なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

依存と飽き性

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 自分の特性はなにか、と言われて真っ先に思い浮かぶのは「面倒くさがり」です。次に浮かぶのは「飽き性」です。

 ADHDの特性よろしく、私はとても飽き性です。熱しやすく冷めやすい。一定のジャンルが1年続けば長い方で、酷いときには一週間も経たずに飽きてしまうこともあります。理由はまあ、色々ありますけど。『単純に面白くない』『続ける気力がない』『面倒くさい』『そのジャンルのファンの民度が悪い』などなど……。理由を挙げればきりがないですが、まあ、理由は何であれ「続かない」のです。

 飽き性な故に面倒くさがりなのか、面倒くさがりだから飽き性なのか、鶏と卵の関係性のような特性が結びついて、それはもう酷い様相をみせているのです。

 そんなわけで。私はある一定のものに『依存』したことがない、と思います。記憶の限りでは。PCやスマホ……インターネットには依存していると思っているんですけど、それ以外には正直、依存しているという自覚がない。自覚がないだけで依存しているのかもしれない。わからないです。

 でも、親とか周りには「スマホ依存症」ぐらいにしか言われたことがないんですよね。お酒も好きでよく飲みますけど、以前一ヶ月以上平気で飲まなかったことがあるし。課金も、一時期していましたけど、課金をして得る推しと引き換えに最大級の苛つきも得ていたので、デメリットのほうが大きくてあまり好んでソシャゲの課金はしません。コンシューマーゲームには割と躊躇なくお金を払いますけど、お金を払わないと得られないものとお金を払わなくても得られるものの違いは大きい。

 そんなわけで、特筆すべき『依存先』の詳細がなくて、よくよく考えたら、そんなだから興味の幅も狭いのでは? と思わなくもないんですけど。

 冒頭の手書きにも書いたんですけど、依存=長続きじゃないし、依存しすぎるのが良くないのはよーくわかっているつもりです。でも、なにかに依存できるぐらい深くのめり込んでみたい気持ちもあります。ギャンブルと法に触れないもの以外で。

 で、まあ、なにがあるかなと思ったら、文章作成に依存しているのかな、という気持ちがあります。Twitterで呟くのが好きだし、ブログも書くのが好きだし(書かないのはネタがないだけ)、実は小説をいくつか書いたりもして……(それなのにこんなにブログを書くのが下手なので、実力はお察しください)。とにかく何かを書くのが好きで、それには依存気味かな……と。『活字中毒』ではないです。最近、めっきり本は読まなくなってしまったので。でも、また本を読みたいなあ。

 飽き性が故に依存症回避できてるなら、それはそれでいいんじゃないですかね? と自分に言い聞かせてみる。他の人より興味の期間が短いだけで、消して熱量がないわけじゃないんですけどね。……いわゆる「イナゴ」が嫌いなので、ジャンルにはまるときは慎重になりがちなのもあるのかもしれません。

 自分的には、なにもかもが中途半端なので、一度人生全部捧げたい! ってぐらいのめり込めるものがあれば良いのになあ、と思ってしまいます。生きる希望みたいな。危ういのかもしれませんけど。実際、依存できるものが何もない(拠り所がない)ほうが危ない気がするんですけど、どうなんですかね。

 お酒に依存するのだけはやめます。美味しいし大好きですけど。お酒に依存していいことなんて、なにもないですからね。