に追われるのも仕事に追われるのも好きじゃないんですよ。なのに私が飛び込んだのはまさにそれが要求される場所で。これがいい訓練になればいいんですけどね、実際はわかりませんけど。

もし辞めたい理由が人間関係の不和とか、仕事内容が好きじゃないとかだったら、今は違うところでバイトをしているんだろうなあと思っています。バイト先の人たちが好きだったから続けられたのかもしれません。いや、まあ、何名かは「なんだかなあ」という感じの人たちはいますけど…。

私がこんなじゃなかったら、もう何種類か新しい職種を試していたかもしれないです。それができないのはちょっと勿体ないかなあとも思いつつ。あ、でも就職後の転職はしそうな気がする(なんとなく)ので、そこで試してみたらいいかもしれないですね、なんて。

疑う話

気が付けばもうすぐクリスマス、そして年の瀬。つい最近まで12月入ったばかりじゃなかったでした?一瞬で時間が過ぎ去っていく感覚を味わっています。

さて、私はとても騙されやすい性格なのですが、単純に嘘が見抜けないのと簡単に人を信じてしまうことが重なって大変なことになっています。それでも今はだいぶマシになりましたが。人間関係を構築することを避けすぎて、人の本音と建て前を見抜くことができないのかなとか考えたりもしたんですが、友人と遊ぶのが楽しかった幼少期でもそれはできていなかったので、単純に性格なのかなと思っています。

騙されること、疑わないこと、に危機感を覚えたエピソードがありまして。簡単に言ってしまえば詐欺被害に遭ったんですけど。

昔東京に住んでいた時に、秋葉原あるある(らしい)「エウリアン」に遭遇しまして。お上りさん感丸だしなのなめはまんまと騙されてポストカードとメガネ拭きを購入してしまったのです。家に帰ってポストカードに使用された画家の名前などを検索して、私の身に起こったことがよくある詐欺(押し売り?)だったということに気が付きました。どちらも実家に置いてきましたが。苦い苦い思い出です。いや絵は好みだったんですけど、騙された記憶を思い返すだけでしんどくなるので使いたくないんですよね…。いや捨てろよ、と思うかもしれないですけど、なんか勿体ないというか、絵に罪はないので。

とまあ、こんな痛い思いをしないとダメなレベルで、人を疑うことが下手だったんですよ。今も上手ではないですが。ちなみにエイプリルフールなんかでもすぐ騙されます。

疑うことを知らないわけでもないんですけど、疑うことって、相手を信じないってことじゃないですか。最初からずっと信じないで接するのは胸が痛いというか、誠実じゃない気がして少し嫌なんですよね。そんなことを言っても相手の方が誠実でもなく私を利用するために近づいてくることだってあり得るんですけど。だからその度に傷ついて、自分の評価を下げていくんですよ。どこでも負のスパイラルが巻き起こる有難くもない仕様。

だからもういっそ、自分の好きで信頼のおける人以外は全員疑ってかかってやろうという気持ちでいます。極端ですかね? でもそうでもしないと、自分が傷ついてしんどくなる一方なんですよね。裏切られて壊れるぐらいなら最初から構築しない方がマシというか。人の嘘を見抜けるようになりたいです。知らなければ幸せなこともあるだろうけれど、どちらにせよ真実が地獄なら地獄を見たいと思ってしまうのです。

とはいえ、どうやったら人を疑ってかかれるのかという疑問もありまして。こういうところがダメなんだろうな…と思わなくもないです。どうでもいい人の言葉でさえもそのまま捉えて鵜呑みにしてしまうのが問題なんでしょうか。言葉の裏を読み取れない。かといって無駄に深読みしすぎても疲れてしまうし。やっぱり難しいなあ。もう、本音でぶつかってくれる相手以外は話半分で聞くぐらいにしようかなあ。疲れるし。とりあえず無駄な気の弱さを捨てたいですね。

悪口の話

どうも、悪口を言うのが苦手(笑)なのなめです。聞くのも言うのも苦手です。

世の中には、会話の一種として悪口を大っぴらに言う人がいるじゃないですか。私、そういう人が苦手なんですよね。というか、単純に悪口を言う事が得意じゃないというか。悪い所なら直接言った方が良いと思うし、そうじゃないならわざわざ誰かに言う必要がないんじゃないかなと思ってしまうんですよね。

だからできるだけ真っ向から言う事があったりするのですが、その度に馬鹿にされたり、悪口の対象になったりしてしまうんですよね。いや、相手からしてみたらもしかしたら気に障るとか、伝わることを考えてなくて、コミュニケーションの一環なのかもしれませんけど。負の要素をコミュニケーションに使う理由はなんでしょうね。

