なんでもないひとりごと。

ネガティヴ思考なADHDの、自分を見つめ直す為のブログです。

希死念慮の話

のなめです。皆さんは、希死念慮という言葉をご存知でしょうか。知っている人は多いと思います。まあ簡単にいうと、「死にたいと思うこと」でしょうか。自殺願望とどう違うのか、というのですが、コトバンクさんの記事を引用させてもらいます。

kotobank.jp

 

私の場合、明らかに「自殺願望」というよりは「希死念慮」という方があってるかな、と思います。ふとした瞬間に、何もないのに「あ、死にたい」と思うんですよね。しばらくすれば消えてしまうし、実際に死のうとしたことはないので、ちょっと油断している節はあります。実際にこの思いを抱くようになってから、かれこれ二年ほどが経ちますかね。最近はずっと死にたいな、と思うようになって、もしかしてうつ状態が深刻化しているのかもしれないです。うつ状態であることは、母親以外は知らないし、言うつもりもあまりないのですが。

自分の中にある『死』への漠然とした願望というか、身近さというかが、なんだか自分でも上手く認識できないというか。なんで死にたいんだろう、と考えるのですが、やっぱり理由はなくて。強いて言うなら、全部に疲れたから、かもしれないです。人間関係も、社会で生きることも、人としての営みを行うことも、全部に疲れてて。未来も希望もありません。あるのかもしれないですけど、今の私には見えません。どこにあるんだろう、私の希望。

メンヘラは伝染する、とよく聞きます。私はもう疑いようもないレベルでメンヘラですので、誰かに伝染させてないか、とても不安です。メンヘラ要素はあまり表に出さないようにしているので、気づかれていないことを祈りつつ。あ、一応言っておくと、世間一般の言うメンヘラではなく、精神疾患者的な意味で使ってます。改めて言葉にすると、結構ダメージ食らいますね。いや、まあ本当に、言い逃れできないレベルで、精神を病んでいるとは思っていますけど。いっそ誰かに言いたい気もしますが、やっぱりそれで相手に背負わせることも、依存してしまうことも嫌なので、言わないんじゃないかなあと思ってます。

死ぬとしたら、どんなシチュエーションで死のうかな、なんて思ったりします。火山で投身自殺とか、睡眠薬を大量に飲んでしまうとか、練炭とか。あまり苦しまずに死にたいですけど、自分の意思で死のうとするのだから、痛みが伴っても仕方ないかなという気もします。死ぬ前に、遺書を書いて、旅行をして、したいこと全部して、笑ってさよならをする、というのが理想です。長生きする気はさらさらないので。ああ、どうせ死ぬなら、ボランティアをするのもいいかもしれませんね。ちょっと調べてみようかなあ。

皆さんは、長生きをしたいと思いますか?生きたいと思いますか?死ぬ理由がないから生きる、というのは、生きる理由になると思いますか?今の私は、「死にたいとは思うけど、特に死ぬ理由も勇気もないから生きている」状態なんです。目標も、やりたいことも、楽しみも、全部、見えないぐらい霞んでしまったんです。こんな私は、生きる意味があるんですかね。ただ日々を浪費していくだけで、なんの意味も見出せなくて。何もない。

それでも、生きていかなくちゃいけないんですかね。私が生きる理由なんて、親を看取るため、ぐらいです。それ以外、見つけられなくて。もし両親が亡くなってしまったら、私は生きていられるのかな。わかんないや。