なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

『書く』ことが好きじゃなかった

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 気づけば1年も後2ヶ月で終わりますね。何度も言ってるかもしれませんが、歳を重ねるにつれ、時の流れの速さを感じます。ブログも最後に書いたのが3月らしいです。とんでもないな。

 ブログのことを忘れていたわけではなく、単純に書く気力とネタがなかったので書けなかったということです。ネタは生み出すものですが。まあ、さておき。

 冒頭に私の手書きで書いてみる試みも、なんとなくやっておりますが。皆さんから見て私の字はどんな印象を抱くでしょうか? 少なくとも私は、この字を何気ないタイミングで見かけたら「読めるけど上手くはないな」と思います。字が揃ってないから汚いとさえ思うかもしれません。

 思えば、小さな頃から字は上手じゃなかった。両親……特に母親は習字をやっていて字が綺麗です。兄弟も、学校外の習字コンテストみたいなのに抜擢されるぐらいには上手だったし、硬筆も綺麗なんですよ。私だけ、悪筆です。

 左利きなのですが、習字は本来右で書く決まりがあるそうです。でも私は小学校から中学までずっと左で書いてきました。墨汁が一筆目に乗って太る、みたいな現象とずっと戦いながら書いていました。なので習字の時間は大嫌いでした。字が汚いので。

 私以外の家族みんなの字が綺麗なので、字の汚さを散々馬鹿にされてきました。年始に書初めをした時も、一人浮いててしんどかった記憶があります。

 そういう子供時代と思春期を過ごしたので、人に字を見せることに苦痛を感じていました。毛筆でも、硬筆でも。油性ボールペンを使うと特に酷くて、ゲルインキボールペンだとややマシになります。冒頭のはゲルインキなので、マシでもあの程度ですが。

 書いてるところを見られるのも嫌いです。「字が汚いなこの人」って思われてないか、とか思ってました。今はまあまあどうでもいいんですけどね。問診票とか申請書書くのも嫌いです。履歴書が一番嫌いでした。書き間違いが多いので、すぐダメにしてました。

 大学で書道を実際にやる講義をとったときは失敗したと思いました。トラウマとも言えないぐらいの小さな苦痛が残っていたからです。でも、講義自体は楽しかったなあ……周りは綺麗な人が多かったですけどね。ただ形式的に字を書くだけじゃなく、好きに表現して書いたりできたのがよかったです。後日、提出した作品をまとめて返却してもらったんですけど、母親に見られてしまって。また馬鹿にされるかと思ったんですけど「上手く書けてるじゃん」と意外な褒め言葉をもらった時は、嬉しさよりもビックリがきましたね。子供時代に言ってくれればよかったのにね。

 自分の気持ちを整理したり、色々想像したことを書き連ねたりすることは良くあったので、そういう意味では『書く』ことは好きだったんですけど、嫌いでもありました。読み返すと、なおさら自分の字の汚さに嫌気が差しました。

 まあ、LINEやSNSで済ますことが多くなった今では、手書きは却って貴重なものになってきていますが。大学卒業後はめっきり字を書く機会が減ったので、見せる機会があまりないという点についてはいいかもしれません。

 私の字はおそらく一生綺麗ではないですが、それでもまたこうやって、何気ないことを書いていこうと思います。

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 そろそろまた心療内科へ行くべきかと思っています。悩み。