だからといって自分が言わないといえば、言ってしまうこともあります。極力悪く言わないように気を付けていますけれど。少なくとも、心を許してない人に言う事はないかな。自他ともに認めるレベルでチョロいんですけど、本当のところまで心を開くのはかなり時間がかかる方です。関係があるかどうかはわかりませんが。というか、そもそも心を許している人間自体が少ないから必然的に言わないのかもしれませんね。

そもそも、悪口を言うほど嫌なら関わらなければいいんですよ。私はそうしてます。わざわざ興味も関心も寄せないし、抱かないようにしてます。嫌いなものにエネルギーを使うなんて勿体ないじゃないですか。悪いところも良いところもあって、悪口を言うけど一緒に居る、という関係ならまだわからなくもないんですけど、嫌いなのに一緒に居る人は本当に分からないです。

他人からの評価が気になるから、思ってもいないことを言ってしまう、というのもよくわかりません。変な相槌を打たないようにしてます。他人からどう見えてるのかが気になることは理解できますけど。実際私も結構気にします。まあ、どうでもいい人に悪く言われてもどうでもいいですけど。

前からこういうスタンスかと言われるとそうでもなく、昔の自分は他人に何か言われることが怖くて、気にして、空回りをして結局悪く言われる、みたいな人間でした。嫌いなクラスメイトがいて、その人について言ってしまうこともありました。高校までって、クラスに嫌いな人がいて極力近寄らないようにしてもやっぱり何かしらで関わらざるを得ないじゃないですか。今はそれがないから楽です。

空回るエネルギーが勿体ないなと思うんですよね。あとは自分の人生に大きく影響してこないなら気にする必要もないかなと思って。それに、私って「悪口を言われる側」なんですよ、多分。だから、悪口を言われるキツさとか辛さをある程度知っているから、自分はあまり言わないようにと心がけている節はあります。

私のこうした愚直さ、みたいなものを気に入ってくれる人もいるので、それはとてもありがたいことだなと思います。ずる賢く生きる方がきっと世の中を渡るのには楽で有効的なことはわかっているんですけど。これでも、子供の頃よりは真っすぐさを失ってしまった方なんですけど。中途半端なのかなあ。変なところで臆病が顔を出してしまうんですよね。

ちなみに、直接言われた悪口で一番インパクトが強いのは「ブス代表」ですかね。人づてに聞いたのは「抱けない」「いい子ぶりやがって」です。誰に言われたのか知りませんけど、別に抱かれたくないのでいいです。「ブス代表」は当時は本当に傷ついたんですけど、今思えば高校時代の自分は芋臭さ全開の喪女だったので、いやまあブスだよね…という感じです。今は少しはマシになったと信じたい。ブスなのは変わりませんけど。

容姿についての悪口は割と言われますが、まあ事実ですし。傷つくは傷つきますけど。容姿でしか見てこないような頭の悪い人から遠ざかることができるのはありがたいですよね。あ、これも悪口になるのでしょうか。

悪口は言わないようにしているのですが口は悪いので、つい乱暴な物言いが悪口と捉えられてしまうのは本意ではないので、口調改善を試みていたりはしています。ただ、独り言は自分全開なので、ものすごい口も柄も悪い。なんだかんだいって私も「真面目」の皮を被っているあたり、人のことを言えないかもしれません。

甘いものの話

どうも、この時間(午前三時過ぎ)にドーナツを頬張ってしまったのなめです。

最近、甘いものを摂取したい欲がすごい。もっというと、カロリーを求めているのかもしれない。ピザを食べたいのもその欲求の一部だったりするのかなあと思っています。

甘いものは人並みに食べるし好きなんですけど、甘ったるいものは苦手です。特に生クリームとか。なのでケーキなどは胸やけを起こすので、あまり食べないようにしています。

と言いつつも、無性に食べたくなることがあり、胸やけを起こしながらケーキを食べたりすることがあります。幸せなのは欲求が満たされた最初だけで、あとはただの苦行です。飲み物で流し込みながら食べるという。お金も無駄だし時間も無駄だしでいいことがない。

洋菓子よりも和菓子の方が好きなんですよね。餡子もみたらしも好きです。最近はたい焼きにもハマっていて、クリーム餡は固めの方が好みです。ちなみに粒あんこしあんも好きです。

甘いものを食べたいときは疲れている時、なんて言ったりしますよね。実際そうなのかもしれません。でも年がら年中疲れているから、ずっと甘いものが食べたいということになるのかもしれない。特に疲れている時、どちらかといえば身体的疲労が募った時に食べたくなります。糖分補給。究極的に言えば砂糖でも舐めておけばいいのかもしれない。

逆に好んで食べないものは、ケーキもそうですけど、パフェとか、あとはパンケーキ。パフェもパンケーキも生クリームがだいたいついてるじゃないですか。パンケーキなんて特に、「もうこれほとんど生クリームだよね?」みたいなトッピングのものも見かけますし。可愛いなあとか美味しそうだなあと思うには思うんですけど、実際に食べる時のことを考えると中々手を出せません。

ケーキも、イチゴのショートケーキとか、チョコクリームケーキとかは食べられません。タルトは辛うじていけます(油断して生クリームたっぷりだった時の絶望感)。昔はチーズケーキが好きだったんですけど、今は若干ダメになってしまいました。レアチーズケーキ?論外です。でもケーキのスポンジ部分は好きなので、市販のスポンジケーキを買ってそのまま食べたりとかしてみたいです。シフォンケーキも食べられるんですけど、あれも高確率で生クリームがトッピングされてるんですよねぇ…。

後は、意外(?)にも、溶けかけたバニラアイスも苦手です。溶けたらただのクリームジュース…甘ったるくてだめです。ドーナツもなぁ、フレンチクルーラーはダメなんですけど、オールドファッションとかポンデリングは好きです。チョコファッションが一番好き。

一時期バタークッキーにハマっていたんですけど、あれちょうどいい奴と甘ったるい奴で二分されるんですよね。甘ったるいクッキーを食べた時の絶望感たるや。個人的にはホットケーキミックスで作るクッキーは素朴で美味しいと思います。あとヤマザキビスケットのバタークッキー。グリコのショートブレッドもかなり美味しかったです。

一体なんの話だ。甘いものはほどほどに、美味しく食べられる範囲で食べたいですね。元を取りたいからという理由でスイーツブッフェで無理に胃袋に詰め込むとか、そういうことはせずに食べたいです。本当に。

説明することの話

やらなければいけないことが山積みで寝不足気味ののなめです、どうも。

自分の行動・言動や考えたことの理由を説明するのって、簡単に求められる割には難しいなと思います。「だってそうだから」というものでは済まされなくて、根拠や過程を表現することは、私はあまり得意ではないんですよね。ロジカルシンキングが得意じゃなくて、大体のことを感覚で理解するので。

…といいながらも、理由がわかるまで問い詰めたり、追求することがないわけじゃなくて。むしろ知りたいと思う方な気がします。理論的に組み立てなくても、具体的に説明してくれればそれでいいというか。仕事とかでなければ、の話ですけど。感情が入ってしまうのは当たり前のことなので、決められた範囲内の理由なんてものもあまりないかな、と思ってしまいます。

私、言語化が得意じゃなくて。説明すごい下手くそなんですよ。文章だと考えて打つからある程度は大丈夫(だと思っている)なんですけど、口頭での説明が本当に苦手なんです。思ったことを頭の中で整理して、順序立てて、理路整然と、ということがまず無理で。そうしなければいけない時には、一度文章に起こしてから考えるようにしています。とはいえ、話題があちこちに飛ぶのはもう仕方ないことだと思っている節はあります。読みづらかったらすみません。

まあ、なんでこんなことを書いているかというと、いわゆる「暗黙の了解」的なものを理解することができないからなんですけど。これって、「みんなわかってるよね?」と、まるで共通で理解しているようなものじゃないですか。だから、「なんでそうなのか」が表に出ないというか。理由が分からないのに強要されているものって怖いじゃないですか。しかも、説明を求めてもロクに相手にされないパターンの多いこと多いこと。ひとつ理由を説明してくれればそれでいいのに、「なんでわからないの!」と理不尽に怒られることが嫌でたまりません。なぜわからないのか、それはそもそも具体的な説明がされてないからです。

こういったわだかまりの解消には、やはり対話しかないと思っています。話すことで人は理解しあえるのだなと、先人を見て思いつつ。といっても、日本って、言葉にしてくれないじゃないですか。察してくれとか、わかるよねとか、空気を読むとか。理解力のない私にはとてもつらいです。言えば誤解を招くから言わない、じゃなくて、言わないと誤解を招くから言う、にしてほしい。だって想像するぶんには無限に想像できるじゃないですか。余計なことを考えるぐらいなら言われてスッキリしたいです。

そんな私は今日も今日とて言葉にするのが下手くそなんですけどね。人のことを言えない。察する察しないとか以前に人と会話しない。どの口が「対話が必要」なんていうのか。いや、これから頑張っていきたいんですよ、本当です。本当です…。